詩片の狭間 紅にはためく翼、黄泉平坂への道導
眼下を流れゆく紺碧が陽光に焼かれて紅蓮の道を示す中、天之鳥船「雷鳥」の船内には、重々しい沈黙、そしてそれを分かち合う者達の息遣いだけが静かに響いていた。
雷鳥に任せ自動航行に切り替えたヤチホコは、傍らに座るスセリの、少し冷えた手を包み込むように握っている。
「……スセリちゃん……。具合は、いかがでしょうか?」
慎重に、しかし慈しみを籠めてヤチホコはスセリを見つめる。
「……うん、大丈夫よ、ヤチ。ただ、時々、知らない処の……すごく悲しくて……激しい想いの『詩』が、耳打ちする様に鳴り響くの。……こうしてくれていると、不思議ね、少しだけそれが薄れていく気がする」
優しく包むヤチホコの手を見つめ、その想いに応えるように、スセリは微笑みをつくる。
穏やかではあるが、真剣な眼差しでミチヒメは神威之眼を以ってスセリを見つめて告げる。
「魂の奥底……今まで観じた事もないほどの強大な猛りし神威……。今にも脈打ち飛び出そうとするのを、ヤチホコくんの『虚空』が宥める様に共鳴している……。まさに『薄氷を踏む』心地。でもね、今のあなた……あなた達なら、きっと、『希望の道』に変えられるって、わたしは信じているわ」
拳をつくり目配せして力強くミチヒメは頷く。言葉を聴いていたタカヒコが、雷鳥を透過して観える険しき山々を見据え、噛み締める様に呟く。
「『黄泉平坂』か……。『始祖須佐の王』さまが御独神で支配の記述に抗い、希望を喪わぬため闘い続けし処。……ヤチホコ、その背の『アメノオハバリ』はすでにスサノヲさまの、荒ぶる『支配への反抗』を観じとっているようだぞ」
タカヒコに言われ柄に手を伸ばすと、確かに小刻みに、そして明らかに何らかの畏怖を顕すように、いつもよりずっと冷たく、昏く沈むような鈍い輝きで震えている。
(……カンナ……? この震えは、父上の気配に対して……でしょうか?)
(……すみません、今は応えかねます……ごめんなさい……)
己が師匠の柄を撫で、穏やかにミカツヒメが言葉を引き継ぐ。
「……あのお方は、如何程の永き刻を、御身ひとつで孤独に堪えてきたのでしょう。ヤチホコさん……『根源』に目覚めしあなたとの邂逅、スサノヲさまにとってこれ以上感極まる事はないと思いますわ。しかし此度は身命を賭す『目覚めの儀』の為の再会。己が娘を真理の炎に投じる様をその眼にしなければなりませぬ」
ミカツヒメの言葉で、ヤチホコの背負いし剣の重みが更に増し、カンナが沈黙した訳を察した。それは、これから待つ儀の苛酷さの重み。
「解っています。母上……向津日霊女さまは、スセリちゃんが乙女でいられなくなると言いました。しかし、僕の、そして剣に宿りしカンナの魂の奥底から、『想い』を観じるのです。『詠い直霊』するのは、姿形や……魂さえも、元と違うモノになろうとも……今まで、そしてこれから共に生きる刻を、今胸にある怖さも奥底に眠る破壊の権能も……すべてを含めて僕は受け入れ、今在る「スセリ」ちゃんである彼女の存在自体と、『自由な明日』に向かって歩む為に……僕は、『神謡者』として、この胸にある想念で詠い上げます。スセリちゃん、僕は絶対に君を霧散させたりなんてしません!」
「……ありがとう、ヤチ。でもね、ボクわかっているよ。ボクの中の『もう一人のボク』が目覚めても、きっとヤチが呼んでくれるって……。だから何度でも、幾世でもヤチの隣に還ってくる。信じて……ボクは、ヤチの『スセリ』だって」
天を仰ぎ堪えながら、あえてわざとらしく小さく笑ってミチヒメが肩をすくめて応える。
「……エパタイ。もう、どう聞いても世界を救う『神謡者』と『根源の女神』と言うより、ただの仲睦まじい逢瀬の囁きだわ。でもね、きっとその『一人一人が抱く愛』こそが、管理者には記述できない、最も恐れる『歪み』であり、わたしたちの『希望』なのよ。……どうやら観えてきたわね」
ミチヒメが見遣る先、大地に囲まれた海と、葦茂る地が観えてきた。
「あそこが葦原の国。彼の地に存在すると言う黄泉平坂こそ、おれ達の、そしてこの世界を『詠い直霊』はじめし処だ」
雷鳥は逢魔が刻を超え、紫光が暝色に移ろい、星の海が広がり始めた空を流星の様に翔け抜ける。それは管理され定められし「秩序の昼」より、歩みにくくも無限に広がる「自由な夜」か、「平穏な日常の乙女」か、「激動の破壊の女神」か……。様々な思いを内に秘め、一行は宿命の地へ舞い降りていった……。




