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第165話 ももの戦場

看護師さんに言われた通り、


静かに横になっていた。


私の心の状態は、


以前よりかなりよくなっていると思う。


でも、


心の回復力のようなものは、


元気だった頃とは、


やはりどこか違う。


無理をしない方がいい。


そう思って、


ずっと何もせず横になっていた。


時計を見ると、


二時半を回っている。


会ったこともない女の子の恐怖を、


なぜか自分のことのように感じていた。


三時から手術。


もうすぐだ。


手術室へ入る前には、


手術着に着替えるのだろう。


その時には、


ももから少女を離さなければならないはずだ。


今、


どんな状態なのだろう。


どんな手術なのかも聞いていない。


何も分からない。


ももも、


カールに負けないくらい、


人の心の変化を感じ取ることができる。


あの小さな体を少女に預けて、


ももなりに懸命に頑張っているのだろう。


もうすぐ、


手術が始まる。


そう思っていた。


その時だった。


ゆっくり、


ドアノブが動いた。


彼女が、


そっとドアを開けて入ってきた。


額には、


玉のような汗が浮かんでいる。


その腕の中には、


少しぐったりしたももがいた。


後ろから、


カールが心配そうについてくる。


彼女が、


ささやくように言った。


「手術、


延期になったよ」


「えっ。


どうして?」


「女の子が、


ももをどうしても離せなくなったの。


ずっと興奮した状態が続いて、


心拍数も血圧も上がってしまって……。


それに、


少し熱も出ていて、


風邪の可能性もあるみたい。


それで、


先生が今日の手術は延期しようって」


「そうだったの……」


「鼻から使う薬で、


女の子は落ち着いて、


今は眠ってるみたい」


彼女は、


ももを見下ろした。


「ももを女の子の手から離した時ね、


両手に、


ももの白い毛が何本もついてた」


*


「もも、


ずっと頑張って耐えてたみたい。


ミルクも飲んでないの。


お皿に入れてあげて」


「うん。


すぐ入れる」


彼女は、


ももを優しく座布団の上へ寝かせた。


「少し元気がないけど、


今のところ大丈夫そうだって、


看護師さんが言ってた。


こういうこと、


前にも何度かあったんだって。


怖くなった子どもが、


何かにしがみつく力って、


本当にすごいよ。


簡単には離せなかった」


私は、


ミルクを入れたお皿を、


ももの前へ置いた。


ももは、


お皿を見るだけだった。


飲もうとしない。


本当に大丈夫なのだろうか。


心配になってきた。


そこへ、


カールが近づいてきた。


もものそばへ伏せると、


お腹のあたりを、


ゆっくり舐め始めた。


少女に強く抱かれていたあたりなのだろう。


カールは、


何度も何度も、


優しく舐めている。


しばらくすると、


ももがゆっくり立ち上がった。


そして、


お皿へ顔を近づけ、


ミルクを舐め始めた。


私たちは、


顔を見合わせた。


「よかった……」


同時に、


胸をなで下ろした。


彼女が言った。


「私ね、


子どもたちのベッドを回るって聞いて、


もっとほのぼのしたものだと思ってた」


ももを見つめながら、


続けた。


「でも、


ももから見たら、


子どもだって巨人みたいなものなんだって。


看護師さんが言ってた。


初めて会う子なら、


カールも、ももも、


それなりに緊張するんだって」


彼女は、


しばらく黙っていた。


「私、


何も分かってなかった。


ももやカールにとって、


楽しいピクニックみたいなものだと思ってたの。


恥ずかしい……」


私は、


何も言わなかった。


今日のももの姿を見れば、


彼女がそう思うのも分かった。


しばらくして、


彼女が何かを思い出したように顔を上げた。


「あっ。


それからね」


「なに?」


「あのハーモニカの老人。


救急車で運ばれてきた次の日に、


女の子のご両親と少し話したんだって」


「老人が?」


「うん。


それでね、


女の子の手術がうまくいくように、


お祈りしてくれたんだって」


私は、


思わず口にしていた。


「あとで、


二人で女の子の病室へ行ってみよう。


私も、


祈りたい」


その言葉を聞いた途端、


ももが、


びっくりしたように顔を上げた。


彼女が笑った。


「大丈夫。


ももは休んでるんだよ」


ももは、


安心したようにもう一度お皿へ顔を戻し、


ゆっくりミルクを飲み続けた。

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