第31倭 原典の 絶望超えて 此処に十界直霊せん 【中編】
其之参 『黄泉逝く月への蒼焔の献身』(ミヅチ・キクリ之章一)
「……また二柱揃いし……なり、であるか……!」
仁王立ちにて構えるタカヒコが、瞑目したまま静かに拳を握り締める。
「さようでございますわ、我が背……実に素晴らしい事、そう想いますわ」
同じく、彼にしなだれかかるも超然としているミカツヒメも、瞑目したまま、妖艶ながらも静謐な微笑を浮かべ頷く。
彼等は、優しく厳かに仲間達がこの絶望を打ち祓わん事を、確信を以って観護っている……。
彼等の見つめる先……それは、狐妃と龍女の姉妹の「回帰の呪檻」……。
告発の担い手によってミヅチに齎された魂の原典……。
それはまさに最悪の災厄であった……。
記憶を突きつけられた瞬間、ミヅチに宿っていた鏡水の権能が、産まれ落ちた刻の真の姿を、己へと「顕し直霊」してしまう。
それは……前乃世の因縁の顕れたる、臓腑と霊体のみの姿……。
「形造る事すら許されない蛭子」であった……。
「ミヅチ! 逝かないで、アタシの可愛い妹!!」
キクリは叫んだ。
彼女もまた前世で封輪火斬に焼かれた罪人。
だが、今の彼女には救うべき絆がある。
キクリは「封輪火斬」から授かった大焔、『快癒の紺碧』の権能を全解放した。
それは、己の神威之色身体、そして命そのものを捧げる、禁忌の供犠の呪法。
「アタシのすべてをあげるわ。だから……還ってきなさい、ミヅチ!!」
紺碧の炎がキクリを包み、その命をミヅチへと流し込む。
蘇生し始めたミヅチの眼に映る、消えゆくキクリの慈愛に満ちた笑顔。
そして、ミヅチの背後には、かつて彼女を浄化したスサノヲの親友・鏡水顕導神が再び顕現し、ミヅチを優しく支えた。
「キクリおねえさまぁっ!!」
告発の担い手のとどめの攻撃が、非情にも二人の乙女を強襲する。
「……『不良品』よ、喪せるが良い……」
身命を賭してミヅチを救い、光の中に消え逝こうとするキクリ。
そして再生の途上にあるミヅチ。
終焉が訪れようとした瞬間、ヤチホコの無理筋を徹す咆哮。
「父上! いいえ我が子神スサノヲよ! この身へ顕現し彼女達を彼の地へ!!」
裂帛の気合と共に猛らせた緋緋色金の氣力の炎に、紅蓮の虚空が雷光と成りて迸る!
それは、本来叶うはずもない無理筋の祖神顕現。
「――任せるが良い! おぉぉおっ!! 我が護られし根源の国へ! 『流転反魂』!!」
二人の魂が、外界から隔絶された静寂の異空間――スサノヲが統べる「根源の国」へと引き寄せられてゆく。
そこは刻の流れさえも凍り付く、虚無と真理の狭間。
眼前に顕るは……かつてミヅチを癒し直霊して命を繋ぎ、観護り続けてきた二人の父神スサノヲ。
彼は今、ミヅチの前乃世の兄、太陽之神威に立ち還り顕現していた。
「お、おとうさま!? そのお姿はまさか……!」
「左様……。ここより先は、真なる神威の座。儀を取り計らい、業を超えて、真なる名取り戻し、新たに産まれ直霊せよ!」
其之肆 『瑞月が輝く為に寄り添いし 掌を取り歩まん暁の太陽』(ミヅチ之章)
「わかりましたおとうさま……いいえ……!」
静かに、彼はスサノヲの刻と同様、いやそれ以上の慈愛を籠めて頷く。
「改めて受け止め、見事乗り超えるが良い! 『覚醒之揺籃』!!」
意を決し頷くミヅチ。
彼女の姿を観て優しく微笑む。
そして、険しい表情へと一変させた彼より響き渡る魂の咆哮。
声と共に出現する霊廟。
静かにミヅチはその魂の揺り籠へと沈んでゆく……。
浮かび上がってくる情景……。
それは、彼女の前乃世、宵闇を顕す漆黒の黒髪を湛えた夜の女神、「月黄泉」。
彼女は……共に産み直霊された、兄である「太陽之神威」を……誰よりも深く敬愛していた。
だが、彼には……対となる巫女も同時に産み直霊されていた。
太陽之神威巫女、「ヒルメ」。巫女にして神聖娼婦。
