第12倭 (前編)秩序の都、絶望の鏡像
北の凍土に「希望の繭」を遺し、天之鳥船「雷鳥」は一路、南へと進路を取る。
眼下の景色が、凍土から荒涼とした原野へ、そして次第に緑を携えはじめ、眩しく煌く深い紺碧が笑みを湛えてうねる。
「雷鳥繰り」を一頻り堪能したヤチホコは、満足気な表情で操縦を彼女に任せ、皆に順調に飛行している事を伝える。
ふと、ルースの言葉を思い出し、俯いて己の掌を見つめ、想いを廻らせる。
(……僕を待ち、逢う為だけに、何度も何度も……『輪を廻り』、緋徒の、民衆の営みを繰り返して……)
「ヤチ……。あんまり考え込まないで、ね?」
隣のスセリが優しく掌を重ねてくる。
それは、とても小さく頼りなげな楓の葉。
今の彼が少し力を籠めれば、いとも簡単に壊れてしまいそうな、「華奢で儚げ」な緋徒の器。
彼女の歩みし、悠久の艱難辛苦が胸中に浮かび上がってくる。
「……ごめんなさい。
スセリちゃんが耐えてきた孤独と痛みを……」
「ボクはね、ルースさんのお話聞いて安心したんだよ」
スセリは軽く首を横に振る。
そして、眼下に輝く海の優しさを瞳に浮かべ、穏やかに微笑む。
「ボクが今弱いのも、意味のある大事な事だったってわかったの。
それが、ヤチと出逢う為、ボクが選んだ『護り方』だったんだって。
それにね……。
もしボクが最初から強い神威だったら……。
きっとあの刻、ミカツヒメさんの弱さと過ちを、必死に抱きしめたり出来なかったと思うの」
「スセリちゃん……」
「この『器』は脆いかもしれない。
でも、だからこそヤチの、みんなの温かさをこんなに近くで観じられると思うの。
出来るなら……『このままのボク』で、ヤチの隣にいられるように……なりたい」
悟っている。
スセリは話のすべてを理解出来ないながらも、現状の切実さを観じとっている……。
込み上げる胸の熱さを必死で堪え、ヤチホコは慈しむように彼女の掌を包み込む。
(僕の『生きる意味』……。
儚くも掛け替えの無い『器』を、絶対壊させるものですか!
管理者の記述からも、神威の運命からも、君を必ず護り抜きます!)
それは、喪われし「根源」の記憶も、先世からの姉を想う「弟」想いも、抱えて生き抜く「ヤチホコ」の、すべてに勝る決意。
やがて、水平線の彼方に観えてきた肥沃な大地。
そこに造られし、ゆるやかに海へとそそぐ運河。
綺麗に整備され幾重にも連なり流れゆく。
其処は、大陸との玄関口でもある、陽光煌く巨大な都――港ありし都。
「北の凍れる大地とは、まるで違うわ」
晴れ渡る空を観たミチヒメの歓喜。
雲一つなく澄んだ蒼き空。
そこに燦然と煌く、この季節でも、力強く眼下を黄金色に染め上げる太陽。
「『港ありし都』……。
比武の錬以来ですね……。
母上の治めし國」
あの刻と違い、ヤチホコは、向津日霊女が己の子神だと知っている。
想い寄せると、言い顕しようのない感情が込み上げてくる。
雷鳥を着水させ大水門を潜る。
するとそこには、「露丝」とは全く異なる、完璧なまでの「秩序」が、強い違和感となって視界に入り込んでくる。
「……『整い過ぎ』ています」
歩く民衆。
行き交う船。
荷下ろしの拍子までもが、一糸乱れぬ高度な仕組みの中で動いている様にさえ観える。
街を歩く民の顔には、飢えも怯えもない。
そのあまりの理路整然さに、「管理された幸福」という言葉が頭に浮かぶ。
(これじゃまるで仮想世界の街のようです……。
それとも何らかの意図で……?)
観之眼を遣うと、規則正しく幾何学模様を描き、想念が中央の神殿へと集束されていくのが観える。
「……何らかの呪法で、効率良く『想い』を集束させている様に観えます」
ヤチホコの言葉を聴きつけ、ミチヒメは燦然と瞳を輝かせる。
「神威之眼!
……あぁっ、これ、途轍もなく巨大な八卦図だわ!
