第197話 今夜はそれでいい
彼女が、
横になっている看護師さんに、
優しく話しかけた。
「明日は、
元刑事さんが警察に相談してから、
こちらに来てくださるそうです」
看護師さんから、
返事はない。
タオルを顔に当てたまま、
動かなかった。
「これからどうしたらいいかも、
一緒に考えてくださるって。
本当に、
心強いですね」
しばらくすると、
タオルの下から、
看護師さんの声がした。
「ごめんね……」
弱々しい声だった。
「なんだか、
いろんなことを考えちゃって……」
大きく、
息を吐いた。
ため息のようにも聞こえた。
「私さあ……
メンタルの会なんかやってるのに、
自分のことになると、
こんなに弱いんだね……」
そう言って、
近くにいたカールの首に、
そっと腕を回した。
カールは、
そのまま動かなかった。
私は、
何か言おうと思った。
でも、
言葉が見つからない。
いつものように、
布団を敷いた。
枕を置いて、
眠る準備をする。
今の私にできるのは、
それくらいだった。
何を言えばいいのかも、
分からなかった。
その夜、
三人とも、
「おやすみなさい」さえ言わなかった。
それぞれ布団に入り、
じっとしていた。
私は、
なかなか眠れなかった。
目を閉じても、
眠りは来ない。
看護師さんも、
彼女も、
起きているようだった。
誰も、
話さなかった。
それでも、
同じ部屋に三人でいる。
今夜は、
それでいいような気がした。
*
翌日。
昼前になって、
看護師さんのスマホが鳴った。
元刑事さんからだった。
「もしもし」
「おはようございます。
ご気分は、
大丈夫ですか?」
「はい……。
昨日は、
すみませんでした」
「いいんですよ」
いつもの、
穏やかな声だった。
「午前中に伺うとお伝えしていましたが、
少し遅くなりそうです」
「そうですか」
「今、
警察署に来ています。
捜査について詳しいことを聞けるわけではありませんが、
娘さんの安全について、
相談しておきたいことがありまして」
「ありがとうございます……」
「気にしないでください。
私ができることを、
しているだけですから」
看護師さんが、
小さくうなずいた。
「いろいろ、
ご親切にしてくださって……。
ありがとうございます」
「私には、
気を遣わなくていいんですよ。
お役に立てることがあるなら、
それで私は嬉しいんです」
「ありがとうございます……」
電話が切れた。
看護師さんは、
しばらくスマホを見ていた。
昨日よりは、
少しだけ表情がやわらいでいるように見えた。
*
午後二時前。
もう一度、
看護師さんのスマホが鳴った。
「もしもし」
「遅くなりました。
もうすぐ、
そちらの病院に着きます」
「ありがとうございます」
「どちらで、
お話ししましょうか」
「正面玄関のところで、
お待ちしています。
一階のカフェで、
お話を聞かせてください」
「分かりました。
では、
後ほど」
*
私たち三人で、
元刑事さんの話を聞くことになった。
一階のカフェ。
私と彼女は、
看護師さんを挟むようにして座った。
看護師さんには、
いつもの元気がなかった。
ほとんど、
眠れなかったのだと思う。
しばらくすると、
元刑事さんがやってきた。
看護師さんの顔を見るなり、
少し心配そうな表情になった。
「お疲れのようですね」
看護師さんは、
小さく笑おうとした。
でも、
うまく笑えなかった。
「まあ……
ほとんど眠れませんでした」
「無理もないですよ」
元刑事さんは、
向かいの椅子に座った。
「でも、
一人で全部考えなくて大丈夫です。
私にもできることはありますから」
看護師さんが、
小さくうなずいた。
元刑事さんは、
少し間を置いてから話し始めた。
「まず、
一つ安心していいことがあります」
三人とも、
元刑事さんを見た。
「娘さんのご主人は、
今も身柄を拘束されています」
看護師さんの表情が、
変わった。
「昨日までに、
逮捕後の手続きが進んでいて、
勾留も認められたそうです」
「勾留……?」
「簡単に言えば、
捜査を続けるために、
しばらく身柄の拘束が続くということです」
元刑事さんは、
ゆっくり説明した。
「ですから、
少なくとも今すぐ、
娘さんのいる病院へ現れるような状況ではありません」
看護師さんが、
小さく息を吐いた。
「そうですか……」
「ただし、
ほかの事件との関係については、
まだ捜査中です。
私にも、
詳しいことまでは分かりません」
元刑事さんは、
そこで一度言葉を切った。
「今は、
警察に任せるところは、
警察に任せましょう」
そして、
看護師さんを見た。
「私たちが考えなければならないのは、
娘さんのことです」
「娘のこと……」
「はい。
このことを娘さんに、
いつ、
どこまで伝えるのか。
それは、
娘さんの今の状態を一番よく分かっている担当の先生とも、
相談した方がいいと思います」
看護師さんは、
しばらく黙っていた。
それから、
不安そうな顔で尋ねた。
「これから……
どうなるんでしょうか?」




