第166話 自分を後回しにして
今日、
看護師さんが部屋へ戻ってくるのは、
何時頃だろう。
昨日の電話のことが、
気になっているはずだ。
本当に、
いろいろな出来事が次々と起こる。
でも、
それが現実の生活なのだと思う。
看護師さんは、
娘さんのことで頭がいっぱいのはずだ。
それでも、
ももの体調や、
手術が延期になった女の子のことも、
きっと気にしている。
気にかかることなんて、
誰にでもいくつもある。
私たちにも、
仕事への復帰や、
彼女の引っ越しという問題が迫っている。
私は、
優先順位を間違えたくないと思っていた。
自分の病気や生活、
お金のことを脇へ置いて、
心情的にやりたいことだけへ逃げたくはない。
なぜか私は、
自分のことを後回しにする方が、
楽に感じてしまう。
誰かのために動いている間は、
自分の問題を見なくても済むからなのかもしれない。
まず、
このことを神様に祈りたかった。
自分の生活のこと。
お金のこと。
責任のこと。
その次に、
気になっている母のメニエールのこと。
私がしなければならないことの、
優先順位を間違えないように。
そう祈りたかった。
肩を、
軽く叩かれた。
目を開ける。
彼女だった。
「何?」
「何じゃないよ。
どうしたの?
急に黙り込んで、
びっくりさせないでよ」
私はそこで初めて、
自分が目を閉じていたことに気づいた。
祈ろうと思っていた。
でも、
いつの間にか、
もう祈っていた。
そのことに、
自分でも少し驚いた。
彼女を見て、
「ちょっと考え事してただけ」
とだけ答えた。
わざわざ言うことでもないと思った。
自分のことを後回しにして、
誰かのために、
時間や心を使っていく。
それ自体は、
正しいことだと思う。
でも、
自分のことから逃げているような感覚が、
どうしても消えなかった。
他の人のことを考えている方が、
自分の問題と向き合うより、
心が楽なのだと思う。
自分が、
自分から逃げないように。
そこさえ間違えなければ、
自分より他の人を優先することは、
きっと間違っていない。
そのことを、
神様に確かめたかった。
もう一度、
祈ってみた。
すると、
少しずつ、
心が軽くなっていった。
不思議だった。
自分が本当に思っていることを、
そのまま神様へ話せた。
それだけで、
何とも言えない解放感が、
心の中へ広がっていった。
ももとカールを見る。
祈ったあと、
私の心の中に、
少しだけ答えのようなものが残った。
今、
あの女の子のために。
ご両親のために。
看護師さんのために。
時間や心を使うことは、
決して自分の問題から逃げることではない。
今は、
それでいい。
そんなふうに思えた。
自分の生活や、
お金のことまで、
放っておいてよいわけではない。
でも、
それも含めて、
神様は見ていてくださる。
そんな手応えがあった。
私の、
心からの祈りだった。
本当に、
不思議な感覚だ。
胸の奥に、
少しずつ力が戻ってくるようだった。
私は、
祈りの力に触れたような気がしていた。
その時、
カールが私をじっと見ていることに気づいた。
「えっ?
カールも、
まだミルク飲んでなかったの?」
彼女に聞くと、
「あっ。
忘れてた。
カールにも、
早くあげなきゃ」
「なんで?
ミルク、
たくさん籠に入れたよ。
カール、
かわいそうに」
そう言うと、
彼女が答えた。
「ももが飲まない時は、
カールも飲まないんだって。
看護師さんが言ってた」
カールは、
ずっと我慢していたんだ。
私は急いで、
大きなお皿へミルクを注いだ。
カールは、
前足を遠慮がちに、
ぱたぱたさせている。
その姿を見て、
少し笑ってしまった。
カールから、
優先順位を教えてもらったような気がした。




