第214話 一人じゃない
ももとカールは、
しっかり朝ご飯を食べた。
お腹がいっぱいになったのか、
二匹とも満足そうに寝転がっている。
私たちも食事を終え、
私が後片付けをしていると、
彼女が言った。
「今日はバイト初日だから、
そろそろ行きますね」
「もう行くの?」
「うん。
それと、
カフェから中庭が見えるから、
ももとカールも連れていきます」
彼女は、
二匹の方を見た。
「中庭で遊ばせておけば、
私も見ていられるし、
その方が安心だから」
看護師さんが、
「ありがとう。
本当に助かるよ」
と言った。
彼女は立ち上がった。
「もも、カール。
行くよ」
カールがすぐに立ち上がる。
ももは、
一度だけ私たちの方を見てから、
彼女のあとをついていった。
「じゃ、
行ってきます」
「行ってらっしゃい」
彼女が二匹を連れて出ていったあと、
私と看護師さんも、
出かける準備を始めた。
その時だった。
看護師さんのスマホが鳴った。
画面を見る。
「元刑事さんだ」
「はい」
看護師さんが電話に出た。
「もしもし」
「おはようございます。
今、
少しよろしいですか?」
「はい。
いつもお世話になっています」
電話の向こうから、
元刑事さんの落ち着いた声が聞こえてきた。
「ご主人のことですが、
少し整理してお話ししておこうと思いまして」
「はい」
「昨日も少しお話ししましたが、
確認の意味も含めて、
もう一度聞いてください」
看護師さんは、
スマホを持ち直した。
「お願いします」
「まず、
逮捕されたあと、
警察だけの判断で、
いつまでも身柄を拘束しておけるわけではありません」
「そうなんですか」
「はい。
警察から検察へ送られて、
そのあとも身柄を拘束する必要があると判断されれば、
裁判官に勾留を請求することになります」
「勾留……」
「簡単に言えば、
逮捕されたあとも、
捜査のために身柄を拘束しておくための手続きです」
「どれくらいなんですか?」
「一つの事件については、
原則十日間です。
必要があると認められれば、
裁判官の判断で、
さらに十日間まで延長されることがあります」
「じゃあ、
二十日くらいなんですね」
「勾留だけなら、
そうですね。
ただ、
逮捕されてから勾留が決まるまでの時間もありますから、
逮捕から起訴するかどうかを決めるまで、
最長で二十三日程度になることがあります」
「そうなんですね……」
看護師さんは、
黙って話を聞いていた。
元刑事さんが続けた。
「それと、
私が聞いている範囲では、
ご主人は別の事件についても調べられているようです」
「別の事件……」
「はい。
もし、
その事件についても逮捕や勾留が必要だと判断されれば、
その事件について、
改めて手続きが行われることがあります」
「じゃあ、
身柄を拘束される期間が、
さらに続くこともあるんですか?」
「あります」
元刑事さんは、
すぐに付け加えた。
「ただし、
余罪が出てきたからといって、
自動的に拘束期間が延びる、
という意味ではありません」
「違うんですか?」
「はい。
別の事件についても、
必要な手続きを踏んで、
逮捕や勾留が必要なのか判断されます」
「そうなんですね……」
「そして、
捜査をしたうえで、
検察官が起訴するか、
不起訴にするかを判断します」
看護師さんが聞いた。
「起訴されたら、
どうなるんですか?」
「起訴されたあとも、
必要があると判断されれば、
勾留が続くことがあります」
「じゃあ……」
看護師さんの声が、
少しやわらいだ。
「今すぐ、
娘のところへ来るような状況ではない、
ということですか?」
「今のところは、
そう考えていいと思います」
「……はい」
「ただ、
刑事手続きが最終的にどうなるのかは、
私にも分かりません」
「そうですよね」
「だから、
今考えるべきことは、
ご主人が最終的にどう処分されるのかではないと思うんです」
看護師さんは、
黙って続きを聞いていた。
「娘さんが、
これからどこで暮らしたいのか」
「はい」
「今まで住んでいた部屋を、
どうするのか」
「はい」
「荷物をどうするのか。
そして何より、
娘さんが安心して暮らせるようにするには、
どうしたらいいのか」
元刑事さんの声は、
変わらず穏やかだった。
「娘さん自身の気持ちを聞きながら、
一つずつ考えていけばいいと思います」
看護師さんが、
小さく息を吐いた。
「分かりました」
「ご主人の捜査や刑事手続きは、
警察や検察、
裁判所に任せましょう」
「はい」
「私たちは、
娘さんの安全と、
これからの生活を考える」
一瞬、
電話の向こうが静かになった。
「今は、
それでいいと思います」
「ありがとうございます」
看護師さんの声が、
少し明るくなった。
「少し、
頭の中が整理できました」
「それならよかったです」
「娘とも、
急がずに話してみます」
「はい。
それがいいと思います」
看護師さんは、
もう一度、
丁寧に言った。
「本当に、
いろいろお気遣いいただいて、
ありがとうございます」
「いえ」
「これからも、
よろしくお願いします」
「もちろんです」
元刑事さんの声が聞こえた。
「心細くなることもあると思います。
でも、
お母さん一人で、
全部抱え込まなくて大丈夫です」
看護師さんは、
何も言わず聞いていた。
「何かあれば、
また連絡してください。
これからも、
連絡を取り合っていきましょう」
「はい。
ありがとうございます」
「それでは、
失礼します」
電話が切れた。
看護師さんは、
しばらくスマホを胸元に持ったまま、
動かなかった。
そして、
静かに目を閉じた。
「神様、
ありがとうございます」
それだけ言って、
小さく頭を下げた。
私は、
その姿を見ていた。
看護師さんが、
私の方を向いた。
「一緒についてきてくれるんだね」
「はい」
「ありがとう」
そして、
噛みしめるように言った。
「本当に、
私は一人じゃないんだね」
私は、
何も言わず、
うなずいた。
でも、
私には一つ、
気になっていることがあった。
看護師さんの娘さんの夫が、
逮捕されている。
そういうことが、
看護師さんの仕事に、
何か影響することはないのだろうか。
看護師さんは、
何も悪いことをしていない。
そんなことは、
分かっている。
それなのに、
私はまた、
まだ起きてもいないことを、
心配し始めていた。
どうやら私は、
心配の種を見つけることだけは、
まだ得意らしい。