それでも懸命に「兄への慕情」としてであっても、想いを伝えられることで満足していた日々……。
唐突にそれは終焉りを告げる。
「……太陽之神威は昼の世界を。月黄泉は夜の世界を『管理』して下さい」
「造物主」からの絶対的な天啓。
二柱は、直向きに献身的に賜りし務めを果たす。
刻を経るごとに募りゆく、逢えぬ兄への切なる想い……。
その想いに共感する様に、肯定する様に顕れる道化師の影。
「逢いたいけど逢えない、それは本当に寂しいよねぇ。
そうだ、良い方法があるよ。
『世界を闇で包んで』しまえば、『昼』も『夜』も無くなって、きっと『おにいさま』に逢えると思うんだけど、どうだろうねぇ……」
魂に染み入るように寄り添う、ジェスターの優し気な提案。
ナンナは……迷うことなく縋る様に受け入れる。
そして、兄への愛ゆえに……『世界を闇で包んで』てゆく……。
一つ国を闇で覆い隠す毎に、彼女に入り込む莫大な怨嗟。
一柱神威を闇に沈める毎に、昏き闇に蝕まれていく肢体。
「兄に逢える」……。
その一心から行いし月黄泉の振る舞い。
それは、「兄に逢える」処か、彼女に臨まぬ最悪の結末を齎してしまう。
「……私……輝き……喪った、の……?」
月黄泉は……放つ輝きの総てを喪い、夜の魔王「日隠れ闇憚りし女王」へと堕天してしまった。
夜の女王と化した彼女の齎す闇は……「際限なく生者の氣力を貪り奪うもの」であった……。
「兄に逢いたい」、その想い募らせるほどに、世界に溢れ出す「禍々しき想念」。
足元に築き上げられる、山となる程の夥しい怨嗟の残滓……。
しかし、いくら探せども兄は見つからず……増えてゆくのは供犠の山ばかり……。
「ヒヒッ! 良く遣ってくれたねぇ。実に良い仕事してくれたよ!
おかげでかなりの「禍々しき想念」を集められたよ! ヒャハハハハ!」
月黄泉は耳を疑う。そして初めて辺りを見回して……絶叫し発狂する。
「あ、あ、あぁ! わ、私は……私! なんて、なんで、いや……いやっ、いやぁぁああっ!!」
「兄の為」と、行いし振る舞いは……総ての生へ光を齎す、太陽之神威たる兄から、「最も遠き行い」であった……。
「ヒヒッ! そこまで境涯が『堕ちたら』、僕にも『書き換え』叶うんだよねぇ!
キミはもう用済みさ!
だからねぇ、『輪を廻る』事もなく……消滅ちゃえ!
『完全抹消』……!! ヒャハハハハ!!」
瞬時に崩れ逝く月黄泉のかつて「神威之色身体」だった肢体。
骨、筋を喪い、遺るは……臓腑と霊体のみ。
意を決し、耐え兼ねて動くは……原初の大海の四氣王、九頭龍大神。
「……輪を廻り……再び魂の錬磨の流転へと!!」
彼の放つ「水龍神瀑布」により、彼女はこの世で最初の「輪を廻りし神威」となった……。
その様を再度魂に刻まれ、月黄泉となったミヅチは深く項垂れる。
「どうして……ただ、お兄さまに逢いたいだけなのに、どうして闇が溢れるの……?」
絶望する彼女に、太陽之神威たるスサノヲの声が静かに、しかし魂の奥深くまで響く。
「昼と夜が常に寄り添っているように、我らもまた分かたれたことはない。ナンナ……「綴り直霊」されし夜の真名を、因果の神威より詠い直霊されしミヅチよ、己の掌をとくと観よ」
ミヅチが涙に濡れた己の手を見つめると、そこには自分の小さな手を、力強く、温かく握りしめる兄の大きな掌……。
そしてそこに重なるように浮かぶ、直向きな善男子の掌があった。
「あ……ああ! まさか、最初から……!」
「左様。我は……そして『現世の兄』も……常に汝と共にありしなり。
汝の想念が曇り、観ることを拒んでいただけなり。
そして今、我いなくとも、汝が為、身命を賭す者まさに此処に在らん」
彼の見つめる先には……傷だらけになりながらも、自分を救ったキクリの魂が浮かんでいる。
自分は孤独ではなかった。
自身の孤独は、己の想いが造り出した幻影であった事を悟る。
「お兄さま(そしておにいさまぁっ)……不詳の妹、今此処に真に悟らせて頂きました……!
