第14倭 天地の邂逅 集う七柱(後編)
雷鳥が緩やかに高度を下げると、眼下に顕れたのは、山に埋もれた巨岩――それは古き伝説に遺る「天之磐船」。しかしそれは、苔むした、武骨で巨大な岩塊にしか観えなかった。
「あれが、天之磐船? 天之鳥船と違って、ただの言い伝えの様ね……」
岩塊を眼に、ミチヒメは落胆を露わにする。昇りゆく朝日の様に、輝きを放ち煌いて飛翔する天之鳥船と、山々に埋没し、落日の黄昏の様に沈黙する武骨な天之磐船。彼女の落胆も無理はなかった。
(……確かに。『磐船』も……雷鳥同様、実は『神威之遺産』なんだろうか……?)
緩やかに扉が開き降り立つと、跪いて控える兵団の先頭に、静謐な威厳を放つ独りの武人が観えた。オオトシ。荒ぶる父、スサノヲとは対照的に、艶やかな黒髪を綺麗に二つに束ね、遍く命を慈しみ、育まんと照らす瑞光を想起させる、穏やかながらも力強さを観じさせる氣力を放っていた。彼は、呪痕に耐え歩み寄るヤチホコの姿を、一瞬たりとも見逃さなかった。
「母君……クシイネダ揮いし『想念共鳴』にて、御言の葉、この魂に賜っております。ヤチホコ、スセリ、よくぞ黄泉の坂駆け抜け、我が父神住まう『根源』に挑み還られましたね」
落ち着き、低く澄み渡るその声は、聴く者の心を浄め、穢れを祓うような響きを湛えていた。その声に対し今のヤチホコは、魂の奥底に呼応する気配を微かに観じ、心なしか息が整った様だった。
対するスセリは、ヤチホコとは違う、磨き上げられ完成された武人の佇まいに対し、ほのかに芽生える惚けた想いに抗おうと、隣の彼の掌を強く握る。しかし、その背後に佇む深紅は、「オオトシの放つ清き波動」自体に抗い、重く纏わりつく昏き朱影を揺らめかせ、侵蝕せんと蠢く。内なる抗いの咆哮に、スセリの表情は命の灯を吹き消されたかの如く精気を喪う。
「……スセリ。『彼女』には、私の火が少々気忙しいようですね。……ご安心ください、清濁併せ呑み、すべてを護らんと己が力を揮ってこそ、真の王であると私は思っております。……嘆く想念に安寧を……『慰安之炎』……」
それは、浄め祓うのではなく、浮かばれぬ魂達を慰める、透き通る新緑の「炎の供養」。
静かに優しく朱影を包み込んでいく。怨嗟の影が、輝きを放ち天へと還っていく……。スセリを侵食していた影は、ゆっくりと地面へ沈み還っていった。
(すごいです……! 魂達が、怨嗟の海より解き放たれて、『輪を廻り』に還っていきました……!)
ヤチホコは、先ほどより明確に呼吸が楽になる。尊敬を籠めてオオトシを見つめ、今世の父神、スサノヲからの託宣を伝える。
「共に征け。旅の中、われより継ぎし、『血脈への誇りと力』が必要たらんと」
オオトシは、黒曜石のように深い漆黒の眼を、強い意思の輝きと共に見開く。
「……我が父神の御言の葉、しかと魂に……! しかし、私にも、『継ぎし』は恐らく緋徒乃詩、としかわかりません。ですが、託されし以上、何を以っても、この言の葉を導とし、旅の中、理を掌中に修めてみせましょう……。我が大倭乃国に『始祖王の遣い』と伝わる、この『天之磐船』の御前において誓います……!」
(な、何ですこれは? 天と地が混じり合う様に蠢く……? その狭間に何かが……?)
どうやら先の感覚は、ヤチホコだけが観じた様である……。「外」では、地響きと共に、天之磐船と呼ばれる大岩が、オオトシの誓いに応える様に鳴動している。
「……応えたけど、まだ何か足りないようね。――よしっゲンブ!」
先の雷鳥同様、ミチヒメは玄武に頼み、磐船まで跳び上がって地の氣力を送り込もうとするが、弾かれてしまった。
「氣力が入っていかない!? ならば、セイリュウ!」
青龍由来の水の氣力も同様に弾かれてしまう。
「……どうやら、何らかの別の方法が必要な様ですね……」
その様子を観たヤチホコは雷鳥へ尋ねる。
(……雷鳥、キミはわかるか?)
