詩片の狭間 記述(ロゴス)の主と想念(イレンカ)の詠い手
『其之壱 境涯と身之丈の理』
雒陽を包む虹色の天蓋の下。
ヤチホコは、祝宴の席にて器に注がれた「法理の水」を不思議そうに見つめていた。
「……? これ、水、ですよね? でもこの味って間違いなく僕の知る……」
「ふっふ、『詠い手』よ、この水の名を今一度噛み締めてみるが良い」
――「法理の水」。それは、法理之城の完成と共に湧き出た霊水。
(……純陀さんの料理の様に、確かに飲むだけで氣力や霊力が回復する気がします……ただ、この……『味』は一体……?)
「……観ずる処、どうやら飲みし者が一際『強く想い抱く味』になる水なり。其方は……彼の刻にて飲みしものの味……であろうか?」
伏犠の言葉が、まさにヤチホコ腑に落ちて思わず立ち上がる。
「そうなのです……! これは僕が、調べものや読書する際に愛用した、あの店のカフェオレそのままの味なのです!」
「……おお、茶色き茶に牛の乳を混ぜしものであるか。してその味……うむ、未知であるが美味なり……!」
伏犠は一瞬閉眼し、感嘆の声を上げ成程と頷く。
「……解るのです――もしかして、九姿異祢沱乃日霊女さま同様に想念を読み取って……」
ヤチホコの理解の速さに、伏犠は満足げな表情を浮かべる。
「いかにも。この天蓋の中であるならば、およその事は我が掌中に在り」
以前の数理の檻とは違い、「想いの共感」にて情報を得ている様である。故に、拒みし者の想いは読み取れぬと伏犠は続けた。
「……どうやら本題は別にありし、か。まさに驚嘆と言うべき……」
ヤチホコは、一番の疑問として思い描いていたことが通じているのを理解し、言葉を続ける。
「そうです。顕現されしヒルメさま……。あの途方もない巨大さ、僕の知る、『大地の枷』や『生命の理』からは存在出来ないはずなのですが……」
伏犠は、隣の女媧と睦まじく杯を交わしながら快活に笑う。
「ヤチホコ、民衆や緋徒には推し量れぬ存在、それこそが真の神威。神威之色身体は肉の身に非ず。神威之力、そして魂の境涯……すなわち、如何程に世界を慈しみ、真理掌りしか、その『心の広大さ』の顕現なり」
「境涯、『心の広大さ』、ですか……」
「左様。神威之色身体は、言わば想念の身体なり。魂広大なれば、器たる色身体は、陽光に照らされ際限なく伸びし影の如し。先のヒルメ様……向津日霊女の前乃世の姿が、天衝き聳えんが程で在りしは、まさに彼女にとりてこの世界そのものを我が子と想うが所以なり」
その高尚な言の葉のやり取りを、上気した面持ちで拝聴する者がいた。
「なーるほど! 魂の大きさね、納得したわ! あぁ、また喉渇いてきたわ。ヤチホコくん、そのお水、貰うわよ」
ミチヒメは、ヤチホコの杯を奪い、一気に飲み干し、さらに「法理の水」をなみなみと注いでもらい一気に呑み干す。
彼女が想い、味わうは……かつてラーマと共に酌み交わし、最高級の「神威の水」と教えられた御神酒。芳醇な香り、喉の熱さ、そして心地良い浮遊感――。
「飲む者が最も欲する味」を再現するのが法理の水。それは、ミチヒメの想いのまま、神威の水の味を再現する。彼女の脳と神経は、「あの刻の神威の水」と認識する。先程摂った米から、強烈な想念によって、普段起こり得ない勢いで、爆発的に腸内真菌にアルコール生成を促す。