お兄さま(おにいさまぁ)の愛は……最初から……この胸に注ぎ込まれていたと」
彼女が受け取った重なり合う兄からの愛。
ナンナとなったミヅチは強く想う。
「今度は……『私 (ミヅチ)』が……『大切に想う方 (おねえさま)』へ、この愛を分け与えたい(ですの)……!」
その想念が爆発した瞬間、彼女の身体から漆黒の闇が消え失せ、清冽な月光が溢れ出した。
「我が業は、我が為だけに非ず! ミヅチの水と共にある、キクリおねえさまの『大地』と掌を取り合い、ここに顕し直霊しますの!」
眼前に拓けしなだらかで広大な「大地」を、「大海」が覆い、虚空より照らす太陽之神威の紅蓮の陽光を、慈しみを以って優しく照り還す。
「ミヅチ、ううん、私は――『湖面を照らす優しき神威 瑞月』!!」
其之伍 『原典の凌辱絶望受け止めて 此処に「使役之霊 (コクリ)」翻転直霊せん』(キクリ之章)
一方、キクリに対し太陽之神威は、溢れんばかりに涙を流す。
「朽ちかけ輪を廻らんとする、キクリの魂よ……。
あるいはこのまま『輪を廻る』ほうが幸せかもしれぬ……。
それでも、己が罪障、非業の道筋、受け止め直霊すか否や?」
(だ……れ……? あぁっ! と、父様……! いえ、違……違わない……わ……!)
「『今はキクリ』よ……。これまでの歩みの中、前乃世の宿業、良くぞ乗り超えしなり。
だが……この先は己が想い砕かれんやもしれぬ。
それでも……前を見据え歩まんと欲するであるか?」
太陽之神威は、いつになく慎重に、むしろ先々を知らぬ方が良いとばかりに促す。
(ら、らしく……ない、わ、父様……。
『あなたのキクリ』は……諦めずに……前を見据え……歩き続ける……わ……!)
一瞬だけだが、魂に仄かに煌めく大地の氣力。
「すまぬ。そなたを信じられず躊躇いしは……われであった……な……!
――良き。
ならば参ろう! 過ぎ去りし日の真実。
そなたの真なる道筋、今此処に顕し直霊せん!
」
瞬く間に「覚醒之揺籃」が顕れ、キクリの魂は呑み込まれていった……。
前乃世で、ジェスターに「使役之霊 」として弄ばれた残虐な日々。
大陸を滅ぼしかけた自分から、世界を護る存在より齎された「煉獄の神炎」。
(……そう、だわ……。でもそれも……ジェスターの甘言を真に受けてしまったのも……アタシだわ……!)
前乃世の罪障は瞬時に霧散する。
それは、すでに彼女が乗り超えし過去。
次に観えてきたのは、別次元の流転の記憶――。
(――あ、あぁ、あぁぁああっ!! な、なんて……ひ、ひど、いわ……!
そして、誰、この緋徒?
知らない……でも、何故かすごく懐かしい……わ……?)
「……さもありなん……。
これはまさに、此の流転における其方が遭いし出来事なり……!
――覚悟は……良いであろうか?」
最後の最後まで躊躇う太陽之神威の心配。
「良いわ……観せてみると良いわ!」
太陽之神威は、大きく息を吐き閉眼する。
(すまぬ……「クシ」……。今此処に……封を解かん……!)
静かに、そして瞬く間に目まぐるしい迅さで変貌して逝く情景。
「われ、其方を真に娘としてとこしえに愛し続けん!
