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第6話 透明な心

私たち二人は何も言えず、


看護師さんを挟むようにそっと両側へ座った。


看護師さんは


「はぁ……」


と息を吐いた。


ため息のようにも、


長い間胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出したようにも聞こえた。


看護師さんはご主人を亡くしている。


自ら死を選ばれた。


それは知っていた。


でも、それ以上のことは何も聞いていない。


彼女がそっと看護師さんの膝に手を置いた。


「話してみてください。


私たち、看護師さんの力になりたいって話していたんです。


聞くことしかできないかもしれませんけど……」


看護師さんは小さく頷いた。


「ありがとう……


あなたたち二人のことは、もうあなたたちの信じる神様にお任せできるって思ったら……


急に夫のことを思い出しちゃって……


ちょっと苦しくなったみたい」


「何でも話してください」


彼女が言う。


「私たち二人で受け止めます」


私も同じ気持ちだった。


ももが看護師さんの腕に抱かれたくなったのだろう。


花壇の縁に飛び乗り、


そっと足元へ近づいていく。


カールはまだ少し戸惑った顔をしていた。


看護師さんが泣き出したことに驚いているようだった。


「夫のこと……だけど……」


そこで看護師さんは首を振った。


「ううん……


その前に、もう一度言わせて。


ありがとう。


本当にありがとう」


私たちは顔を見合わせた。


お礼を言われる理由が分からない。


それでも話を遮らないよう、


二人で軽く首を振った。


看護師さんは続けた。


「夫は自死だった。


四十四歳の誕生日のお祝いをした次の日だった」


夜風が静かに吹いていた。


「私はね……


今でも自分に責任があったんじゃないかって思ってるの」


私は息を飲んだ。


看護師さんの中に、


まだ消えていない痛みが残っていた。


「ありがとう。


もう一度言いたい。


ありがとう……」


声が震えている。


「あなたたち二人が、


間違った選択を思いとどまってくれたから」


涙が頬を伝った。


「残された人はね……


地獄みたいに苦しむの」


私たちは黙って聞いていた。


「あなたたちの周りの人が、


私みたいに苦しまなくてよくなった。


それが何より嬉しいの」


看護師さんは涙を拭った。


「それだけじゃない。


夫はもう帰ってこない。


それは取り返しがつかないこと」


少し間を置く。


「だから私は、


自分にできることをしようって決めたの」


私たちを見た。


「その決心が間違ってなかったって、


あなたたちが目の前で証明してくれた」


声が涙で掠れる。


「これからも、


ももとカールを連れてやっていける。


意味のあることだって思える。


迷いがなくなったの」


そして、


もう一度だけ言った。


「だからお礼が言いたかった」


彼女は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


私は代わりに言った。


「もしよかったら……


続きを話してください。


私たち、ちゃんと受け止めます」


彼女も大きく頷いた。


看護師さんは少し目を閉じた。


そして決心したように口を開く。


「じゃあ……


全部話すね」


夜空を見上げる。


「誕生日の前の日だった。


夫が酔って帰ってきたの」


遠い記憶を辿るような声だった。


「玄関で突然言ったの。


『俺なんかと一緒にならなければよかったんだ。


自由に生きてくれ』って」


看護師さんは首を振った。


「そんなことを言う人じゃなかった」


声が震える。


「優しい人だった。


喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかった」


少し沈黙が流れた。


「あとで分かったの。


夫の会社が傾いていたこと」


私たちは黙って聞く。


「債務整理を進めていた。


離婚の準備までしていた」


看護師さんは俯いた。


「私に借金が残らないように、


弁護士さんに相談してくれていたの」


彼女が息を呑む。


「私は何も知らなかった」


夜風が吹いた。


「私はね、


困っている子どもたちを助けたいと思っていた。


それは今でも間違いだったとは思わない」


少しだけ笑った。


悲しい笑顔だった。


「でも主人は苦しそうだった」


その一言が重かった。


「私は病院の仕事に誇りを持っていた。


患者さんに寄り添うことが好きだった」


声が震える。


「でも……


一番近くにいた主人の苦しさを見ようとしていなかった」


沈黙。


「私は正しいことを言っているつもりだった。


だけど主人には重かったんだと思う」


涙が止まらない。


「私の正しさは、


主人を追い詰めていたのかもしれない」


看護師さんは顔を覆った。


「全部……


手遅れだった」


そこまで聞いた時だった。


彼女が動いた。


年上の看護師さんを、


まるで幼い子どもを抱くように、


そっと抱きしめた。


「ごめんなさい……」


涙声だった。


「何も知らなくて……


自分のことしか考えてなくて……


ごめんなさい……」


私はその光景を見ていた。


この巡り合わせは、


偶然なんかじゃない。


そう思った。


看護師さんは泣いていた。


深い涙だった。


けれどその目の奥には、


新しい決意のようなものが見えた気がした。

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