「……あ、あらぁ? 天蓋が……廻っているわ、ね。……っ。……なぁに? ヤチホコくんまで三人くらいに増えちゃって……あはは! そうだ、わたしがチカラ貸してあげるから、みんな、『ホントの大きさ』になっちゃえばいいわ!!」
いつになく陽気で千鳥足のミチヒメが、紅潮させた笑顔で左手の籠手を振り上げる。
放たれたのは、制御不能の莫大な根源の氣力の無差別付与。
「――『究極乃付与生氣呪』!!」
暴走した氣力が宴の席を蹂躙していく。
それは、溢れんばかりに吹き荒れ、先ほど伏犠の説いた「境涯の理」を、全ての者に対して否応なしに顕させ、強制的に全員の姿が劇的に変貌させられてしまった……。
「……少し背が伸びています……! そしてこの虹色の輝き……」
ヤチホコは、ニ、三寸程背が伸びて、先の覚悟を顕す様に、虹色の輝きを身体中から放っている。どうやら、境涯は高まれど、神威之力は足りないらしい。
(……自分の『色身体』を喪って、自神のものとしての氣力が足りないからか、あまり変化はなかったですね……)
周りを見渡すと……自分処ではなく変貌させられた皆の姿が目に飛び込んでくる。
ミケヒコは先のカルマ王ほどの巨躯になっていた。
(……完全に覚醒していなくても、やはり秘めたる『紅蓮』は相当強い、そういう訳ですね……!)
更に巨大な影が……オオトシであった。流石、彼のスサノヲを顕現出来る境涯なだけはあり、十丈程の巨神となっていた。
(……その後ろにもっと巨大な……ヒ、ヒメさん! そうか……あのヒルメはヒメさんが主体だったのか……!)
ヒメは、オオトシを凌ぎ十数丈はあろうかと言う、七弦に輝く女神へと生長を果たしていた。
(待って……あれ……山じゃ、ない! キクリ姉の尻尾!)
ヤチホコが山脈と見間違えて仰天したのは……なんと巨大化したキクリの四尾であった……。
(……ミヅチちゃん……? その姿――まさか!)
観るとミヅチは巨大化も然る事ながら、漆黒の艶やかな髪を下ろし、新月の様に縁を微かに輝かせ、深淵なる宵闇の瞳を湛えた、夜の帳さながらの昏き女神に顕現した。
するとすぐ、封じて御するが如く、透き通る紺碧の法衣に覆われてゆく。
「……この娘、彼の『女王』であったか……! 真なる姿顕すにはあまりに未熟。こちらにて控えるが良かろう」
音もなく降りてきた伏犠が、同格となり、ミヅチをしかと抱きかかえ、門の屋根の上へ降り立つ。すると二神は瞬く間に本来の大きさ、姿へと還る。
「故の産まれの苛酷さと鏡水顕導神さまの計らい……。『我が娘』の妹として縁持ち得る筈ですわ」
女媧は、伏犠の結界の中、安堵の笑みを漏らしそっと灰白色の髪を撫でる。
(……確かに今はまだ、ミヅチちゃんのあの姿は……危険)
「おにいさま」と呼ばれる自身の「器」と共鳴しながら、ヤチホコも安堵の息を漏らす。
(皆でこれという事は……根源の一柱たるカンナさん――あぁっ!!)
「な、なんて巨大さ……! 確か北海道に、この位巨大な観音像がありましたね!」
驚きのあまり、ヤチホコは想いが口を衝いて出てしまう。
「我が愛すべき主! あ、あまり下から見上げないで下さい……少々照れます」
大きくなったのが恥ずかしいのかと想い、虚空を解放して、彼女の肩まで駆け上がる。
「これで同じ目線で話せますので、照れなくても大丈夫ですよ。それに、この姿の方がより一層女神らしく厳かで素敵です……!」
(……そう。この御方は、『彼の刻』と違い、今はまだ純然たる少年の想念……。その初々しさも新鮮でまた良き……です!)
