第101話 彼女の距離感
看護師さんが言う。
「そのパニア、近所の人たちから評判がいいの。
そのかごに欲しいものを書いたメモとお金を入れておくだけで買い物に行ってくれるから。
決まったお店だけだけどね。
そこの奥さんがカールを可愛がってくれるの」
彼女は目を丸くした。
「すごい!」
「もう片方のかごには、ももが入るの。
カールとももはいつも一緒。
ももは車が怖いから、わざわざ遠回りして車の音がしない道を選んで行くのよ」
「自分たちだけで買い物するの?」
「そう。
ちゃんとおつかいしてくれるの」
「すごい……」
彼女は感心したようにカールを見た。
「さ、食べましょう。
今日は特別にももにはお刺身を少し。
カールには茹でた鶏肉もあるから。
お皿に入れてあげて」
カールの尻尾がぶんぶん振れている。
私の摂食障害は完全とは言えない。
それでも改善してきているのは確かだった。
食べたいという気持ちが戻ってきている。
それが嬉しかった。
おにぎりも、
ポテトサラダも、
温かいコーンスープも、
みかんも。
全部美味しかった。
私は出口の近くまで来ている。
そんな確かな手応えがあった。
気づくと涙がこぼれていた。
彼女が覗き込む。
「どうしたの?
大丈夫?」
今までなら、
「なんでもない」
と答えていたと思う。
でも今日は違った。
「摂食障害で苦しんできたの。
食べられるようになってきたことが嬉しくて……」
言葉にした瞬間、
胸が軽くなった。
素直な気持ちを誰かに聞いてもらうことが、
こんなにも心地いいなんて知らなかった。
看護師さんの目が潤んでいるのが見えた。
隣では彼女が何も言わず、
私の膝を優しく撫でてくれていた。
カールは皿を鳴らしながら勢いよく食べている。
ももは前足を揃えて、
上品にゆっくり食べていた。
対照的だけれど、
どちらも可愛い。
みんなで一緒に食べるというだけで、
こんなにも幸せになれるものなのだと思った。
その時だった。
彼女が立ち上がり、
看護師さんのコップに温かいお茶を注いだ。
続けて私のコップにも注ぐ。
そしてポットを置くと、
看護師さんの後ろに回り込んだ。
何も言わず、
肩を揉み始める。
看護師さんは目を閉じた。
「そこそこ。
首の後ろが硬いのよ」
二人とも自然だった。
「肩揉ませてください」
そんな言葉はない。
「ありがとう」
という言葉もない。
それでも十分だった。
私は黙ってその様子を見ていた。
私には真似のできない距離感だった。
彼女は神様に対しても、
こんなふうに真っ直ぐ心を開いたのかもしれない。
そんなことを考えていた。
私はまだ、
彼女のいる場所までは辿り着いていない。
神を信じているとも言えない。
でも――
神などいない。
そう言い切ることも、もう出来なくなっていた。
彼女が教えてくれた聖書のことば。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
この言葉が、
私自身に、
この私に向けて語られているのだと、
本当に受け取ることが出来たなら――
その時
私は動く。




