第233話 心の中のマグマ
部屋に帰る前に、三人で中庭に寄った。
「お待たせ、お待たせ!」
彼女が声をかけると、ももが近くのベンチから彼女の胸に飛び込んできた。
「わっ、もも!」
彼女は慌てて抱きとめた。
カールは看護師さんの顔をじっと見上げていた。
そして、嬉しそうに尻尾を振り始めた。
安心したのだろうか。
カールが、看護師さんの悲しみや喜びをどこまで分かっているのかは、私には分からない。
でも、表情や声から、何かを感じ取っているように見えた。
カールが嬉しそうにしているのを見ていると、看護師さんも今日はいい気分でいるのかな、と思えてきた。
*
部屋に戻ると、私は何だか力が余っていた。
「いいから、いいから。
二人とも座ってて」
そう言って、三人分の布団を一人で敷いた。
ももは彼女の膝の上。
カールは看護師さんに寄りかかるようにして、体を休めていた。
二匹とも、すっかりくつろいでいる。
私も、何とも言えない開放感を味わっていた。
どうしてだろう。
娘さんのために、何か自分にもできるような気がしてきた。
それが嬉しいのかもしれない。
まだ、何もしていないのに。
不思議だった。
私は長い間、自分は何の役にも立たない人間なんじゃないかと思っていた。
会社で言われた言葉も、まだ心のどこかに残っている。
誰かの役に立ちたい。
そんな思いが、ずっと胸の奥にあったのかもしれない。
まるで、出口を探しているマグマのように。
でも、浮き足立ってはいけない。
娘さんに会ったことさえないのだから。
焦らず、慎重に。
一人でそんなことを考えていた。
「どうしたの?
また一人で何か考えてるでしょ」
彼女に言われた。
「私も今日は、ロング缶に挑戦したかったんだ」
そう言ってやった。
看護師さんが笑い出した。
「ビールなら、冷蔵庫にまだ何本もあるよ。
私も今日は、もう少し飲みたいし」
そう言って立ち上がり、コップを三つ用意してくれた。
彼女が布団の端に腰を下ろした。
「敷布団の上でビール飲むのって、いいよね」
「こぼさないでよ」
看護師さんが言った。
彼女は、
「分かってます!」
と答えてから、ももとカールの水のお皿を確かめに行った。
「二匹にも、何かあげようか」
そう言って、ペット用のミルクをそれぞれのお皿に注いだ。
看護師さんは、その様子を笑いながら見ていた。
しばらくして、彼女が思い出したように言った。
「あっ、そうだ。
娘さん、ここの病院のカフェでアルバイトしてたんですよね。
オーナーさんから聞きました」
「そうなの。
大学生の時ね。
オーナーさんにも、ずいぶん可愛がってもらったのよ」
「娘さんが元気になったら、お見舞いに行きたいって言ってましたよ」
「そう。
ありがたいね。
明日にでも、お礼を言いに行こうかな。
娘がどう思うかも、聞いてみないとね」
看護師さんが、私たちのコップにビールを注いでくれた。
私のコップには、ほんの少しだけ。
「無理しちゃ駄目だよ」
そう言って、私の顔を見た。
私は一口飲んだ。
もともとお酒を飲む方ではないので、正直、おいしいとは思えなかった。
それなのに、何とも言えない開放感があった。
何か、いいことが起こりそうな気がしていた。
こんな気持ちは、いつ以来だろう。
いや、初めてかもしれない。
私はこれまで、何か悪いことが起こるんじゃないかと、いつも身構えていたような気がする。
何も起きていないのに、先のことを心配していた。
でも、今は違う。
まだ何も起きていないのに、何かいいことが起こりそうだと思っている。
自分でも不思議だった。
私は、手にしたコップを眺めた。
まさか……。
私、もう酔っ払ってしまったんだろうか。