カンナが軽く握り拳をつくると、その勢いで風と水が渦巻き、ヤチホコは慌てて相殺する。
「あぁ! これは我が主、大変失礼いたしました……」
ミチヒメは、皆の様を観て上機嫌で大いに笑う。
「あっははっ! すごいすごい! みーんなおっきくて景気が良いわ! 壮観壮観!」
(ミチヒメさん……なぜ? 彼女ほどの存在が全く変化がないなんて……?)
「んん? あぁ……わたしは『民衆』のまま……神威だろうと管理者だろうと……ぜぇんぶ倒しちゃうから良いの、よ!」
ミチヒメは、蹌踉めきながら拳を振り翳し、朱雀の翼をはためかせ飛びついてくる。すると更なる氣力付与の巨濤が庭園を埋め尽くす。
「まさに根源たる氣力ですわ……! 素晴らしくも凄まじき」
女媧でさえも、その尋常ならざる氣力の奔流を観て感嘆の声を漏らす。
「……我等四氣王は、世界自体を支える存在故、女媧の如く本神と別たれていれば詮無き事である。だが、余、そしてこの娘は……本神そのままである故、この奔流、受くる訳に参るまい」
ヤチホコは、伏犠の言葉に青ざめた表情で隣を見遣る。するとそこにスセリの影はない……。
「――四氣王だとまずいという事は……! あぁ、ス、スセリちゃん!?」
見遣る先には……際限なく生長し強大化し続ける少女の姿。
今、彼女は新生せし「大凬の四氣王」。その風は、この世界すべてを覆い、吹き荒ぶもの。
「ちょ、ちょっと! これってどこまで大きくなるの!? く、雲? 頭にぶつかっちゃう!」
スセリの悲鳴は……まさにこの大陸全土に吹き荒ぶ大凬の咆哮。
その頭は雲海を突き抜け遥か遠く、最早しなやかさも美しさも解りかねるほど、山々をまたぎて聳える天の柱の如き足。
とうとう彼女は、この大地すべてを見下ろす巨神と成り果ててしまった。
その途方もない氣力の奔流を、伏犠は見逃さなかった。
「やはりそうならんか、まさに愉快なり! が、この強大な氣力……遣わぬ手は無き!」
天を衝く柱の麓、伏犠は神速呪文を高速展開する。
巨大化したスセリから溢れ出す、無限の「風」を用い、雒陽を覆いし天蓋を、大陸の端から端まで一気に拡大拡張させた。
見渡す限りに管理を阻む虹色の光が翔け抜ける。
邪気は祓われ、痩せて病める大地は癒えて肥沃な土を齎し、住まうすべての幾千万の民が空を見上げ、その「自由の証」を涙ながらに祈り、仰ぐ。
「……ミチヒメさん、またもや仕出かしてしまいましたわね……」
背後で朱雀が、少し楽し気にぼそりと呟く。
「(ラーマ様との『あの刻』の再現です……)」「(あの刻は都が半壊したであるな……)」「(それ以上言わないほうが良いぜ、今ミチヒメは上機嫌だからな……損ねたら大変だ)」
状況を正確に伝える玄武、惨状を想いだし蒼白な面持ちの青龍、焦って皆を遮る白虎……。
四獣王達を余所目に、満足気な笑みのまま、ミチヒメは大の字に地面に倒れてしまった……。
破天荒な宴の翌朝。
皆無事に元の姿へと還り、ひどい頭痛と吐き気で魘されるミチヒメの横。
彼女を介抱しながらヤチホコは、雷鳥に映し出させた大陸地図を眺めて呆然としていた。
「……伏犠さま。これを観て下さい。この先も、大地すべてを護る事……叶いますか?」
ヤチホコの心配に応える様に、伏犠は満面の笑みを浮かべる。
「案ずるでない。スセリと言う、新たなる『大凬』吹く限り、我が城は不滅なり。さすれば次なる試練、大焔の元へ、いざ向かわんと」
「あ、あのさ、ヤチ。ボク、あんな大きくなっちゃったりしたけど、その……怖がったり嫌ったり……しないで、ね?」
