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15 原爆

老人の謎めいた話は続く。


「私には家族と呼べる者がひとりもおりませんので誰にも話したことがないことですが...


長い話になりますので、今日すべてをお話しすることはできないと思います。


でも、ゆっくり最初から書いてゆきます。


私は広島で生まれ広島で育ちました。

13歳の時、私の町にあの原爆が落とされたのです。

81年前のことです。


その時、私は広島の八本松というところへ母に使いを頼まれて行っていましたので、私だけ爆心地からは離れていました。


しかし、家族は爆心地の近くの第二基町というところに住んでいましたので、ひとたまりもありませんでした。


母も父も一瞬で亡くなったと思います。

確認のしようがありません。


原爆の後、私が家のあったと思われる所に行った時は近所の人も誰も見つけられませんでした。


とにかくひどい状態でまさに地獄そのものだったのです。


その時の強烈な匂いを今でも忘れることは出来ません。


私にはふたつ下の八重子という妹がいたのですが、八重子は奇跡的に助かったのです。


おそらく爆心地から少し離れた友達の家にでも行っていたのでしょう。


しかし、八重子に会えた時は全身ひどいケロイドですでに虫の息でした。

一目見ただけでもう助からないことが分かりました。


原爆の日から1か月が過ぎた頃、八重子は苦しい、苦しい、アメリカが憎い、アメリカが憎いと絞り出すような声をあげていました。


私達には国と国との事情はわかりません。

分かるのは戦争の悲惨さと痛みでした。


若いあなたには歴史上の出来事だと思いますが、私達には生活そのものだったのです。


こんな話を突然聞かされても困りますよね。

でも、あなたが知りたいと言った休ませてあげますという言葉と関係があると思うので我慢して聞いてみて下さい。」


「はい。全部聞かせていただきます。」


そうは言ったものの、私は話の内容が思いもしないことだったので、驚きと同時にだんだん怖くなって、手が震えていた。


適応障害の症状の入口が目の前にあった。

この病のためだと思うが、少しのことで少女のように恐れるようになっているのだ。


医師から今は心に負担をかけないようにと言われていたので、このまま聞き続けるべきかどうか迷っていた。


しかし、あの休ませてあげますという言葉と関係があると聞かされているので、話しを切り上げてもらうことは出来なかった。


私の顔にははっきりと恐れが表れていたのだと思う。


老人はそのような私の表情を見てとって、すぐに話を中断する。


「ごめんなさい。こんな話は今のあなたは聞くべきではないですね。」


そんなことないですと言おうとしたら、声が震えていた。

両手も冷たくなって、下を向いて黙り込んでしまった。


老人は

「明日も良い天気になりそうですね。」

と話をそらしてくれ、

「ちょっとハーモニカを聴いてくださいね」

と書いた。


いつもの黒い鞄から小豆色の柔らかそうな袋を取り出し、そして丁寧に袋からハーモニカを取り出す。


真っ白なハンカチに水のようなものを含ませハーモニカを丁寧に拭く。


両手で大事そうに口に咥えて春が来たをゆっくりしたテンポで吹いてくれた。


私を落ち着かせようとしてくれていることが手に取るようにわかる。


続けて春の小川、紅葉を連続で聴かせてくれた。


私は音楽の力を実感していた。

恐れは少しずつ消えてゆき、手のひらに熱が戻っている。


私はせっかく老人が話そうとしてくれていたのに、無言で遮ってしまったようになったことを心苦しく感じていた。


あの休ませてあげますという言葉がこの老人の被曝体験とどんな繋がりがあるのだろう?


思いめぐらせてもおそらく的外れだと思う。

私が思いつくほど浅い話でないことだけは確かだ。


この人の優しい笑顔の理由は深い痛みと悲しみで磨き込まれた人間の輝きのように見える。


それに静けさの中にある強さが見え隠れしてる。


少し前まで会ったこともない老人と今こうしてふたりでいることが、不思議でたまらない。


老人はさっきの紙コップを遠慮がちに差し出して、もし良かったらもう少しお茶をいただけませんか?


あんなに美味しいお茶を飲んだことはありませんと言って、優しく私を見た。


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