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第191話 考える人

水族館からの帰り。


空いている電車に、


三人並んで座ることができた。


窓の外を、


街の景色がゆっくり流れていく。


透き通ったようなオレンジ色の光が、


建物や道路を照らしていた。


なんだか、


目に沁みるほどきれいだった。


こうして、


三人で並んで座っていると、


ふと、


不思議な気持ちになる。


私と彼女は今、


看護師さんの部屋に、


居候させてもらっている。


少し前まで、


こんな生活をしている自分なんて、


想像したこともなかった。


もし、


あのまま会社へ通い続けていたら、


私は今頃、


毎朝電車に乗って、


仕事をして、


お給料をもらって、


それまでと同じような生活を続けていたのだろうか。


適応障害になったことを、


よかったと思うわけではない。


あの頃は、


本当に苦しかった。


でも、


会社を辞めてからの短い間に、


私は、


それまで知らなかったことを、


いくつも知った。


一番大きかったのは、


やっぱり、


あの老人との出会いだったと思う。


そして、


あの海岸で聞いた、


神様の声。


今考えても、


信じられないような出来事だ。


それから、


導かれるように、


看護師さんと出会い、


彼女と出会った。


そして今、


こうして三人で、


同じ電車に並んで座っている。


私はずっと、


自分なんて、


誰の役にも立たない。


そんなふうに思い込んでいた。


もちろん、


看護師さんにも、


彼女にも、


たくさん助けてもらった。


でも、


振り返ってみれば、


私も二人のために、


ほんの少しくらいは、


何かできたことがあった。


誰かのために、


自分にもできることがある。


そのことが、


こんなに嬉しいなんて、


以前の私は知らなかった。


会社に勤めていた頃は、


少なくとも私は、


そんな喜びを、


ほとんど感じられずにいた。


自分の存在が、


誰かの支えになることがある。


それを知ったのは、


ここへ来てからだった。


窓の外を眺めながら、


私は、


彼女が言っていたことを思い出した。


神様を信じる前の私は、


いったい何を、


よりどころにして生きていたんだろう。


何も信じていなかったのだろうか。


いや、


きっと何かは信じていたのだと思う。


でも、


何だったんだろう。


うまく思い出せない。


朝、


夢から覚めた時、


たしかに何かを見ていたはずなのに、


どうしても思い出せないことがある。


なんだか、


それに似ていた。


神様を信じる前の私は、


どんなふうに世界を見ていたんだろう。


本当に、


不思議だった。


*


病院に着いた。


部屋のドアの前まで来ると、


中から、


カールの、


「ハァ、ハァ」


という息遣いが聞こえてきた。


彼女がドアを開ける。


カールが、


全身で喜びを表すように、


こちらへやってきた。


ももも、


その後ろから、


一緒に迎えに来てくれた。


私は、


カールが看護師さんを見る目に、


ふと引きつけられた。


まっすぐだった。


カールは、


食べることが大好きだ。


散歩も好きだ。


ご飯を夢中で食べている姿を見ていると、


こっちまで気持ちよくなる。


でも、


それだけではないような気がする。


看護師さんのそばにいる時。


誰かを助けようとしている時。


カールは、


いつもどこか嬉しそうに見える。


少なくとも、


私にはそう見えた。


カールにとって、


誰かの役に立つことそのものが、


喜びなのだろうか。


そんなことを、


考え始めてしまった。


別に、


カールから人生を学ぼうなんて、


思っているわけではない。


でも、


この子の生き方は、


なんだかシンプルだ。


食べる。


眠る。


走る。


大切な人のそばにいる。


必要な時には、


できることをする。


迷いがないように見える。


私は、


いつも考えすぎる。


どう生きたらいいんだろう。


何をしたらいいんだろう。


これでいいんだろうか。


でも、


そんなに難しく考えなくても、


いいのかもしれない。


私は、


私のままで。


神様を信じて、


神様に委ねながら、


生きていけばいい。


できることを、


できる範囲でやればいいんだ。


「どうしたの?」


看護師さんの声がして、


私は我に返った。


どうやら、


ずっとカールを見ながら、


黙り込んでいたらしい。


私は、


考え事を始めると、


時々、


周りの世界が見えなくなる。


「いろいろ、


考えてました」


そう答えると、


彼女が、


私の顔を見た。


「ロダンの『考える人』みたいだったよ」


「そんなに?」


「うん」


彼女は、


少し間を置いて言った。


「でも、


それがあなたらしいんじゃない?」


そして、


少しだけ羨ましそうに、


私を見た。


「私、


そういうところ、


ちょっと羨ましいよ」


看護師さんの表情が、


ふっとやわらいだ。

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