激しく首を横に振り、ヤチホコは優しい微笑みを携えて強い想いを籠めて言う。
「心配ありません! スセリちゃんのおかげで、この大地すべてを護りし天蓋が出来たのです! 感謝と尊敬でますます好きになっても嫌うなんてあり得ません」
頬を朱に染めつつも、スセリは以前の雷鳥の言葉を思い出す。
(そう、そうだったね……。ヤチってばボクとは、今はまだ好きの意味が違うんだよね……それでも、うれしい……)
スセリは、「ありがとう! ボクもいつもずっと大好き」と、軽く返し、ミチヒメと反対側からそっと寄り添う。
その「想い」も、この天蓋の力にならんと空へ舞い上がってゆく。
伏犠は目を細め、微笑ましくその様子を見つめる。
虹色の天蓋護りし大地より、溢れんばかりの力を滾らせて、新たなる物語が今まさに詠い直霊されようとしていた。
『其之弐 浄く振舞う酔いどれ聖女――ミチヒメの受難』
「……う、ぅうう……。陽光が……目、目に、刺さる、わ……」
伏犠とヤチホコの間を縫い、まさに水を差すミチヒメの呻き。今の彼女にとって、小鳥の囀る音も、優しく差し込む日の光も、ヤチホコたちの穏やかな話し声さえも、痛烈な暴威として己を蝕む存在であった……。
「ミチヒメさん、目覚めましたね、良かったです……これを。僕の想念を伏犠さまに具現化して頂いた、『酩酊覚ましの法理水』です」
雷鳥と相談し、今手に入る食材で、酔いの原因となるアルコールの分解代謝物、アセトアルデヒドの分解促進栄養素を『想い』、伏犠と共に氣力を籠めて生成した逸品である。清冽な輝きを放つ至純之水の如き美しい水。
藁にも縋る想いで、ミチヒメは震える手を必死に伸ばし、一気に飲み干す。
「……あ、甘い……。 美味しいわこれ……! い、痛くない!? 眩しくない? あぁ、小鳥のさえずりが心地良い――ヤチホコくん、昨日はあれから一体……?」
苦笑してヤチホコは窓の外を指さす。
観えるのは、庭園を埋め尽くさんばかりの民衆。彼等が手にするは……「我ら救いし聖乙女ミチヒメ様」と書かれた極彩色の旗であった……。
「ミチヒメさんのおかげです……! この大地覆いし管理者の呪縛を、あなたの『酔いに任せた全力付与』が結果的に吹き飛ばして、ついでにこの法理之城を雒陽はおろか、この大地すべてにまで広げてしまいまして……まさに救世の女神になっちゃいました」
「……う、嘘でしょう?」
「次なる大焔の情報を聴きこむ」その名目で、ミチヒメは、護衛として無理やり同行させられたヤチホコを伴い、城下の都へと繰り出した。
しかし、一歩街へ踏み出せば、そこは「聖乙女降臨」の祝祭と化していた。
「おぉ! ま、まさに昨夜、巨大な、天を衝く程の虹色の霊風纏う「聖なる柱」を顕現させ、この都すべてを覆い、闇を祓い吹き抜けし、「聖なる光の嵐」を放たれた、『聖乙女』様じゃ!」
「聖乙女様! どうかこの子が健やかに育つようにご加護を」
佇む老婆、赤子を抱きし母親、果ては帝の近衛兵までも、ミチヒメの前にひざまずいては祈りを捧げる。
「ちょ、ちょっと、みんな立ってよ! わたしはただの……」
狼狽するミチヒメの後ろから優しくヤチホコが囁く。
「これは大いに活用しましょう! ここは法理之城。想い強ければこの城はより強固になります。さぁミチヒメさん、皆に聖乙女として応えましょう! きっと皆さんも喜んでくれますよ」
(……この悪意無き『毒』、今は……ちょっと、恨めしいわ……あぁもぅ!)
