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第171話 満月を仰いで

午前零時十分。


私はスマホを持っていないので、


向こうから連絡をもらうことはできない。


ももとカールは、


もう眠っている。


一人で、


中庭にある電話ボックスまで行くことにした。


看護師さんではなく、


彼女の方へ電話をかけてみた。


「もしもし。


今日は帰ってこられないの?」


「うん。


話が長くなって……。


もう終電も終わってるし。


詳しいことは、


明日ぜんぶ話すから……」


「ちょっと、


代わって……」


電話の向こうから、


看護師さんの声がした。


「ごめんね。


話が長引いてしまって。


あなた、


体調は大丈夫?」


「大丈夫です。


ももとカールも元気です。


今は、


二匹とも寝ています」


看護師さんの声は、


いつもと変わらないように聞こえた。


でも、


疲れていないはずはない。


「帰りは明日の朝になるから、


ももとカールを頼むわね」


「はい。


大丈夫です。


安心してください」


それだけで、


電話は切れた。


どんな話になったのだろう。


電話ボックスを出て、


花壇の縁に腰を下ろした。


そして、


また夜空を見上げた。


夜空は、


楽しい時よりも、


少し苦しい時や、


寂しい時の方が、


きれいに見えるような気がする。


泣いていなくても、


目には少し涙が浮かんでいるのだろうか。


涙のレンズが、


星や月を輝かせているのだろうか。


今、


心の中にあることを、


全部言葉にしてみよう。


なぜか、


そうしてみたくなった。


声にすることで、


自分の気持ちを整理したかったのかもしれない。


誰も聞いていない。


構えなくていい。


思ったことを、


そのまま声に出した。


最初に出てきた言葉は、


「神様」


だった。


「神様。


看護師さんと娘さんが、


これ以上苦しくならないようにしてください。


娘さんが、


旦那さんと会わなくてもいいようにしてください。


入院費や家賃のことは、


私には何もできません」


それだけしか、


言葉が出てこなかった。


口にしたあと、


ふと思った。


これは、


祈りなのだろうか。


それとも、


自分の心にあることを、


ただ声にしただけなのだろうか。


分からなかった。


でも、


胸の中に入っていた余計な力が、


少し抜けたような気がした。


少しだけ、


冷静になれた。


もう一度、


夜空を見上げた。


月が、


きれいだった。


あまりにも美しい、


満月だった。


次の満月は、


何日後なのだろう。


このまま座って見るだけでは、


なんだかもったいない。


私はまた、


花壇の縁に仰向けになった。


四角く切り取られた夜空の真ん中に、


こんなにきれいな満月が浮かんでいる。


太陽は、


まぶしすぎて、


直接見つめることはできない。


でも、


月なら、


いつまでも見つめていられる。


夜、


人の心が穏やかに休めるように、


神様がそうしてくださったのだろうか。


看護師さんも、


彼女も、


ももも、


カールもいない。


誰もいない中庭で、


私は、


神様と二人だけで、


デートをしているような気持ちになった。


夜空に、


あんな満月をぽっかり浮かべることができるのは、


神様しかいないように思えた。


私は、


難しく考えずに信じられる自分を、


少し嬉しく思った。


聖書の神様の言葉を信じて、


生きていけばいい。


難しいことを、


難しく考え続ける生き方は、


私には向いていない。


『明日のことは、


明日が心配する』


それでいい。


私は、


そうやって生きていこうと思った。

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