征くが良い! 流転の彼方、真実の刻へと! 『流転反魂』!!」
観えて来る幼きふたりの会話……それはまさに「傲慢の罪」……。
「お兄ちゃんとアタシなら大丈夫よね!」
「没問題。この辺りで僕らを脅かす存在など観じないからな」
浅はかだった……。
総ての権能が封じられてしまう「修練の地」。
此の地では己など、「ただの脆弱な善男子」であった……。
キクリの兄アマムは、まざまざと痛感させられていた。
普段冷ややかに見下していた「刃物」に斬り刻まれ、膂力に物を言わせた暴力に蹂躙されている。
殴打されれば痛み、斬りつけられたら「輪を廻る」……。
民衆なら至極当然の事を、この極限下においてはじめて痛感させられていた。
(何て……弱かったんだボク等。
産まれ持った権能に溺れ奢っていた……。
所詮は年端も行かぬ善男子か……。
イヤ、『技』を練り上げていれば……。
――努力を完全に怠っていた――)
覚悟を決めた彼は、「妹だけは」と懇願する。
仲間内で数言言葉を交わし、首領から出て来た返答。
『食せず屠りもせず、輪を廻らせない』
安堵し、アマムは悔いなく彼等に己が身を曝け出す。
身体中が「冷たく」そして「熱く」なる。
それは……余りの速度で切断された衝撃。
群がる蛇頭の亜人達。
遠くに聴こえるは……最愛の妹の絶叫、そして悪心の応え……。
(こ、これで、良い……。ボ、ボクが、犠牲に……なっ……ても、キクリさえ無事なら……!)
突如耳を劈くキクリの悲鳴。
確かに彼女は「輪を廻らされていない」。
だが、逃げ惑う彼女に齎されたのは……。
いっそ輪を廻った方が幸せと想える程の、凄惨な蹂躙の宴であった……。
アマムは……眼にした瞬間耐え切れず、遺された片目を閉じてしまった……。
(ゴメン……でも……どうか『輪を廻らない』で……。
次の世こそ……こんな奴ら叩き伏せられる程に……)
「『わたくし』が綴り直霊しこの叙事詩……『あなた』に次はありません」
淡々と無情に響き渡る宣言……。
強制的に流転を離れ「大いなる真理」へと送還される魂……。
石造りの朽ちた玄室。
隠微な臭気充満する中、キクリは辛うじて正気を保っていた。
(……あれから……どれ位……?
アタシ……まだ……? お願い……もう『廻らせて』……。
でも、お兄ちゃんの分も……。
ああ……もう……。
アタシ……こんなこと……したくもされたくもない……わ……)
眼の前に横たわる……頭髪だけ遺された頭部と……あばら数本……。
それはかつて最愛の兄でだった残滓……。
それは、静かに浮かび上がる。
そして、昏き洞穴となった双眸でキクリを怨めしそうに見据える。
(……ボクは『輪を廻る』事も許されず……『一なる全』へと還された……。
キクリ……オマエはまだ……生き恥曝しているのか……ボクを差し置いて……)
それは……与えられるべき道筋を奪われた、彼の「魂の慟哭」だとキクリは観じる。
そう、彼は今世己を磨く機会すら喪われた……。
昏き想いは怨嗟となって彼女に纏わりつく。
やがてキクリは禍々しき想念に蝕まれてゆく……。
絶望の宴に必死で耐えていた想いが、折れて逝く……。
静かに悟るは……奇しき因果。
(そ、そうだったのね……!
父様がアタシを救う為の神呪……。
あれで、アタシの中からお兄ちゃんが『喪われ』ちゃった……。
だから『道筋』自体……喪くなったんだわ……)
「自分も機会さえあればきっと……!」耳元に響く無念。
その昏き想いは、剥き出しとなった魂だけのキクリを、文字通り「蝕み喰らい尽くす」……。
(お、お兄、ちゃ……。ううん、良いわ……アタシ、アタシもお兄ちゃんと一緒に……)
全てが侵蝕され喰らい尽くされそうなその刻、胸中に浮かび上がる、護るべき存在の囁き……。
《……おねえさまぁ……》
静かに、しかし力強く湧き上がる生への渇望と氣力。
「……お兄ちゃん……。あ、ありがとう……だわ!
アタシ……『輪を廻らなかった』からこそ……護れたんだわ!」
(ボクを……生贄にしておいて……よくも『護る』だって?)
「――む! これは……此処迄執念送り込めしとは……!」
神呪を決行していた太陽之神威が、焦燥露わに唇を噛み締める。
「キクリ!! そ奴の言の葉、決して真のアマムでは……!」
それは「父」としての決死の叫び。
しかし……己の発した「覚醒之揺籃」に弾かれてしまう。
「お兄ちゃん……良いわ……!