「……皆さん。どうぞ想念のまま、互いに慈しみ合い生きるのです。我々は……更なる平和を求め遥か西、大焔の王住まう地へと参ります。誰か、彼の地について知り得るものはおりませんか?」
すると、一人の老商人が、恭しく長揖し、恐れ多くもと、前口上を述べて語りだす。
「聖乙女様、火の王住まう地へは、これまでは、この世界治めし神威によりて放たれし「欲望の業火」にて行き交う事叶いませんでした。……ですが、あなた様の放ちし聖なる光が、西の空を焼き祓い浄めました! あれこそ、希望の道導に相違ありませぬ!」
全く要領を得ず、不思議層にミチヒメは反芻する。
「道導……? わたしの放った……? わたしいつ光なんて放ったり……」
「……恐らく目の前のすべてを薙ぎ払って突き抜けたのでしょうね……。『もうぅ面倒だからここからぜぇんぶ倒しちゃうわ!』って、究極発勁を……天蓋の恩恵も受けてすさまじい勢いで放っていましたから……」
「……お願い、それ以上言わないで……後生よヤチホコくん……」
まさに聖女たらん麗しさで一礼したミチヒメは、朱雀の翼で衆人環視から消え去り、この上ない自己嫌悪を浮かべて項垂れていた……。
「飛び立つ御姿! まさに神威たる聖乙女様じゃ……! ありがたや……」
「聴きこみ」は、徹頭徹尾ミチヒメの神格化の儀式となってしまった様である……。
宿舎への帰路、頭痛は快癒すれど憔悴しきったミチヒメの肩を、不思議がりながらもヤチホコは心配して支える。
「……ヤチホコくん。わたし、神威のように扱われたくない。わたしはわたしのまま、あいつ等に「間違ってる」って分からせたいだけなのよ」
「……皆さんがどの様に思い、扱おうとも、ミチヒメさんはいつものミチヒメさんですよ! 常に民衆の傍で、その想いで歩まんとする、誰にも出来ない道を示す素晴らしき乙女だと、僕は想っています。そしてそんなミチヒメさんだからこその、破天荒なまでの絶大な氣力が、この国の民に『笑顔』と『自由な想い』を齎したのです。……誇って下さい!」
ヤチホコは、真剣な眼差しで必死に想いを伝える。心底感謝していると。その眼に一斉の迷い無く、まっすぐにミチヒメを見つめている。彼の想いに呼応する様に左手の封環が煌いている。
「ミチヒメさん……これからもいつものミチヒメさんとして、僕達を振り回してでも導かんと、その『自由なる想い』で立ち回って下さいね。辛い刻は、僕で良ければいつでも介抱させてもらいますから」
「シパセ=エパタイ! もう本当生意気……素敵な位に……! ホントにエパタイだわ……。じゃぁ、今夜は法理の水をあなたが飲んでいた『馨しい乳』? に変えてわたしの部屋まで持ってきて。そのくらい……いいでしょ……?」
ミチヒメは、山桜の実を超え、炎を噴き出しそうな程に紅潮させた顔でヤチホコを見つめる。ヤチホコは、仲間と共にこの大陸を救った達成感を共有しようと見つめ返す。想いを解したミチヒメは、がっくりと項垂れるも、苦笑して拳を合わせる。そしてそのまま腕を絡める様に抱きつく。
「そうよ、わたしのおかげなんだから、美味しい飲み物で祝杯上げさせてね。……今度は正気を保てるモノで、ね」
彼女の想いを顕すかの如く、法理之城は一段と鮮やかな山吹色の光を放っていた。
『其之参 記述の行間 断罪の座、初期化されし怠惰』
空高く舞う天超飛翔神威之城。中央広間、宙に浮かぶ七つの真輝金の蓮華座。
