第128話 老人の手紙⑨
私が好きだった唱歌の故郷や紅葉、春が来た、春の小川...
それらを作曲したのが日本人クリスチャンだったと知った時、大切にしていたハーモニカを海に投げ捨て、唱歌も捨てたつもりでした。
しかし、唇が覚えた振動と心に深く浸透していたメロディーと歌詞は私から離れてくれませんでした。
忘れようとすればするほど、語りかけてくるのです。
八重子を殺したアメリカの神を信仰している日本人クリスチャンが赦せないままでした。
私の唯一の慰めであったハーモニカと唱歌を捨てた日々は、私を廃人のようにしていったのです。
90歳を過ぎていた私にはもう何の喜びも楽しみもなくなっていきました。
あの休ませてあげますという声を聞いたことも忘れてしまっていたのです。
唱歌を捨てた私は魂の抜け殻のようでした。
そんな時、両足と片腕がない男性が路上でキリスト教の布教活動をしているのを見たのです。
たったひとりでビラを配っていました。
私より一回り若いくらいの人です。80歳くらいだと思います。
ハガキくらいの大きさに切ってある紙を配っていました。
私は受け取りませんでしたが、落ちているビラに目が止まりました。
そこには手書きでこう書かれてあったのです。
[すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます]
休ませてあげますという文字に衝撃を受けて、その場から動けなくなっていました。
あの日、海岸で聞いたあの声...[休ませてあげます]が、聖書に書かれてあることを知らされて、私の心は掻き乱されたのです。
私は聖書の神からの声を聞いてしまったのかもしれない...
信じたくありませんでした。
大好きだった日本の唱歌が、私が憎んだ日本人のクリスチャンによって作曲されたことを知らされその上、聖書の神の声を聞いたかもしれないと思うと、自分の人生を呪いたくなリました。
その場に落ちていたビラを、怒りを込めて足で踏みつけて、その場を去ろうとした時でした。
ビラを配っていたその人は、私に向かって丁寧に一礼したのです。
まるで私の怒りのわけを理解しているかのような、慰めの表情だったように見えました。
そして、私の目をしっかり見て、泣き出しそうな声で、訴えるようにこう言ったのです。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。
私は耳が聞こえないので、彼の口元に全神経を集中して聞き取ろうとしたので、普段よりはっきり読み取れました。
彼が私に話しかけたのではなく、聖書に書かれてあるイエスキリストの言葉を言ったことが分かりました。
私はもちろんキリストの言葉など知らないのですが、その時は内容からそのように理解したのです。
それを聞いた時は何のことかわからなかったのですが、それを聞いた後、怒りが鎮まったのをはっきり覚えています。
永遠のいのちという言葉が色と光をまとって私の中に留まっていました。
その時でした。
あの休ませてあげますという声を聞く直前に、山の清流のような真水の匂いがしたことを思い出したのです。