アタシが……お兄ちゃんの『あったはずの道筋』……此処で『詠い直霊』してみせるわ!!」
「莫迦げた事を。斯様な事『綴り直霊』叶うと思うか……!」
突如響く兄ならぬ嘲笑。
「――アタシの『お兄ちゃん』があんなこと言うはずないって想っていたわ! 邪魔しないで欲しいわ!!」
裂帛の気合と強烈な想いに、昏き幻影は吹き飛ばされて逝く。
(強くなったな、キクリ……。
でも、ボクがキクリに対して抱く羨望は……本当だ)
力強く、しかし頬を熟れた果実のように染め上げてキクリは言う。
「あ、あのさ……アタシ……解っちゃたんだわ……。
だけどね、とっても恥ずかしいん……だわ!
それでもね……アタシの独り善がりと解っていてもね……したいんだわ」
彼女が申し出たのは……アマムとの「御陰之目合」……。
それは静謐な神事。
決して己が裔を成す刻の様に、身体の営みを伴いはしない。
「『神事』と解っちゃいるけどさ……大好きな相手とさ……一糸纏わないでじっと見つめ合ったまま……『抱擁し続ける』訳だから……。
言っておいてアタシ、すっごく恥ずかしいんだわ!
そして……『怖い』の……。
思い出しちゃったから。
でも……でも! 『お兄ちゃん』に先の刻を……。
そしてアタシが……『お兄ちゃん』の様に……大切な妹と弟を護って征く為に……やるわ!!」
そこまで言うと、キクリは念じ、一糸纏わぬ姿を魂に顕す。
厳かに、静謐さと妖艶さを籠めて詠い出す。
「――阿那迩夜志、愛袁登古袁……」
(エパタイ! それじゃいにしえの神威の過ちをなぞっ……!!)
焦るアマムの口を塞ぐように、キクリは祝詞によって浮かび上がらされた、一糸纏わぬ彼に勢い良く抱きつく。
「お兄ちゃん……これで良いの……! お願い……一緒に詠って欲しい……わ……!」
迷い無い表情。
しかし焼きしめられた溶岩の如く、まさに火を吹かんばかりに全身を朱に染め上げてキクリは願う。
「キクリ……。何か『想い』があるのか。わかった。ボクも執り行う。
――阿那迩夜志、愛袁登売袁……」
静かに、永劫の刻が流れるような静寂の中、二人の魂は、見つめ合い、抱擁して静止したまま、互いを観じ、想いを交歓し合う。
刻の流れの理の外、揺籃の中……キクリの胎内に芽生える「器」。
しかし、祝詞を違えた為……このまま産まれ直霊しても「蛭子」となるは必定であった……。
「……やはり。せっかくの儀もこれでは……」
「これで良いんだわ! 行くわ!
この儀を以って、アタシは永久に『お兄ちゃんの魂』と契り交わす事誓うわ!
そしてこの胎内の蛭子を『魂の息子』とし、育まんと欲するわ!
お兄ちゃん! アタシの胎内へ!
此処に宿り直霊して、アタシの胎内から……お兄ちゃんを産まれ直霊してみせるわ!
――いくわ! 『神威降臨乃儀』!!」
根源の国中に響き渡るキクリの絶唱。
それは、管理者に記され遺されし「御陰之目合」の神呪ごと、「原初之神呪」へと詠い直霊されてゆく。
「詠い直霊するわ! 『妍哉、呀良男』!!」
戦慄きながら不敵な笑みを浮かべるアマム。
「――面白い……流石はボクの妹。 此処に直霊せん! 『妍哉、呀良女』!!」
響き渡る「原初之神呪」。
それはまさに因果と理を覆してゆく。
詠い直霊されし神呪を聴き、随喜の涙を流しながら太陽之神威……いや彼等の父スサノヲも歓喜の雄叫びを上げる。
「な、成し遂げしであるか! よくぞぉっ!!
――然らば任せるが良い!
そなた等が顕れ直霊せんが為の氣力、此処に我が紅蓮を猛らせて与え直霊せん!!」
太陽之神威は、覚醒之揺籃へ全霊籠めて莫大な紅蓮の虚空を注ぎ込む。
全てを受け入れし虚空の氣力が、彼等の魂の在り方をも受け入れてゆく……。
溶け合う様に二人の魂が重なり合ってゆく。
静かに小さくなるアマム。
彼は、キクリの揺籃の中で静かに微睡む。
染み入る様に入ってくる、アマムが磨き上げるはずだった純白の大海。
それを今自神の大地と、想いと共に重ね合わせ、新たなる存在を産み直霊してゆく。
「はぁ……はぁっ……。や、やった……わ!
