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第107話 少女のように

壁の前に立って考えていても、


やはり分からないことは分からない。


壁の上に立って初めて向こうの景色が見える。


神を信じるということは、


そういうことなのかもしれない。


私の表情が、


どこか彼女に似てきた気がする。


不思議だった。


私は私のままなのに、


何かが違う。


血液型が変わってしまったような、


そんな不思議な感覚だった。


これが神の子どもとされたということなのだろうか。


神を信じたからといって、


突然すべてが変わったわけではない。


それでも、


心のどこかに新しい感覚が芽生えている。


これが彼女の言っていた


「新しく生まれる」


ということなのかもしれない。


彼女が両手で看護師さんの手を握った。


「辛かったですね……。


看護師さんのために何か出来ることはないですか?」


看護師さんは涙を拭きながら答えた。


「うん……


何もない……


ううん……」


少し考えてから、


ふっと微笑んだ。


「ある。


歳は離れているけど、


お友達になってほしい」


「もちろんです」


彼女がすぐに言った。


そして私を見る。


「ねえ?」


「もう友達になってる」


私も答えた。


看護師さんが少し俯いた。


「主人のことは一生忘れられない。


でも、この痛みも忘れない。


絶対に……」


カールが花壇をじっと見ている。


目をやると、


小さな花が一輪だけ風に揺れていた。


まるで手を振っているみたいだった。



「メンタルの会では、


今も死にたいと訴える人が何人かいるの。


私はいつも緊張してしまう。


間違ったことを言わないように、


言葉を選びながら話してる」


少し間が空く。


「時々考えるの。


あの日、


酔って帰ってきた主人に、


私は何て言えば良かったんだろうって。


何て言えば、


死なせずに済んだんだろうって……」


声が震えていた。


「もうどうにもならないことは分かってる。


でも頭から離れない」


ももが看護師さんの腕の中で丸くなった。


「もし私に、


誰かのために出来ることがあるとしたら、


話を聞くことだと思うの。


時間を取って、


ゆっくり寄り添うこと」


看護師さんは遠くを見るような目をした。


「主人にしてあげられなかったことを、


今度は誰かにさせてもらいたい。


それだけ……」


私は目を伏せた。


あの日、


私が混乱してどうしようもなくなって、


電話口で


「助けて!


助けて!」


と叫んだ。


看護師さんはすぐに来てくれた。


もし、


あの時寄り添ってくれなかったら、


私は何をしていたか分からない。


それくらい危ない状態だった。


看護師さんは、


それを感じ取ってくれた。


私は両親や看護師さんに支えられて、


ここまで来た。


でも私は、


誰かの力になれただろうか。


膝の上で握った自分の手を見つめた。


何も出来ていない。


そんな思いが胸をよぎった。


タオルを口元に当てて泣いている看護師さんが、


いつの間にか同世代の友達のように見えていた。


ずっと大人だと思っていた。


強い人だと思っていた。


でも違った。


私たちと同じだ。


迷い、


苦しみ、


傷つきながら生きている。


その時だった。


彼女が、


あの「もみじ」を小さな声で歌い始めた。


看護師さんの背中を優しく撫でながら、


まるで幼子を寝かしつけるように。


秋の夕日に照る山もみじ


濃いも薄いも数ある中に


松を彩る楓や蔦は


山の麓の裾模様


看護師さんは、


私たちに本当の素顔を見せてくれていた。


その姿は、


どこか少女のように見えた。

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