みんなが普通に暮らすだけで、自然と街を護れるようにしてあるわ」
深淵を見抜いて思わず漏らすミチヒメの驚嘆。
恐らくは向津日霊女が施した防御呪法だろう。
「……向津日霊女さまの元へ参りましょう」
意宇之國にあるものと瓜二つでいながら、全く趣を異にする神殿へと足を運ぶ。
上へ昇ると、階の向こう、露台にて街を観護る女性の姿。
「母上……いえ、向津日霊女さま」
永く艶やかな黒髪を、後ろで一つに結い上げて下ろす。
八卦の銅鏡の首飾りを下げ、祭祀用の、真紅の衣に純白の薄衣を羽織った姿。
その彼女が、観た事もない鋭い視線で眼下の都を見つめている。
断片的に観せられた映像の中にあった神威の光は、比武の錬の刻同様、今の彼女からはまったく観じない。
その身に宿りし氣力も霊力も、「希望之神器」に「根源神威」を降ろさんが為に喪い、非力な民のそれである。
その彼女が、突如、裂帛の気合を籠めて神呪と共に算木を揮う。
するとその身より、神々しいまでの氣力と霊力が放たれる。
彼女はそのすべてを、都に敷かれし巨大な八卦へと注ぎ込んでいる。
「我が業は我が為すに非ず!
天地神明の通力よ 八卦の理に従いてここに集え!
邪を祓い、場を清め、随神にしてすべてを護り、幸いを顕し給え!
乾! 兌! 離! 震!
巽! 坎! 艮! 坤!』」
「すごい……あの呪を、完全に遣いこなされているわ!
まさにわたしの理想……。
神威ならずとも、『想いと智慧』を以って大地踏みしめ進む者……」
彼女の完璧な権能の発現に驚愕するミチヒメの称賛。
「――っ! ヤチホコ……!
そして連なりし『徒』達。
また一つ、大いなる歩みを成し得、良くぞ還られました
――その剣、我が背スサノヲの!
そうでしたか……。
ルースさまの処にて『眼』から逃れ、機を窺っていましたか……」
(話していないのに! あれも八卦のチカラ……?)
驚愕するヤチホコをよそに向津日霊女は皆を労い見回す。
そして彼の背負う剣が眼に入り顕す向津日霊女の驚愕。
「これは、父上も遣われし剣なのですか?」
「まさに……。
これこそ、わが背が受け継ぎ、『定め』の先へと振り上げしも届かなかった『自由意思』の象徴。
『叙事詩』から消え去りて、『刻』を待っていたのですね……」
瞳から一筋熱い滴をこぼし、感慨深い表情でそっと指で剣をなぞる。
そして、堪えかねたかのようにヤチホコへ抱きつく。
「向津……いえ、は、母上?
いいえ……『ヒルメ』。
神威喪いしその器、『希望乃智慧』をその掌に修め、この都を、僕達を護って下さりしこと感謝が尽きません……」
その言葉に向津日霊女は静かに頷く。
耐え兼ねる様に、彼の胸に顔を埋めて嗚咽を堪え、溢れる想いを差し出す。
ヤチホコは、「母への敬愛」と「娘への慈しみ」を籠めて、優しく抱擁する。
(スセリちゃん……。
そしておそらくはその中に眠る『楓』ちゃん同様。
遥かなる悠久なる刻を超え、僕と言う名の希望の還りを……。
きっと彼女がこの時空に生まれてきて以来……ずっと待たれて……)
彼女にとってヤチホコは、自身にも宿る「直霊された記憶」と違い、今世スセリが生誕して以来、十数の刻を廻りし間、切に待ち望んでいた存在である……。
その真実を抱いているであろう「切なる想い」が、静かに、しかし身を焦がさんばかりに伝わってくる。
(胸が、熱い……?
お母さま……ずっと『前』……から……?)
