↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
210/240

第207話 できることを、できる範囲で

翌日の朝。


今日、


看護師さんは娘さんに会いに行く。


私たちは、


ももとカールのご飯とミルクを持って、


二匹をいつもの中庭に連れて行った。


その間、


私たちは中庭の見える一階のカフェで、


モーニングを食べていた。


彼女が、


突然立ち上がった。


「ちょっと、


オーナーさんに挨拶してきます」


そう言って、


迷うことなく歩いていく。


私は、


看護師さんと顔を見合わせた。


彼女には、


「今からやるぞ」


みたいな構えが、


ほとんどない。


思いついたら、


もう動いている。


しばらくすると、


オーナーさんと何か話しながら笑っていた。


そして、


すぐに戻ってきた。


「明日から、


お手伝いすることになりました」


「もう決まったの?」


私が聞いた。


「うん」


彼女は、


何でもないことのように答えた。


「とりあえず、


朝七時から十一時まで。


モーニングの時間帯だけです」


「へえ」


「無理がないように、


時間は調整してくれるって言ってもらえました」


看護師さんが、


感心したように彼女を見る。


私も、


同じだった。


早い。


本当に早い。


このカフェからは、


中庭のももとカールがよく見える。


二匹も、


時々こちらを見ている。


カールは伏せたまま、


こちらに顔を向けている。


ももは、


日当たりのいい場所で、


白い体を丸くしていた。


私は、


時計を見た。


看護師さんが娘さんに会うのは、


午後三時。


久しぶりに、


娘さんと顔を合わせる。


娘さんは、


何を話そうとしているんだろう。


私が考えても仕方がない。


そう分かっているのに、


やっぱり少し考えてしまう。


看護師さんも、


いつもより落ち着かないように見えた。


その時、


昨日、


自分から言い出したことを思い出した。


病院の中で、


聖書の話を聞ける時間があったらいい。


最初は、


三人だけでもいい。


だったら、


今、


やってみればいいんじゃないか。


彼女の行動力を見ていたら、


そんな気になった。


私はスマホを持っていない。


彼女に言った。


「ねえ」


「なに?」


「昨日言ったこと、


今ここで、


ちょっとやってみない?」


「昨日のこと?」


「聖書の話を聞くやつ」


彼女が、


私を見る。


「この三人で、


今、


ここで」


看護師さんが、


すぐに反応した。


「やろう、やろう」


私は、


彼女に頼んだ。


「とりあえず、


『聖書 メッセージ』とかで、


検索してみてよ」


「了解」


彼女が、


スマホを取り出した。


指を動かしながら、


画面を見ている。


「あっ、


なんかあるよ」


「なに?」


「『世の光』だって」


看護師さんが言った。


「それ、


聞いてみようよ」


彼女は、


スマホをテーブルの真ん中に置いた。


ほかのお客さんの邪魔にならないよう、


音量を小さくする。


まだ店内にいる客は、


私たちだけだった。


三人で、


スマホに顔を寄せた。


三分ほどの、


短い話だった。


イエス・キリストを太陽に、


私たちを月にたとえるような話をしていた。


正直なところ、


私には、


あまりピンと来なかった。


彼女を見る。


なんとなく、


同じような顔をしている。


看護師さんも、


「なるほど」


という顔ではなかった。


それでも、


不思議と嫌な感じはしなかった。


内容を理解できたかどうかより、


私たちは、


始めたのだ。


昨日、


「こんなのがあったらいいな」


と話していたことを、


今日、


三人でやってみた。


それだけで、


私は少し嬉しかった。


そして、


自分でも思いがけない言葉が、


口から出た。


「看護師さんと娘さんのために、


祈ります」


言ってから、


自分で驚いた。


彼女も、


目を丸くしている。


看護師さんまで、


驚いた顔をした。


「あなたが、


祈ってくれるの?」


「はい」


もう、


引っ込みがつかなかった。


「私が祈ります」


看護師さんが聞いた。


「私は、


黙ってればいい?」


「はい」


三人で、


目を閉じた。


その瞬間、


何も言葉が出てこなくなった。


どうしよう。


何て祈ればいいんだろう。


二人が、


私の言葉を待っている。


何か言うんだ。


私は、


自分に言い聞かせた。


そして、


ようやく口を開いた。


「神様……」


そこで、


また止まった。


「看護師さんと娘さんを……


よろしくお願いします」


終わった。


これだけだった。


これが、


祈りなんだろうか。


顔が、


一気に熱くなった。


目を開けると、


彼女が私を見ていた。


「すごいじゃん」


「え?」


「できることを、


できる範囲でやったよ」


私は、


ますます恥ずかしくなった。


看護師さんが言った。


「ありがとう」


そして、


穏やかな声で続けた。


「安心して行ってくるよ」


私を見る。


「神様に、


お願いしてくれたんだから」


私は、


何も言えなかった。


顔が、


まだ熱い。


こんなに赤面したのは、


何年ぶりだろう。


小学生の時以来かもしれない。


もう忘れかけていた感覚だった。


でも、


なんだか少し嬉しかった。


私には、


まだ、


こんなふうに恥ずかしくなる感覚が、


ちゃんと残っているんだ。


窓の向こうを見ると、


中庭から、


ももとカールが、


こちらを見ていた。


なんとなく、


「あの人、


誰だろう」


とでも言いたそうな顔に見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。