第154話 神に委ねて
ぐつぐつと音を立てながら、
三つの黒い鍋が私たちの前へ運ばれてきた。
看護師さんが私を見て言った。
「あなたのすき焼きは、
味を付ける前に半分くらいカールへ分けてもらったからね。
少し少なめにお願いしておいたの。
これくらいなら食べられそう?」
「はい。
これくらいなら食べられると思います」
お金を払ってもらうのに、
残してしまうのは嫌だった。
少し安心した。
彼女がカールのお腹をさすりながら言う。
「カール、よかったね。
いっぱい食べられて」
私が、
「ちょっと食べすぎかなあ」
と言うと、
看護師さんが笑った。
「明日のご飯を少し減らすから、大丈夫」
カールは満足そうに、
「ゴウッ」
と大きなげっぷをした。
瓶ビールがテーブルに置かれた。
看護師さんは、
「ひと口どうぞ」
と言って、彼女のグラスへ注いだ。
「今日は体も心も疲れたでしょ。
ゆっくり食べよう」
そう言ってから、
今度は私をじっと見た。
ビールを注ぎながら、
グラスと私の顔を交互に見る。
「私がショックを受けないように、
どう話そうか考えてるんでしょ。
ありがとう。
でも、何を聞かされても私は大丈夫だから。
メンタルの会の代表なのよ」
そう言って笑った。
彼女が少し大きな声で言う。
「カールに負けないくらい、
食べさせていただきます」
そして、
ビールを一気に飲み干した。
グラスを置いた直後、
「あっ!
乾杯、忘れた!」
と口元に手を当てる。
「乾杯なんか、いらない、いらない」
看護師さんが笑った。
「さあ、食べよう。
食べよう」
私もビールをひと口飲んだ。
看護師さんは自分のグラスへ注ぎ、
おいしそうに口をつけた。
「アルコールは、
人生という手術に耐えるための麻酔である」
看護師さんの突然の言葉に、
私は少し驚いた。
有名な言葉なのだろうか。
*
私たちは、
おいしいすき焼きをゆっくり味わった。
食事をしながら、
それぞれがいろいろなことを考えていたのだと思う。
会話はほとんどなかった。
それでも、
気まずい沈黙ではなかった。
やがて食事を終えると、
彼女が大きく息を吐いた。
「ふう。
おいしかったです。
すき焼き、久しぶりに食べたかったんです。
本当においしかったです。
ごちそうさまでした」
その時、
彼女のスマホが鳴った。
画面を見る。
「四〇四号室のお母さんからだ」
彼女はそれだけしか言わなかった。
けれど、
その表情を見た看護師さんの目が、
一瞬、鋭く光った。
そして、
ゆっくり座り直した。
「ここで話して。
聞きたいから」
それだけ言うと、
「もも、こっちへおいで」
と呼んだ。
看護師さんの不安が、
こちらにまで伝わってくるようだった。
ももがゆっくり看護師さんの前まで来る。
看護師さんは、
ももの両脇に手を入れ、
胸へしっかり抱き寄せた。
彼女の言葉を、
ひと言も聞き逃すまいとしているように見えた。
私は心の中で、
ただ、
「神様!」
と叫んでいた。




