第159話 涙の意味
「ふう……」
湯船に浸かった看護師さんから、
気持ちよさそうな声が漏れた。
私もまねをして、
「ふう……」
と声を出してみた。
「お酒、強いんですね。
ビール二本に、焼酎二杯」
「あんなの、
飲んだうちに入らないよ」
看護師さんは、
無理をして明るく振る舞っているようには見えなかった。
娘さんのことを考えれば、
つらくないはずはない。
それなのに、
どこか喜んでいるようにも見える。
不思議だった。
看護師さんが言った。
「やっぱり、
あなたたちは神様の子どもなんだね。
そう思うよ」
「娘さんの居場所が分かったからですか?」
「それもある。
でも、それだけじゃない」
看護師さんは、
湯船の縁に頭を預けた。
「今日のお昼ご飯の時、
ふと思ったんだよ。
ひょっとしたら、
神様が私のところへ二人を送ってくださったんじゃないかって……。
どうしてかは分からない。
ただ、
そう感じたんだよ」
私は素直にうれしかった。
誰かの役に立てたからだけではない。
私はずっと、
自分が何者なのかを知りたかったのだ。
「神様の子ども」と言われたことが、
うれしかった。
それを看護師さんから言ってもらえたことが、
何よりうれしかった。
看護師さんは、
嘘もお世辞も言わない人だと知っている。
会社で働いていた頃、
私は無能だと思われていた。
露骨に迷惑がられていた。
自分が何者なのかさえ分からなくなるほど傷つき、
適応障害になった。
そんな私が、
「神様の子ども」と呼ばれた。
うれしくて仕方がなかった。
初めて、
自分の本当の名前をもらったような気がした。
私は両手でお湯をすくい、
顔をなでた。
泣きそうになったことを、
お湯でごまかした。
看護師さんが、
しみじみと言った。
「あなたたちは二人とも、
死のすぐそばまで行って、
戻ってきたんだよね……。
私は、
そこまで行ったことはない。
二人が味わった苦しみは、
私には想像もできないくらいだったと思う。
二人とも、
本当にすごいよ。
神様は、
そういう人を遣わされるのかもしれない。
今日のお昼ご飯を食べながら、
そんなことを考えていたんだよ」
少し間を置いて、
看護師さんは続けた。
「さっき、
私がお店で泣いたでしょ。
もちろん、
娘がかわいそうだと思った。
でも、
それだけで泣いたんじゃないんだよ」
看護師さんの声が、
少しだけ震えた。
「神様が訪れてくださったような、
そんなものを感じたんだよ。
あなたたちを通して、
確かに神様を感じていた。
だから、
涙を抑えられなかった。
苦しみだけの涙じゃない。
神様を、
肌で身近に感じたような……。
そんな涙だったんだと思う」
私はその涙の意味を聞かされ、
全身に衝撃が走った。
今さらのようだけれど、
やはり、
本当に神様はおられる。
*
お風呂屋さんを出ると、
すぐ右側にビールの自動販売機があった。
まだ飲むのかな。
見ていると、
やっぱり買うらしい。
看護師さんが私を見た。
「どうする?」
「飲みます」
そう答えた。
風呂上がりで、
喉も渇いていた。
看護師さんはロング缶。
私は一番小さな缶を選んだ。
花壇の縁に並んで座り、
洗面道具を足元へ置いた。
空には、
星が広がっている。
乾杯はしなかった。
「お疲れさま」も言わなかった。
それがよかった。
二人で黙って、
星空を眺めた。
看護師さんがビールをひと口飲み、
小さくつぶやいた。
「神……か」
確かに、
そう聞こえた。
私は聞こえなかったふりをして、
ビールを口に含んだ。
風が、
気持ちよかった。