刻を超え交わし合う父神と娘神であった二人の想い……。
理解出来ずともスセリも意図せず共鳴する。
一頻り想い伝えし後、普段観せぬ「娘としての狼狽」に慚愧もせず、彼女は掌にした算木を揮う。
「……これで此処、『神託の間』は、「真なる想い」持ちしモノ以外は入れません。
お父様、お母様……そしてともがら達よ、どうぞ中へ」
神呪を詠い皆を誘う向津日霊女の声明。
それに応えるかの様に、突如、重く沈黙していた、背負いし「真輝銀の剣」が、小刻みに振動して白銀に輝き出す。
未だ重々しさはあるが、ヤチホコの掌に吸い付く様に納まる。
「神威無き今の母上の『想い』に応えている……?」
驚くヤチホコに対し彼女は語る。
「先天・八卦」は、力無き民を憂う伏犠が、慈しみの果てに生み出した呪法だと。
そしてその完成に彼女も、そしてスサノヲも大きく貢献したと。
それは、正しき「想い」を権能に変える「智慧」であると。
「後は中にてお話いたしましょう」
意を決し、選ばれし者のみ入れる「神託の間」へ向かう。
「……全てご存じなのですね。
ありがとうございます……。
おかげでこの刻に僕は……」
「はい……。
今世はヤチホコや……。
あなた、いえ、貴方様に宿りし魂がどなたなのか、とくと存じております。
我が背と共に、自身の権能を賭して造りし器に宿りし父なる『根源』よ」
静かに、しかし全てを吐露する様な向津日霊女の言の葉。
「……かつて執り行いしいにしえの儀。
それは、管理者の綴りし『絶望の詩』を、外なる刻から『詠い直霊』す為に他なりません。
その為に、力無き民衆が平和に暮らせ、「絶望の詩」に抗う『希望の牙』研げし処として、この八卦の都を築いて待ち続けていたのです……」
続けて彼女は、己が遥か過去、前乃世の反乱にて、「虚空」足りぬ故に敗れた事を打ち明ける。
「……あなた方二神の『想い』を継ぎ、『禁忌の神呪』にて、わたくしとスサノヲの間に生じさせた『虚空』。
しかしそれでは、理の外の『主』はおろか、その腹心である、『真なる管理者』すら封じる事叶いませんでした。
『虚空』とは……万象への慈愛の元、真理を悟り、己が『想い』を以って魂に宿す力。
それこそが、すべてを受け入れつつも、己が想いで自在となる、真の『自由領域』……『無限乃希望』なのです」
彼女は「空の誓約」の真実を語る。
その儀は、都の地下深くに築かれた「海と川混淆せし処」にて執り行われる。
そこは、八卦の理で造られ、万物の本質を暴き出すと言う、「顕現の鏡像」と呼ばれし迷宮。
「他の『四大』と違い、『虚空』は、神威と契りて権能揮うのではございません。
すべての根源たる『大いなる真理』と、直接『想い』交わし繋がることで、はじめて『真の遣い手』となります」
地下迷宮の最深部で、ヤチホコは、今しがた、力強く「母」に宣言した想いが霧散するほどに、愕然として跪く。
そこは、八卦の理に準えて配置された、磨き上げられた巨大な八枚の水晶に囲まれし玄室。
映し出されるは、ヤチホコの魂に深く刻まれた、逃れ得ぬ罪業……。
何者かが鏡面に映し出され、頭の内に響かせる狂気の高笑。
それは、「自由意思」を得たばかりの、無垢で無邪気な「根源神威」。
彼の耳元に忍び寄る、道化師の囁き《ピリマ》。
「ヒヒッ! 『魂宿る剣』って面白そうだよねぇ!
きっとキミの一番の『お気に入りを遣えば』、最高のモノが出来ると思うよ!
ヒャハハハハ!」
ジェスターの甘く昏い提案。
善悪を知らぬイザナギの好奇心は大きく揺り動かされる。
最も忠実なる配下――法を司りし祓戸大神の一柱、瀬織津。
「直霊の伊豆能売」である彼女を、イザナギは「詠い直霊」し、自らの掌で燃え盛る炉へと投じる。
それは、すべてを斬り裂く非情の刃「アメノオハバリ」を打つ為の、あまりに純粋で残酷な供犠……。
「あ、あぁああっ!
こ、こんな事……。
僕は、か、彼女で、この剣を造ったと言うのですか!
ぅぁああっ!!」
背負し白銀の剣が、黄泉の深淵へと引きずり込む。
瞬く間に耐え難い重みとなり、ヤチホコへ圧し掛かり背骨を軋ませる。
重圧の中、視界の片鱗に映るは、「彼女」を構え、天之鳥船を繰り、嬉々として星々之海を翔け廻る姿。
狂気と恍惚に酔いしれ、すべてを斬り刻み灰燼にしていく白銀の紅眼……。
同じ顔、同じ瞳を携えながらも、ヤチホコとは似ても似つかぬ存在。
彼は、怨嗟の朱に塗れた瞳で嘲笑う。
『その背にあるは救いでも希望でもない。
宇宙を刻み怨嗟の尾を引く絶望の刃だ!』
絶望の真実に断ち斬られ、ヤチホコは力無く崩れ落ちてしまった。




