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第192話 祈り方を教えて

部屋に入ると、


彼女が言った。


「麦茶、


入れますね」


冷蔵庫を開け、


手際よく三人分の麦茶を用意する。


ももとカールには、


それぞれのお皿にミルクを入れた。


彼女は、


看護師さんの前に麦茶を置きながら言った。


「娘さん、


今は看護師さんに会いたくないって、


言ってるんですよね」


「うん」


「これからどうするか、


一緒に考えてみませんか?」


看護師さんは、


少し考えてから答えた。


「そうだね……。


娘が今、


自分の置かれてる状況を、


どこまで分かってるのか。


それが、


私にはまだよく分からないの」


麦茶のグラスに、


そっと手を添えた。


「夫は今、


行方が分からない。


マンションの家賃や入院費は、


あの元刑事さんが払ってくださっていて、


返さなくていいとまで言ってくださった」


少し間を置いた。


「でも、


娘がそのことを、


どこまで分かってるのか……。


これからは、


一人で全部抱えなくてもいいことや、


私を頼ってもいいんだってことを、


今の娘が受け入れられるのか。


そこが分からないの」


看護師さんは、


一度息を吐いた。


「転院のことだって、


娘自身がどう思ってるのか、


いつかは話してみたいと思ってる」


そして、


少し考えてから続けた。


「もちろん、


今は私に会いたくないって言ってるんだから、


少し時間を置いた方がいいとは思ってるけど……」


彼女の表情が、


少し引き締まった。


「ちょっと、


言いにくいんですけど……」


「なに?」


「元刑事さんが、


家賃や入院費を払ってくださっていることは、


今すぐ娘さんに説明しなくてもいいように思うんです」


看護師さんが、


彼女を見た。


「どうして?」


「今は、


お金のことを、


娘さん自身が何とかしなくても大丈夫なんですよね」


「うん」


「だったら、


急いで現実のことを全部理解してもらおうとしなくても、


いいんじゃないでしょうか」


彼女は、


少し言葉を選んだ。


「娘さん、


今は心も体も、


かなり疲れてると思うんです。


いろんなことを一度に考えなきゃいけなくなったら、


もっと苦しくなってしまうかもしれない」


看護師さんは、


黙って聞いていた。


彼女は、


さらに声を落とした。


「精神科病棟に入院していても、


絶対に何も起きないとは言い切れないと思うんです。


気持ちが不安定な時は、


衝動的に自分を傷つけてしまうことだってあるから……」


彼女の声は、


静かだった。


でも、


その言葉には重みがあった。


この病院に入院していた頃、


彼女自身、


ぎりぎりのところまで追い詰められていた。


だからこそ、


今の言葉は、


軽く聞き流せるものではなかった。


看護師さんは、


ゆっくりうなずいた。


「ありがとう」


そして、


もう一度言った。


「本当に、


ありがとう」


彼女を見ながら、


続けた。


「私、


順番を間違えるところだった。


お金のことは、


今は触れないようにするよ」


少し間を置いた。


「言いにくいこと、


言わせちゃったね」


彼女は、


首を振った。


「でも、


言ってくれて嬉しいよ」


その時、


看護師さんのスマホが鳴った。


画面を見る。


警察病院からだった。


「もしもし」


看護師さんの表情が、


少し変わった。


「はい……。


はい」


私と彼女は、


黙って見ていた。


電話の向こうは、


娘さんの担当医だった。


「先ほどは、


どうもありがとうございました。


実は、


少しお伝えしておいた方がいいことがありまして」


「はい」


「先ほど、


娘さんの夫だと名乗る男性から、


病院へ電話がありました」


看護師さんの顔から、


さっきまでの穏やかさが消えた。


「夫から……?」


「はい。


かなり強い口調で、


病室を教えるよう求められました。


もちろん、


こちらからお伝えしてはいません」


「……はい」


「これまでの経緯は伺っていますので、


念のため、


お母様にもお知らせしておこうと思いまして。


保証人の方にも、


お伝えしてあります」


「ありがとうございます」


「娘さんには、


今のところ、


この電話のことは伝えていません。


現在の状態を考えると、


まずは刺激を増やさない方がいいと判断しました」


「はい……」


「病院としても、


必要な対応は取ります。


もしご家族の方でも、


何か心配なことがあれば、


遠慮なくご相談ください」


「分かりました。


ありがとうございます……」


電話が切れた。


看護師さんは、


スマホを握ったまま、


動かなかった。


表情が、


険しくなっている。


私も彼女も、


何も聞かなかった。


看護師さんが話すのを、


ただ待った。


しばらく、


沈黙が続いた。


カールが、


ゆっくり立ち上がった。


そして、


看護師さんのところまで歩いていき、


真正面に座った。


じっと、


顔を見上げている。


看護師さんは、


カールを見た。


それから、


私たちを見た。


「ねえ……」


「はい」


看護師さんは、


少し迷ってから言った。


「神様に祈るって……。


どうしたらいいのか、


教えてくれる?」


私は、


すぐには答えなかった。


彼女も、


何も言わなかった。


電話の内容は、


私たちも気になっていた。


でも今は、


看護師さんが次に言う言葉を、


待とうと思った。

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