第196話 言葉がなくなった夜
それから三日後の夜。
午後十一時二十分。
看護師さんのスマホが鳴った。
画面を見る。
元刑事さんからだった。
「もしもし」
「私です。
今、
大丈夫ですか?」
「はい」
電話の向こうから、
いつもの落ち着いた声が聞こえてくる。
でも、
今日は少し違っていた。
「少し、
お辛い話になるかもしれません」
一度、
間があった。
「落ち着いて聞いてくださいね」
「……はい」
看護師さんの表情が、
少しこわばった。
「娘さんのご主人のことなんですが、
少しずつ、
分かってきたことがあります」
「はい……」
「かなりの借金があったらしいんです。
ギャンブルが関係している可能性もあるようです」
看護師さんは、
何も言わない。
「それから、
今回の空き巣だけではなく、
ほかにも似た事件との関連を、
警察が調べているようです」
「ほかにも……?」
「はい」
元刑事さんの声が、
さらにゆっくりになった。
「まだ捜査中なので、
はっきりしたことは言えません。
ただ、
侵入先の住人がけがをした事件についても、
関連がないか調べられているようです」
看護師さんの顔から、
血の気が引いていくように見えた。
「……そんな」
私は、
看護師さんを見た。
彼女も、
何も言わない。
電話の向こうから、
元刑事さんの声が続いている。
「今の段階では、
まだ分からないことの方が多いです。
ですから、
決まったことのようには考えないでください」
看護師さんは、
スマホを握ったまま、
うつむいた。
「私は……」
声が詰まった。
「私は、
どうすればいいんでしょうか……」
「今すぐ、
何かをしなければならないわけではありません」
元刑事さんは、
落ち着いた声で答えた。
「娘さんのことを第一に考えましょう。
明日、
私の方でも警察に相談して、
娘さんの安全のために、
分かる範囲で事情を聞いてきます」
「はい……」
「分かったことは、
きちんとお伝えします」
看護師さんは、
何度かうなずいた。
けれど、
次の言葉が出てこない。
突然、
スマホを持っていた手が下がった。
力が抜けたように、
スマホをテーブルの上に置く。
「看護師さん?」
電話は、
まだつながっていた。
スマホから、
元刑事さんの声が聞こえる。
「大丈夫ですか?
聞こえていますか?」
彼女が、
すぐにスマホを手に取った。
「すみません。
代わりました」
「はい」
「看護師さん、
少し気分が悪くなったみたいで……」
「分かりました」
元刑事さんの声が、
少し柔らかくなった。
「今日は、
もう詳しい話はしない方がいいでしょう」
「はい」
「明日の午前中、
そちらへ伺います。
その時に、
今分かっていることと、
これからどうしていくかを、
皆さんと一緒に考えましょう」
「分かりました」
「今夜は、
無理に何か聞こうとせず、
そばにいてあげてください」
「はい」
「では、
明日伺います」
「ありがとうございます」
彼女は、
電話を切った。
部屋の中が、
急に静かになった。
看護師さんは、
何も言わない。
彼女も、
スマホを置いたまま、
しばらく動かなかった。
私は、
二人を見ていた。
何と言えばいいのか、
分からない。
看護師さんは、
目を閉じた。
私は、
座布団を二つ折りにして、
看護師さんの頭の下に置いた。
「少し、
横になってください」
看護師さんは、
何も言わず、
ゆっくり横になった。
私は、
その顔を見た。
何を聞いたのか、
私には分からない。
ただ、
電話を続けられなくなるほど、
看護師さんにとって辛い話だったことだけは分かった。
彼女は、
冷蔵庫から麦茶を取り出した。
グラスに注ぎ、
一気に飲み干す。
それを見て、
私も喉がからからになっていることに、
初めて気づいた。
私は、
空いたグラスを借りた。
麦茶を注ぎ、
同じように一気に飲んだ。
冷たい麦茶が、
喉を通っていく。
でも、
胸の中の重さは、
少しも流れていかなかった。
横になった看護師さんは、
タオルを顔に当てていた。
泣いているのかどうか、
私には分からない。
何も話さない。
彼女も、
何も聞かなかった。
私も、
聞けなかった。
カールが、
ゆっくり顔を上げた。
看護師さんを見て、
彼女を見る。
それから、
私を見る。
また、
看護師さんを見る。
何度も、
私たちの顔を見比べていた。
部屋には、
言葉がなかった。