(……今はまだ、天之磐船の起動者は存在していません……)
今は……。そしてやはりこれも「神威之遺産」に間違いないようだ。
「……カンナは何か知りませんか?」
背中に背負った真輝銀の剣にも尋ねてみる。
「……私が産み出される以前の『遺産』の様ですね。……特定の『存在』が唱える『神呪』が必要……そう、観えます」
「……どうやら『今は』動かせないようですね……」
優しく剣の柄を撫でながら、ヤチホコは皆に伝えた。
「その様ね。今は、オオトシさまにご同行願って、向津日霊女さまの処へ行きましょう」
一頻り氣力を放出して、一息ついたミチヒメが促す。
「……それが先決でしょう。意宇国貴さまが、我が国の護りも兼ねられて下さるとの事。ヤチホコ、皆さん、参りましょう」
再び雷鳥は西の空へ飛翔していく。今度は限りなく高く上昇し、雲の海を音を超える迅さで斬り裂いていく。
「……素晴らしいですね。あの磐船も、動かす事叶えば……斯様に旅する事叶うのですね」
始めて空を舞うも、オオトシは冷静に感嘆の声を上げる。
「雷鳥とカンナの話では、どうやら今は、磐船を起こせる存在自体がいないようです」
ヤチホコの言葉を受け、オオトシは深く思考を廻らせている。
「……思い当たる事柄はありますが、断じる事は今はまだ出来かねます」
(おおよそ予想はついているのね……。憶測で言葉にしない辺りは流石。その辺りもラーマさまと似ているわね)
ミチヒメはオオトシの言動に、王としての振る舞いを観て感心していた。
「ヤチホコおにいさま、観て、眩しい位の陽光! もうすぐ着くみたいよ。あ、あそこにもう来ているみたい!」
ミヅチに促されて映る景色を見遣ると、真昼の天光が、紺碧の海を煌かせ、豊饒な日向の地へと降り注いでいた。港の横、広い砂浜に降り立つと、ミケヒコが足早に駆け寄ってきた。
「こちらの支度はすでに整っているぞ! ……ふん、お前らしいやり方だ。良い。道中の荒事はオレに任せるがいい!」
ミケヒコは、満身創痍のヤチホコを鑑み、逆手に力強く剣を握り、そのまま拳を前に突き出して水平に翳す。
「……久方ぶりでござい――こ、これは……もしや、一蓮托生呪……! ……ヤチホコ殿。このヒメ、身命に変えてもこの旅路、完遂させてみせましょう……」
ヒメはその孕む危険をも解し、何かを悟ったように誓う。
「我が愛すべき息子、ヤチホコや……。苦渋の判断、よくぞ……」
変わり果て、憔悴しつつも、以前にもましてその眼を輝かせる「希望」を前に、向津日霊女は思わず歩み寄って抱きしめる。
「……これを。必ずや、大難を小難へと、貴方を護って下さるでしょう……」
自身の祈りを籠めた八卦の首飾りを、ヤチホコの首に優しくかける。一瞬僅かに呪痕の痛みが吸い取られた。心なしか背負うカンナからも同様の波動を観じる。
不思議そうな面持ちのヤチホコを、最上の慈しみを籠め、彼女は微笑んで見つめ返す。
「……これは、彼の地にて待つ、神威への書状です。理の『外』なる、貴方について認めてあります」
固く封された巻軸を掌に、ヤチホコは西の空を見据える。
「……ヤチホコよすまない。おれ達はここで一度降り、回復を図る。『想い』、託したぞ」
「より一層の、虚空として、そしてヲノコとしての生長とご活躍、心よりご期待申し上げますわ」
(――この『想い』は、示される詩片の予見なんかに負けません……!)
タカヒコ達の言葉を胸に、いつまでも見送っている向津日霊女を背に、雷鳥は透徹なる碧落へ吸い込まれるように飛び去っていった。
ヤチホコは、強い意思を籠め、新たに石版に浮かび上がった「詩片」を見据えた……。
『捌 縛鎖抱えし天 地と邂逅果たし 集う希望の七柱 征く手阻みし理之神威』




