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第146話 語られた夜

「この子もミルクを飲んだらすぐ寝ちゃいますから、


ヒソヒソ話じゃなくても大丈夫ですよ。


安心してくださいね。


二人とも一度眠ってしまえば、時間になるまで絶対起きないんです。


それだけは助かっています」


お母さんは笑顔で話してくれた。


出された冷たいお茶が、おいしい。


やがて、お母さんの方から話を切り出した。


「お隣の奥さん、本当に大変だったと思います。


正直にお話ししますね」


彼女は姿勢を正して言った。


「はい。


全部聞かせていただきます」


お母さんは静かに話し始めた。


「ご主人は、あまり感心できる方ではありませんでした。


毎日のように奥さんへ酷い言葉を浴びせていました。


あまりにも大きな声で怒鳴りつけるので、


その声でこの子たちも怯えてしまって……


本当に大変でした。


喧嘩ではありません。


一方的なものだったと思います。


言葉だけではありません。


暴力もひどかったようです。


見たわけではありません。


でも、隣に住んでいるのですから、


音で分かります。


ご主人は酔っているようには思えませんでした」


「……」


私は言葉が出なかった。


看護師さんがこれを聞いたら、


どれほど悲しむだろう。


「一度、主人が


『これ以上黙っていられない』


と言って、


ドアを開けようとしたことがありました。


でも、中から鍵が掛かっていて入れませんでした。


主人は迷わず警察へ通報しました。


十分ほどで警察官が二人来てくださいました。


激しい怒鳴り声と、


物が壊れるような音を聞いた警察官は、


DVの疑いがあると判断し、


管理人さんからマスターキーを受け取って部屋へ入りました。


部屋は荒れ放題でした。


奥さんはキッチンでしゃがみ込んでいました。


私もドアの外から、この目で見ました。


本当に恐ろしい光景でした。


私には、ご主人はまともな人には見えませんでした。


でも警察官を前にすると、


急におとなしくなって、


『なんでもないです。


なんでもないです』


そればかり繰り返していました。


私はその様子も見ていましたが、


アルコールで酔っているようには見えませんでした。


それが、かえって恐ろしく思えたんです。


お酒の勢いならまだ分かるのですが……」


部屋の空気が重くなった。


お母さんは少し間を置いて続けた。


「その日、警察は一時間ほど、


二人を別々にして話を聞いていました。


ご主人は部屋で、


奥さんはパトカーの中でした。


そのあと、警察官が私たちのところへ来て、


こう言われたんです。


『今日のところは、ご主人だけ警察署で詳しく事情を伺います。


奥様は精神的にもかなり不安定なご様子でしたので、


配偶者暴力相談支援センターの職員がこちらへ向かっています。


今日は支援センターで休んでいただき、


明日、落ち着かれてから改めてお話を伺う予定です。


一時保護施設の場所は安全上お伝えできませんが、


安全は確保されますので、ご安心ください。


DVのことで警察へ通報するのは、


とても勇気のいることです。


本日はありがとうございました』


そう言って、


警察官のお二人は帰って行かれました。


私たちは少し安心しました。


でも……


DVの問題は、


そんなに簡単ではありませんでした。


事態は、


そのあとさらに悪くなっていったのです……


          *


お母さんはベッドで眠る二人の子どもを、


優しい目で見つめました。


お姉ちゃんの額の冷却シートを新しいものに替え、


タオルケットをそっと掛け直します。


そして私たちの方を向いて、


少し辛そうな表情で言いました。


「話、続けますね」


私は空になった湯飲みに目を落とした。


喉が渇いていることに、


その時初めて気がついた。


「もう少し……


お茶をいただいてもよろしいでしょうか」


それを言うのが、


精一杯だった。

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