第153話 もうすぐだからね
*
感じのいい和食屋さんだった。
高級感はないけれど、
どこか落ち着ける雰囲気がある。
値段も手頃そうなお店だったが、
ペットと一緒に食事ができる個室が二つあるらしい。
看護師さんはよく来ているようで、
女主人らしき人と親しそうに話していた。
ここは、
カールがよくお使いに来るお店でもあった。
和食屋さんの隣には八百屋さんがあり、
二つのお店を一緒に経営しているようだった。
一番奥の個室を用意してくれた。
看護師さんは、
部屋に用意されていたウェットティッシュで、
ももとカールの足を丁寧に拭いてあげている。
二匹とも行儀がいい。
そういえば、
看護師さんに叱られているところを見たことがない。
今日はごちそうだということが分かっているのだろう。
二匹とも、
とてもうれしそうだった。
特にカールは、
よだれが止まらない。
彼女がウェットティッシュを取り、
カールの口元に当てた。
すごい量だった。
それでも、
行儀だけはきちんと守り、
おとなしく座っている。
よだれだけは、
どうにも抑えられないらしい。
締まりの悪い水道の蛇口よりも、
はるかに多いよだれが流れ続けている。
彼女はウェットティッシュでは間に合わなくなり、
お風呂用のタオルで、
カールのよだれを受け始めた。
カールの素直すぎる体の反応が、
なんとも愛おしい。
彼女は、
「もうすぐだからね。
もうすぐだからね」
と繰り返している。
看護師さんはポケットから小さなノートとボールペンを取り出し、
何かを書いていた。
書き終わると、
すぐにポケットへしまった。
何も聞かなかったけれど、
何を書いていたのだろう。
すると、
私たちはまだ何も注文していないのに、
ももとカールのご飯が運ばれてきた。
カールの器は、
洗面器ほどの大きさだった。
肉や野菜が、
これでもかというほど入っている。
私は思わず尋ねた。
「カール、
こんなに食べて大丈夫なんですか?」
看護師さんは笑った。
「一瞬よ」
ももの器は小さかったが、
彩りがよく、
いろいろな食材がきれいに混ぜられていた。
看護師さんが二匹に言った。
「お先にどうぞ」
私は、
カールが飛びつくように食べ始めるのだと思っていた。
けれど、
そうではなかった。
よだれを垂らしながら、
ゆっくりとご飯に近づいていく。
そして、
もう一度、
看護師さんの顔を見つめた。
看護師さんが、
「どうぞ」
と言う。
その声を聞いてから、
カールは食べ始めた。
『よし』ではなく、
『どうぞ』。
その言葉が、
なんだか看護師さんらしかった。
食べる速さは驚くほどだったが、
がっついているようには見えなかった。
あれほどよだれを流していたのに……。
カールの品のよさを感じた瞬間だった。
彼女も少し感心しているようだった。
ももには、
もものペースがあるらしい。
時々休みながら、
おいしそうに食べている。
二匹にも、
それぞれの個性があるんだ。
私は微笑ましい気持ちで眺めていた。
けれど、
ふと思ってしまう。
食事が終わり、
お風呂を終え、
ビールを飲む頃には、
すべてを話すことになる。
後回しにしたいという、
いつもの悪い癖が頭をもたげてきた。
女主人が注文を聞きに来てくれた。
看護師さんが言う。
「すき焼きを三人前と、
ビールをお願いします」
「ビール……?
ここで?」
彼女が私の方を見た。
ここで、
話すことになるのだろうか。
看護師さんは私たちの顔を見て、
「話を聞くのは、
お風呂上がりにしてね」
と言った。
ほっとした。
「今は、
喉を潤すだけだから」
そう言ってくれた。
気づくと、
洗面器のような器に入っていたカールのご飯は、
きれいになくなっていた。
カールのよだれも止まっている。
ももは、
まだ半分も食べていなかった。
アルバイトの店員さんが、
カールともものミルクとデザートを運んできてくれた。
若い店員さんが、
「カール、
デザートだよ」
そう言って、
カールの頭を撫でる。
ずいぶん仲がいいようだった。
私はまた、喉が渇いてきた。
話は明日にならないかなあ、
と考えてしまう。
本当に往生際が悪い。