先程見事に葬送され、這う這うの体のアケィディアが、吸い寄せられるように宙に舞い、己の座へと「帰還」させられる。
無残にも、自慢の真輝金の仮面は粉々に砕開け、お気に入りの道化師の衣装は、使い古しの雑巾の様に至る処が裂けている。
事あるごとに吐き出しているそれは、吐血ではなく、彼女を顕す数理の羅列。
「……あ……あ……。計算、が……。想念で……補完……そんな『式』、全くもって……あり、得……ない……」
「ヒヒッ! 見苦しいねぇアケィディア。計算の外なる事象を『あり得ない』で処理しちちゃうのは、自分の無能の露呈だよ?」
蓮華の影が回転し、ジェスターが浮かび上がる。そのままふわりと宙を漂い、苦しみ藻掻く彼女の顔を覗き込み、心底愉快そうに冷笑を浴びせる。
「『数理の檻』崩壊までは想定内さ。しかしまさか管理者権限そのものの『八大罪障』のキミが、『人形たち』の放った風に『葬送』されちゃうなんてねぇ。せっかくの『怠惰』、バグに侵されてガタガタじゃないか」
「ジェスター……様……。今度こそ……記述の通り……遂行を……」
「……その為にも一度休むとイイさ。せっかくのお館様の至宝だからねぇ」
ジェスターが軽く指を鳴らす。瞬間、アケィディアの構成数理が音もなく霧散し、輝く真輝金の八角鏡が遺る。
「キミは一度初期化。泥臭い敗北の記述を消去して、もっと強力に『効率化』してあげるよ。それまでこの『書庫牢獄』で眠るとイイさ」
鏡面に映るは苦悶の表情のアケィディア。ジェスターが指の上で鏡を弄ぶように廻していると、場内の空気が一変した。
絶対的な静寂。綴られし者達なら刻を止めてしまうであろう、圧倒的な存在感。
「……ジェスターよ、敗北の記述遺した上で『効率化』せよ」
魂に直接響くその「声」に、傲岸不遜なジェスターが、常日頃の嘲笑を湛えた顔を鎮め、恭しく跪く。それは、この六道の最上に君臨する、すべての記述の「最高管理者」――他化自在天。
「……わざわざ過ちを遺しておくなんて、お館様らしくないですねぇ?」
鋭く冷徹に一瞥する。それだけで辺りの空気が凍り付く。
「……我等が『主なる神』がご所望だ。直霊の命は絶対。――敗北を刻み、雪辱を晴らさんが『意思』……それこそが奴等が想念を以って詠い直霊せん事に唯一抗い得ると」
ジェスターは、一瞬何かを言いかけたが、すぐに口をつぐみ了承する。
「……この荘厳な揺籃の中で色々とお考えなのでしょうかねぇ? まぁ言われた通りにしておきますよ。雪辱を晴らすためにガンバルなんて、まさにアイツらみたいでそれも一興ですからねぇ!」
他化自在天は静かに窘める。発する声は言霊となり、ジェスターを瞬時に圧し潰す。
「刮目せよ。我らが管理せん『記述』の内に、『新たなる理』を詠い直霊しを。彼の者はもはや単なる異物に非ず。世界を根源から『創造主』の叙事詩より奪い去らんとする『新たなる詠い手』なり」
城の深部から、アケィディアとは比較にならない程の禍々しき想念を籠められた強大な氣力が集束し、「因果の濁流」となって放たれる。
「最後の宝珠求むる先、法理之城の加護弱き処にて災禍の種を蒔かん。……『憤怒』のイーラを連れて行くが良い。……彼の者の大焔を憤怒の獄炎とせんが為の故に」
「はぁ……っはぁっ。……アイツ等の認識を書き換えしておきますよ……。 クソッ! この苦しみもひっくるめて仕返ししてやるからねぇ! ヒャハハハッ!」
日没する西の空は、宵闇ではない禍々しき想念の昏き闇に覆われ、陽光を遮らんとしていた。




