第220話 私の足跡
私の命の恩人と言ってもいい、
看護師さん。
今、
私はその看護師さんと、
この病院に来ている。
看護師さんが、
入院している娘さんに会うためだ。
私は、
看護師さんについて、
もう少し書いておきたいと思った。
そうすると、
どうして娘さんが、
今ここに入院しているのかにも、
触れることになる。
私が知っていることを、
知っているままに書こうと思う。
*
何年か前、
看護師さんのご主人が亡くなった。
事故でも、
病気でもなかった。
自ら、
命を絶ってしまった。
私は、
詳しい事情を知らない。
看護師さんが話してくれたのは、
ご主人が自ら命を絶ったということ。
そして、
自分はご主人の苦しさを、
何も分かっていなかったのかもしれない、
ということだけだった。
私からも、
聞こうとは思わなかった。
ただ、
そのあと、
娘さんが看護師さんに言った言葉については、
本人の口から聞いている。
「お母さんのせいで、
お父さんが死んだんだ」
その言葉は、
看護師さんの中に、
ずっと残っていたのだと思う。
それをきっかけに、
母と娘の間には、
深い溝ができてしまった。
娘さんは、
もう連絡してこないでほしいと、
看護師さんに伝えた。
看護師さんは、
その言葉を受け入れた。
娘さんから望まれない限り、
自分から連絡することはしなかった。
結婚式には、
一度だけ顔を出した。
でも、
それから長い間、
二人は会っていなかった。
そんな中で、
娘さんの居場所が分からなくなった。
絶縁に近い状態だったとしても、
母親として、
どこにいるのかも分からないということは、
看護師さんにとって、
耐えがたいことだったと思う。
私と彼女は、
娘さんの居場所を探すことにした。
私にとっても、
彼女にとっても、
看護師さんは、
命を救ってくれた人だった。
せめて、
娘さんが無事なのか。
どこにいるのか。
それだけでも分かれば、
看護師さんは少し安心できるかもしれない。
そう思った。
私たちは、
娘さんが以前住んでいたマンションへ行った。
周りの人に話を聞き、
少しずつ、
分かることを集めていった。
そこで、
娘さんが夫から、
ひどい暴力を受けていたことを知った。
そして、
近くに住んでいた元刑事さん夫妻が、
娘さんを助けていたことも分かった。
元刑事さん夫妻の力を借りながら、
娘さんは病院へ入院することになっていた。
精神科の病棟だった。
娘さんの心と体は、
かなり弱っていた。
食事を取ることも難しくなり、
体重は三十九キロまで落ちていたという。
解離性健忘とも診断されていた。
今、
私は、
その病院のロビーで、
このノートを書いている。
娘さんが入院してから、
半年ほどになる。
まだ、
退院の目処は立っていない。
娘さんの夫は、
娘さんが入院する前から、
姿を消していた。
そして、
少し前、
その夫が見つかった。
空き巣に入り、
現行犯で逮捕されたという話だった。
その後も、
別の事件について調べが進んでいて、
今も身柄を拘束されていると聞いている。
娘さんは、
まだ、
そのことを知らない。
逮捕される前には、
この病院へ電話をかけてきて、
娘さんの部屋を聞き出そうとしたこともあったという。
だから、
安心しきっていいわけではない。
これから娘さんが、
どこで暮らすのか。
今まで住んでいた部屋を、
どうするのか。
荷物をどうするのか。
考えなければならないことは、
まだ残っている。
でも、
看護師さんたちには、
元刑事さんという、
力になってくれる人がいる。
「一人で抱えなくていい」
そう言って、
これからも協力すると言ってくれている。
その存在が、
看護師さんにとって、
どれだけ心強いことだろう。
私は、
書いている文字を見つめた。
やっぱり、
心配事に、
終わりはないのかもしれない。
一つ終わっても、
また一つ。
別の心配が、
顔を出す。
でも、
だからこそ、
私は思う。
全部を、
自分で抱えなくてもいい。
神様を信じて、
委ねながら生きていきたい。
問題がなくなってからではなく、
問題を抱えたままでも、
神様と一緒に歩いていけばいい。
今の私は、
そう思っている。
私は、
ノートの最後に、
ゆっくり書いた。
これは、
誰かに見せるためのノートではない。
私の心にあることを、
そのまま書いている。
いつか読み返した時、
私はきっと、
この時の自分を思い出す。
このノートは、
私が歩いてきた、
小さな足跡になるのだと思う。