これからは……アタシが『お母さん』として……お兄ちゃんを護っていくわ!!」
産み直霊されたつぶらな瞳を持つ赤子を抱き締め、キクリは静かに立ち上がる。
それはまさに聖母……子を想い護る慈愛の女神、倉稲之魂。
爆発的に大地の氣力が高揚して噴き上がってゆく。
圧倒的な氣力によって破裂する様に覚醒之揺籃が霧散してゆく。
「父様……! キクリ、見事乗り超えましたわ!」
誇らしげに父に誇るキクリ。
その腕には大切そうに赤子が抱かれている。
「キクリお姉さま! 信じていました……素晴らしいです!」
喜び露わに親しげに駆け寄ってくる乙女……瑞月。
「あ、あなた……ミヅチ……じゃ……ない……わ!」
最愛の妹に顕れたもう一柱の神格に、「倉稲之魂」と成り得たキクリが狼狽する。
「はい、でもひとつだけ、違います……。
瑞月も……倉稲之魂……ううん、キクリお姉さまの妹です……!」
(キクリおねえさまぁっ! ミヅチもここにいますのっ! 大丈夫ですの!)
瑞月の内より、彼女に響いてくる甘やかな懐かしき最愛の囁き。
「……彼女の大海、キクリお姉さまの大地を抱き、お姉さまと共に、『ミヅチを護る為』に私は産まれ直霊しました……!
キ、キクリお姉さま(おねえさまぁ)……!
ま、まさかその掌に抱かれているのは……お兄さま(おにいさまですの!?)でしょうか!?」
瑞月……ミヅチが幼き頃、行の中の過ちにて「輪を廻った」と聞かされていた、彼等の兄「アマム」。
キクリ……倉稲之魂がその掌に抱く赤子からは……まごう事なき彼の「大海の氣力」が小さいながらも漲っていた……。
赤子を愛おしそうに目を潤ませて瑞月は見つめる。
「参りましょう、お姉さま! 因果を超えて産まれ直霊叶った私たちのもう一人の兄と共に!」
彼女は真っすぐにキクリへと掌を差し伸べる。
その直向きな純粋さは間違いなく彼女の最愛の妹。
「わかった、わ! 一緒に戻るんだ、わ!」
彼女は穏やかに、しかし満面の笑みを浮かべる。
「外(天界)では、私 (ミヅチ)たちの大切なお兄さま (おにいさまぁっ)、そしてお姉さま (おねえさま)にとっては大切な義弟の、『彼』が待っています(いますの)……!」
二柱重なり合いての進言。
キクリはまさに、立派な耳を真寧に傾けて聴いている。
(ミヅチも、瑞月ちゃんに……頑張って大海を差し出しますのっ! いきましょうおねえさまっ!)
満面の笑みを浮かべ、キクリは、「瑞月」となったミヅチを抱きしめる。
「良かった……わ。アタシ、アンタを護れたのね……!
本当に良かったわ……!
そして……もう二度とアンタを辛い目になんて――ゼッタイに遭わせないわ!」
瞬間、山吹色の氣力が根源の国中に吹き荒れる。
観る間に彼女の覚悟を顕すが如く、金色の尾が増えてゆく。
伍……陸……そして、最高の陽数である玖……!
山吹色だった氣力が、豊饒の稲穂の金色の神威之力へ練り上げられ、そこに純白の大海が重なり高まり直霊してゆく……。
山吹に縁どられ、金色の紋様の入った純白の法衣を纏い、大切そうに赤子を抱く。
穏やかなる刻は、地下より湧き上がる命潤す泉。
猛りし刻は、煮えたぎり吹きあがる水沫。
それは、彼女の胎内に宿りし内に秘めた大海。
兄の想いの結晶を、滾る情熱で噴き上げて、彼女の周囲には常に深い輝く霧が立ち込める。
それは、狐の嫁入りの如く、雨を降らせて万象を育む、生身の愛が至った気勢。
其の彩は、告発の担い手同様にして似て非なる、慈しみに溢れた白金の輝きを放つ神威。
今キクリは、すべての因果と罪障を超克し、世界の生命と豊饒を慈しみを以って掌る倉稲之魂へ完全覚醒した。
二神が覚醒を果たした瞬間、根源の国が激しく揺らぎ、聖塔へと繋がる道が拓かれる。
スサノヲに還った彼は、満足げに微笑み、二人を送り出した。
「行くが良い。そなた等の光が、管理者が綴りし偽りの終止符を必ずや詠い直霊せんとするであろう!」




