第198話 『一緒にいてくれて、ありがとう』
話が終わると、
元刑事さんは言った。
「何か新しいことが分かれば、
必ずお電話します」
そして、
私たち三人を見た。
「それまでは、
落ち着かないと思いますが、
今は静かに待ちましょう」
長居はせず、
最後に穏やかな笑顔を見せて、
帰っていった。
私たちは三人そろって、
遠ざかっていく後ろ姿に、
深く頭を下げた。
彼女が言った。
「あの方の言う通り、
今は待つしかないと思います」
看護師さんは、
小さく息を吐いた。
「そうみたいだね……」
肩が、
少し落ちていた。
*
その日の夕方。
私は、
二人を海へ誘った。
ももとカールも一緒だ。
駅の向こうにある、
あの海岸。
私が適応障害で苦しかった頃、
何度も心を休ませてもらった場所だった。
「海、
行きませんか?」
看護師さんが、
私を見る。
「海?」
「はい。
今は考えても、
答えが出ないことばかりだから……」
看護師さんは、
少し考えてからうなずいた。
「そうだね……。
今は、
いくら考えても分からないもんね」
彼女が、
窓の外を見ながら言った。
「今日は、
夕陽がきれいだと思いますよ」
そして、
少し笑った。
「私、
悲しい時の方が、
夕陽がきれいに見えることがあるんです」
看護師さんの表情が、
少しだけやわらいだ。
彼女が続ける。
「晩ご飯、
途中でお弁当でも買って、
海岸で食べません?」
すると、
看護師さんが言った。
「ビールも、
飲みたいなあ」
久しぶりに、
笑った。
その声に反応したように、
カールが看護師さんを見上げた。
尻尾が、
ゆっくり動いている。
私は、
カールとももに言った。
「海、
行くよ」
二匹とも、
何かを感じ取ったように、
そわそわし始めた。
本当に「海」という言葉が分かっているんじゃないだろうか。
そんなふうに見えた。
*
カールには、
パニアを背負ってもらった。
片方にもも。
もう片方には、
お弁当と二匹のご飯。
少し重そうだったので、
ミルクは私が持ち、
ビールは彼女が持つことにした。
砂浜に着くと、
やっぱり夕陽はきれいだった。
いつ見ても、
今日の夕陽が一番きれいだと思ってしまう。
カールからパニアを外す。
すると、
カールは大きな体を、
ブルブルッと一度震わせた。
看護師さんが笑った。
「ご苦労さま」
そして、
海の方を指さした。
「思いっきり、
走っておいで」
カールは、
待ってましたと言わんばかりに、
砂浜を駆け出した。
夕陽に向かって、
大きな体がどんどん遠ざかっていく。
ももは、
まだパニアの中にいた。
彼女が、
そっと抱き上げる。
ももは、
それを待っていたように、
おとなしく腕の中に収まった。
看護師さんが、
海を見ながら、
大きく息を吐いた。
「ふぅー……」
そして、
少しだけ笑った。
「やっぱり、
海はいいね。
気持ちいいよ」
娘さんのことも、
夫のことも、
誰も話さなかった。
これから、
どうなるんだろう。
そんな言葉も、
誰の口からも出なかった。
ただ、
三人で海を見ていた。
しばらくして、
看護師さんが言った。
「前にも言ったけどさ……」
私と彼女が、
看護師さんを見る。
「本当に、
あなたたちがいてくれてよかった」
少し間があった。
「一人だったら、
いろんなことを、
変な方向にばっかり考えてたと思う」
そして、
私たちを交互に見た。
「近くにいてくれて、
本当に助かってるよ」
目元が、
少し潤んでいた。
「それにね……」
看護師さんは、
海の方へ顔を向けた。
「あなたたちと一緒にいるうちに、
私も神様を信じてみようって、
思えるようになったのかもしれない」
風が、
三人の間を抜けていった。
「そう思ってる……」
彼女が、
何も言わずにバッグを開けた。
「ビール、
飲みましょう」
缶ビールを取り出す。
看護師さんは、
受け取った冷たい缶を、
頬に当てた。
「冷たーい」
今度は、
ちゃんと笑った。
それから、
私たちを見た。
「一緒にいてくれて、
ありがとう」
声が、
少し震えた。
「感謝してるよ……」
夕陽は、
もう海のすぐ近くまで、
降りてきていた。




