第168話 両手の鼓動
「看護師さんに伝えてくる!」
そう言って、
彼女は急いで靴を履き、
部屋を出ていった。
しばらくして、
看護師さんと一緒に戻ってきた。
看護師さんは、
私を見るなり言った。
「あなた、
大丈夫?」
私のそばへ来ると、
右手を取り、
脈を確かめた。
「気分はどう?
たぶん心配はいらないと思うけど……。
でも、
今日は部屋で休んでいなさいね」
そう言うと、
カップにミルクを注ぎ、
電子レンジへ入れた。
それから、
急いで着替えを始める。
着替えながら、
ももとカールに言った。
「助けてあげるのよ」
私は、
一瞬きょとんとした。
レンジからホットミルクを取り出し、
私の前へ置く。
「ゆっくり飲んで、
休んでいてね。
……何も心配いらないから」
私の体調のことを言ったのか、
娘さんのことを言ったのか、
よく分からなかった。
ももとカールのことを、
よろしくと言われるのだと思っていた。
でも、
看護師さんは二匹に、
「助けてあげるのよ」
と言った。
冗談には聞こえなかった。
着替え終わると、
看護師さんは彼女に、
「じゃあ、
行こう」
とだけ言った。
二人は、
急いで部屋を出ていった。
ドアの閉まる音が、
何かが始まる合図のように聞こえた。
今の私にできることは、
祈ることだ。
それが、
今の私にできることだった。
ホットミルクをひと口飲み、
目を閉じた。
そして、
祈り始めた。
祈りといっても、
言葉はほとんどなかった。
「神様……。
神様……」
それだけだった。
何分くらい、
そうしていたのだろう。
目を開けると、
窓から差し込む夕日で、
部屋がオレンジ色に染まっていた。
「神様……。
神様……」
私は、
それだけを繰り返していた。
何を、
どう祈ればいいのか分からなかった。
左手で、
カールをもう一度抱き寄せた。
手のひらを、
カールの胸へ当ててみる。
鼓動が伝わってきた。
力強い、
命の鼓動だった。
しばらく、
その鼓動を感じていた。
オレンジ色の夕日を眺めながら、
ふと思った。
生きるって、
どういうことなんだろう。
命って、
なんなんだろう。
ぼんやり考えながら、
今度は右手を、
膝の上にいるももの胸へ当ててみた。
ももの鼓動も、
はっきり伝わってきた。
両手に伝わる、
二つの命の鼓動。
さっき、
看護師さんが私の脈を取ってくれたことを思い出した。
あの時、
看護師さんは、
脈拍の数だけを見ていたのではないのかもしれない。
私の不安まで、
見ようとしてくれていたのかもしれない。
この部屋には、
ももとカールと私がいる。
そして、
神様も一緒におられるような気がした。
人間も動物も、
自分の力だけで生きているわけではない。
それぞれに、
生かされている命がある。
そんなふうに思えた。
二匹の命の鼓動が、
両手から伝わってくる。
ももとカールは、
何も言わない。
でも、
その鼓動だけで、
「これが命だよ」
と教えてくれているようだった。
少しずつ、
心が落ち着いてきた。
私の心の変化が、
二匹にも伝わったのだろうか。
ももとカールは、
いつの間にか、
静かに眠っていた。
命には、
休息が必要なんだ。
大きな体と、
小さな体が、
そう教えてくれているようだった。
私は、
二匹のかわいい寝顔を、
しばらく眺めていた。




