第152話 窓を開いて
横では、彼女がまだ祈っていた。
もしかすると、何かを考えていただけなのかもしれない。
ただ目を閉じて、黙って座っている。
ももとカールが、彼女の前に行儀よく並んでいた。
二匹とも、不思議そうに彼女の顔を見つめている。
彼女は何も気づいていない。
なんだか、変なお見合いみたいだった。
押し殺していた私の笑い声が、思わず漏れた。
彼女が目を開ける。
すぐ目の前に、ももとカールがいた。
「うわっ!」
驚いて大きな声を上げた。
その声に、ももとカールも驚いた。
二匹の体が同時に、
びくっと動く。
「ああ、びっくりした」
彼女は両手を胸に当てた。
「あっ!」
そこで初めて看護師さんに気づき、向き直る。
「さっき戻りました」
そう報告した彼女の目が、ほんの少し泳いだ。
看護師さんは、彼女の顔をじっと見た。
「……動きがあったんだね。
顔に書いてある」
そう言うと、窓の外へ目を向けた。
しばらく、そのまま海を見ていた。
*
「先に晩ご飯にしよう」
看護師さんの表情が、少し明るくなった。
「今日はお給料日だから、私がおごる。
お給料の日は、ももとカールも、いつもより少しだけごちそうなの」
いつもの笑顔を見せてくれる。
「そのあと、また一緒にお風呂屋さんへ行こう。
それから……
ビールでも飲みながら、ゆっくり聞かせてもらうね」
何かを察しているようだった。
「私も、心の準備をしたいから……」
看護師さんはそう言って、窓を大きく開けた。
海からの風が、部屋の中へ流れ込んできた。
*
隠し事はできない。
そう思った。
私たちは、それほど分かりやすいのだろうか。
「さあ、何が食べたい?
何でもおごるよ」
明るい声の奥に、看護師さんの覚悟のようなものが見え隠れしていた。
きっと、よい知らせだけではないことが伝わってしまったのだ。
娘さんの居場所が分かった。
それは、うれしい知らせだった。
けれど、それ以外はつらい話になる。
うれしいことだけなら、顔を合わせた瞬間に話していたはずだ。
私たちの沈黙が、何もかも物語っていた。
「心の準備をしたいから……」
そう言われた時、私たちは黙り込んでしまった。
重たい空気をつくってしまったと思う。
でも、最初からすべて話すつもりだった。
隠さずに、全部。
突然、彼女が言った。
「すき焼きが食べたいです。
それに、お風呂上がりにビールも」
「分かった。
すき焼きを食べに行こう。
いいお店を知ってるから。
あなたもそれでいいでしょ?」
「あっ、はい」
彼女の言葉に、私は少し呆気に取られていた。
「ペットと一緒に入れるお店があるの。
すぐ近くだから。
お風呂の準備もして行きましょう」
彼女も、看護師さんも強い。
私とは、生きてきた時間が違う。
その時、看護師さんは窓だけでなく、ドアも大きく開けた。
ストッパーをかける。
海からの風が勢いよく部屋を吹き抜け、
三人の髪がふわりと浮き上がった。
それぞれの心の準備が、
静かに始まったようだった。
ももの白い毛は風に押されてぺたんこになり、
体の大きさが半分ほどに見えた。
こんなに小さかったんだ。
吹き抜ける海風。
覚悟の重さと、風の爽やかさが重なって、
私たちは、また一つになったような気がした。




