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第173話 祈ってみようか

「私たち、


朝食まだなの。


あなたは?」


看護師さんが、


カールのお腹をさすりながら聞いた。


「私も、


まだです。


ももとカールは、


ドライフードとミルクを、


しっかり食べました」


「そう。


ありがとう。


あの二匹、


面倒かけなかった?」


「はい。


二匹とも、


しっかりお留守番してました」


中庭で一瞬、


ももが行方不明になったことは、


黙っておいた。


看護師さんが、


ゆっくりした口調で話し始めた。


「昨夜、


404号室の奥さんとご主人に、


お会いできました。


娘が入院することになった経緯や、


奥さんのご両親のお心遣い。


それから、


娘の旦那が行方不明になっていることも、


聞かせてもらいました」


少し間を置いて、


続けた。


「今、


娘には、


解離性健忘という症状が出ているそうです。


深い心の傷や、


強いストレスなどがきっかけになって、


記憶がうまく思い出せなくなることがあるの。


特に、


つらい出来事や、


恐ろしい体験に関する記憶が、


曖昧になることもあるみたい。


心が自分自身を守るために、


そういう反応を起こすことがあるとも言われているけど、


まだ分からないことも多いの。


それから、


食事も、


うまく取れなくなっているみたい」


彼女が、


すぐに言った。


「私、


何でもしますから。


何でも言ってください」


訴えるような声だった。


看護師さんは、


小さくうなずいた。


「ありがとう。


嬉しい……。


娘は、


旦那には恵まれなかったかもしれない。


でも、


お隣の奥さんや、


そのご両親には、


本当によくしてもらっていたみたい。


私には、


奇跡みたいに思えるの。


見えない何かが、


ずっと娘を守ってくれていたような気がして……」


そこまで話すと、


看護師さんは、


両手で顔を覆った。


声を殺すように、


静かに泣き始めた。


彼女は、


看護師さんの後ろから肩を抱き、


一緒に泣いた。


彼女は、


ただ同情しているのではない。


自分の痛みと重ねながら、


本当にその苦しみを感じているのだと思った。


私は、


少しだけ冷静だった。


看護師さんや、


娘さんの力になりたいという気持ちは、


私も同じだった。


でも、


彼女と私では、


できることが違う。


そう感じていた。


彼女と私が、


それぞれにできることをすればいい。


二人で力を合わせれば、


きっと支えていける。


そんな希望が、


胸の奥に小さく灯った。


看護師さんは、


洗面所で顔を洗い、


タオルで拭きながら言った。


「二人には、


本当に感謝してる。


ありがとう。


遠慮しないで、


相談させてもらうね」


そう言って、


少し笑った。


そして、


続けた。


「朝ご飯を食べて、


少し休んでから、


娘のいる警察病院へ行ってくるね。


転院は、


少し手続きがややこしいから、


今日は一人で行ってくる。


娘には、


今日は会わないつもり。


私にも、


心の準備がいるの。


娘が、


母親の勤めている病院へ、


素直に転院してくれるかどうかも分からないし……。


いろいろあったから」


そこで、


看護師さんは、


少しだけ言葉を止めた。


「私ね。


娘に会う前に、


一度、


聖書の神様に祈ってみようかと思ってる。


ちゃんと祈れるかどうかは、


分からないけど……」


その時、


ももが、


「ぐゎっ」


と、


変な声を出した。


彼女が、


看護師さんの言葉に驚いて、


抱いていたももを、


するりと畳の上へ落としてしまったのだ。


ももも、


彼女を見上げながら、


びっくりしたような顔をしていた。

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