詩片の狭間 雪嶺の熱き想い
静寂の夜空、その最上に昇りつめた月光が、雪嶺を青白く優しく照らす。
岩間から湧き出る熱き泉。
古より伝わりし、「予言聖者の乙女の泉」。
その聖なる熱き湯が、五人の乙女たちの身体を包み込頃、身を切るような凍てつく風の中、泉をカンナに任せ、独り立つ白銀の輝き。
ヤチホコは氣力を解放して閉眼し、意識を研ぎ澄まさせていた。
周囲を覆うは一面の夜、そして闇。
「日隠れ闇憚る夜」。それは、聖なる存在から、魔なる者へと、世界の支配権が変わる刻。
宵闇を跋扈する魔物達は、あの「昏き闇」の如く、音もなく忍び寄り、静かに侵蝕してくる。
呼吸がしにくくなる。観えざる真綿に締め付けられているかの如く。
冷たさが、立ち込める昏い霊氣と折り重なりてより一層肌を刺す。
自分達が喪いし生命の息吹を求め、蠢く気配が遠巻きに観じられる。
(……いま彼女たちは、一蓮托生呪を以って魂の奥底まで、無防備に曝け出し合っています。法理之城があれど、この『闇』の中では、それはあまりに危険。……カンナ、そちらはお願いします……!)
清廉な真輝銀の音色が脳裏に鳴り響く。
(……ご安心ください。外から雷鳥も観ていますし……よもやの刻は根源神威之妹様もいらっしゃいます。それよりも……)
ヤチホコは静かに大きく白い息を吐く。
(……そう、ですね。少しは解ったつもりでしたが、全く至らなかったのですね。誰かを想う気持ちが抱く闇……それが、こんなにも深く、苦しいものだなんて……)
瞬間、ヤチホコの身体を優しい光が抱きしめる様に包み込む。
(……『我が愛しき主』、ヤチホコ様。あなた様はまさに身命を賭して彼女たちに応えて下さりました。……あとは、彼女たちが自身の想いを認め直霊す事叶えば……。しばし、強い想いの奔流が行き交うと思いますが……)
ヤチホコは深く頷き、光を抱きしめ返す。
(はい……。彼女たちが僕に抱く想い……その一端をここで受け入れて分かち合い、観じ、理解していこうと思います)
清廉な音色を遺しカンナの想念は去っていった。
「……想い……想念。なんて、恐ろしくも強く、尊いものなのでしょう……。それも、僕等に『自由意思』が齎されたからこそ、今、持ち得ている訳です……。
『真理の導き手』……。貴方のされた事の正しさを……。僕が、僕等が、これから全てを賭して証明して征きます……!」
遥かなる前乃世に想いを馳せ、かつて傍にいた「導き手」を思い出す。
(……彼が、すべてを賭けて自分達を『傀儡』から、『意志ある存在』へと導き直霊されたのは……まさにこの想念の、『無限の可能性』を見据えていたから……)
ヤチホコは、背後で次々に湧き上がり、緋色の糸を通じ流れ込む、破裂しそうな程の、「愛深き故の昏く激しい闇の想念」の濁流に身を任せていた。
(……僕は無自覚に、彼女達をこんな想いにさせて……!)
己がすべてを浄めんと苛烈に想い願うヒメ。
狂気の母性への自責に苛まされているキクリ。
(――ミチヒメ、さん……!)
ヤチホコは一瞬、百舌鳥の早贄にならんとする一糸纏わぬ彼女を想い、仄かに頬を染める。
しかしすぐさま激しく振り祓い、彼女たちの「愛の闇」が、「更なる闇」を呼び込まない様に、自神の虚空で受け止め直霊す。
肌を突き刺すような、鋭い一陣の大凬が翔け抜ける。
(……スセリちゃん。僕の『楓ちゃんを護りたい』想いの顕現……。だから、妹、だから脆弱でもあった。根源神威之妹であることを隠し、彼等(管理者)を欺く為でもあったけれど……。そんな彼女が、『彼女だけの想い』として抱いたのが……『永遠の停滞』……そして……『嫉妬』……)
突如息が詰まる。まるで虚空で大海に溺れたかの如く。
(ミヅチちゃん……ごめんね。もっときちんと言の葉で伝えてあげられていれば……。彼女が相手だから落ち着いていられましたけど……『安らぎのホルモン』だけじゃないんですね、唇に触れた場合は……)
ヤチホコは、真寧な気持ちで、彼女達の想いが救われる様に祈る。
暫くして、魂の奥底から七絃に輝きだし、光が溢れて来る。
(――ヒメさん!)
振り向くと、泉の上に虹光の天蓋が形成されている。
(この溢れ出る氣力の奔流! ミチヒメさん! そしてこれは……大海!?――まずいです!)
ヤチホコは慌てて泉へ向かう。しかし程無く歩を止め安堵する。
(……伝わってきます……詳細は解りません……。ですが、みんなそれぞれに自分の想いを認め直霊出来ている事……其れはありありと観じます!)
今のヤチホコでも、乙女達の想いの丈は、解らないし、直接伝えられても、未だ正確には理解出来ないだろう。
だが、一つに纏まり「善かれ」の想念として直霊された事だけは……胸の奥に宿った温もりが教えてくれる。
「……何が起きたのか、細かくは解りません。ですが、この温かさ……もう大丈夫、そうでしょうカンナ?」
凍える雪嶺に立つヤチホコに、清廉な音色と、冷気を遮る外套の様な温もりが優しく応えてくれていた。
「……いよいよ『天地を貫きし叡智の聖塔』。僕達の掌で『終焉の記述』を変える刻……!」
ヤチホコは、雪嶺ごと雪原を溶かし尽くさん程の朱金の火柱と化す。
それは、すべての存在を打ち祓うのではなく、静かに浄化し天へ還す炎。
安寧の静寂の中、遥か彼方の山麓より聳える聖塔を望み、紅玉の神瞳を輝かせ、しかと見据えていた。




