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第174話 祈ってもいい?

私たちは、


一階のカフェへ向かった。


軽いモーニングを食べることにした。


その間、


ももとカールは中庭で自由時間。


カフェから中庭が見えるので、


安心していられる。


看護師さんは、


アイスコーヒーを眺めながら言った。


「私ね……。


あの老人の手紙のことなんだけど……。


なんだか、


ずっと気になっていてね。


コピーしておいたものを、


持ち歩いてるの」


そう言って、


バッグの中から取り出した。


きれいにファイルされている。


中身は普通のコピー用紙なのに、


ベージュ色の革のカバーまでつけてあり、


一冊の本のようになっていた。


表紙には、


ひらがなで、


『ふるさと』


と書かれている。


「私、


これを持ち歩いて、


何度も読み返してるの。


それからね。


あの方が、


この病院で亡くなる少し前に言った言葉も、


なぜか忘れられないの」


看護師さんは、


少し間を置いた。


「『赦してください……。


赦してください……』


って言ったの。


あの時は、


誰に向かって言っているのか、


分からなかった。


でも今は、


神様に向かって言っていたんじゃないかって、


そんな気がするの」


私たちの顔を見て、


少し笑った。


「突然こんな話したら、


びっくりするよね」


彼女が、


すぐに首を横に振った。


「そんなことないです。


聞かせてください。


聞きたいです」


私も、


大きくうなずいた。


「そう……。


前にも話したと思うけど、


私、


何度も考えてしまうの。


あの方、


原爆でご両親と妹さんを亡くして、


神を憎んだと書いてあったでしょう。


アメリカを憎んだ。


アメリカ人の神を憎んだって。


私、


その気持ちが、


少し分かるような気がしてたの」


看護師さんは、


一度アイスコーヒーに目を落とした。


「聖書の神様を信じている、


あなたたちには、


ちょっと言いにくいんだけど……。


どうして神様は、


あんな残酷なことが起こるのを許すんだろう。


そこが、


今いちばん引っかかってるの。


娘のことがあったから、


余計にそう思うのかもしれない」


しばらく黙ってから、


また話し始めた。


「その答えを知りたくて、


あの手紙を何度も読んでるんだと思う。


あの方は、


ずっと憎んでいた神様に、


最後の最後で、


『赦してください』


と言った。


そこが、


まだ私には分からないの。


いくら考えても、


分からない。


だから、


一度祈ってみようと思ったの」


そして、


少し照れたように笑った。


「こんな言い方、


失礼かもしれないけど……。


自分がどう感じるのか、


知りたいの」


それから、


私たちを見た。


「ちょっと、


聞いてもいい?


まだ聖書の神様を信じてもいない人間が、


祈ることに意味ってあると思う?


祈っても、


いいと思う?」


彼女も私も、


すぐには何も言えなかった。


看護師さんは、


そのまま話を続けた。


「私はね。


神様がいること自体は、


信じてるの。


でも、


その神様が、


聖書に書かれている唯一の神様だというところが、


まだ分からないの……。


あなたたちは、


どう思ってる?」


私たちは黙っていた。


「娘のことで、


神様は確かにいるんじゃないかっていう気持ちは、


前よりずっと強くなった。


それは、


心からそう思ってる。


嘘じゃない。


聖書の神様は、


すばらしいと思ってる。


それも本当。


でも、


唯一の神様だというところが、


どうしても分からないの」


彼女は、


少し自信なさそうな顔をしていた。


でも、


何か言おうとしている。


「あの……。


聖書の神様を信じたからって、


神様のことが全部分かるようになるわけじゃないと、


私は思うんです。


私は、


聖書の神様が唯一の神様だと信じています。


でも……。


神様を信じるって、


なんだか結婚に少し似ているような気がするんです」


彼女は、


一度言葉を止めた。


「私、


まだ結婚するような相手もいませんけど……。


いつか結婚する時が来るかもしれません。


でも、


世界中の男性を全部調べて、


その中から一人を選ぶなんて、


できないですよね。


出会って、


この人を信じたいと思う人と、


一緒に生きていくんだと思うんです。


神様のことも、


全部を分かってから信じるんじゃなくて、


出会って、


この方を信じたいって思うことなのかなって……」


そして、


少し考えてから付け加えた。


「聖書では、


教会をキリストの花嫁にたとえていますし……」


私は、


彼女の言葉に感心していた。


でもその時、


看護師さんの顔に、


苦しそうな表情が浮かんだ。


「結婚……」


小さくつぶやいた。


「娘は、


なんであんな旦那と、


結婚しちゃったんだろうね……」


私は、


何も言えなかった。


彼女も黙っていた。


しばらくして、


私は口を開いた。


「娘さんのこと、


今ここで祈ってもいいですか?」


言ったあとで、


自分でも驚いた。


何を言ってるんだろう。


でも、


彼女はうなずいてくれた。


看護師さんも、


ゆっくり目を閉じた。


そして、


小さな声で言った。


「祈って……」


私も、


目を閉じた。


でも、


何をどう祈ればいいのか、


分からなかった。


「神様……。


神様……」


今日も、


それ以上の言葉は出てこなかった。


すると、


看護師さんが、


私の両手を、


上からそっと包むように握ってくれた。


ふわっとした、


温かい手だった。


「うん。


うん」


そう言ってくれた。


目を開けると、


看護師さんの目には、


涙がにじんでいた。

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