第11倭 消え去りし街 自由都市露丝
「……一旦奴国へ戻りましょう」
ヤチホコは己の知り得ぬ事を求め、奴国へと戻る。
(……ウガヤ兄、義父王、そして向津日霊女さま……どんな情報でも良い、あの『飢え』を解決できるなら……!)
(……このまま楽浪郡上を通る航路をお勧めいたします……)
(それはウガヤ兄が何か名案を持っているのですか? 雷鳥?)
(……この問いは、あらゆる危険性を孕み現状応えかねます……)
(……また奴等の罠でもあるというのか……くそっ! 待て、それでもこのままが良いのですか雷鳥?)
(……それが最適だと思われます……)
まずは楽浪郡を通り奴国へ。行ってみてから考えようと、気持ちを切り替え雷鳥を加速させる。
(言われたとおり楽浪郡……敵はいなさそ――!?)
「待ってください……。ここ、何かが『歪んで』……いや、『正されて』いる?」
ヤチホコが『観之眼』を凝らすが、そこにはただ風に揺れる枯れた草波があるだけだ。
「観てくるわね」
ミチヒメが枯れた冬の草原に降り立つ。確かに敵はいなさそうである。観る限りは何の変哲もないただの枯草の平原――突如何かにぶつかった。
「痛っ! え、え? 何か……ある……?」
突如として、大気が陽炎のように揺らぎ、巨大な「門」が姿を現した。観ると、滅びの砂が門の直前でそよぐ風へと変換されて凪いでいる。
「あれは! 奴らの『滅びの詩』が届かない……いや『書き直されて』いる! そうか、僕ら『権能の遣い手』の力を、この空間は中和しているんだ! これは探そうとすればするほど、己のチカラが妨げになって見つけられない……よし」
ヤチホコはミチヒメに倣い、己の意識を「無」にし、完全なる『空』へと同化させた。すると、蝕知される門の感触。扉の向こう側には、異質な活気を持つ街が広がっていた。外の崩壊をよそに、平穏ないつもの冬がそこにはあった。入り口に刻まれた名は、「自由都市露丝」。
その横にぽつんと立つ店が一つ。看板には「万事屋ルース」。
「万事屋……その後のあれは何? あの文字? はじめて観るわ?」
「本当! なんて書いてあるのかな?」
ミチヒメとスセリが不思議がって眺めている。
ヤチホコは戦慄いて凝視する。それは「音を記号化し、概念を定める」この世界の「記述」とは違い、「物語を綴り、想いを顕す為の詩」と観じたからである。
「……よく『来れたね』! ようこそぼくの故郷へ!」
「アビヒコ!」
一同驚いて声を合わせる。聞くと、アビヒコの両親は、この隠れ里の様な街で民衆の為に勤しんでいると言う。案内されて中に入ると、そこには理知的で真剣な眼差しで手元を見つめ、油まみれで道具を修理している白衣を纏った壮年と、横でいそいそとお茶を入れる、髪を横で結い、袖が無く、着丈の短い薄手で動きやすそうな衣を纏った、町娘の様な少女としか思えない女性が観えてきた。
「……お初にお目にかかります、奴国は意宇国の王子、ヤチホコと言います。まずはアビヒコのおかげで双方犠牲なく、無事に神聖城国を奪還できたこと感謝いたします。お尋ねいたします、ここは、この空間は一体……?」
「『ヤチホコ』くん、か。……まずはここに入れた事を評価しよう。そして、国は取り戻せたが、『何も解決出来ていない』……だろう?」
正鵠を射抜ぬくルースに、ヤチホコは戦慄を覚える。
「その理解のチカラ……看板の「想い」、あなたはもしかして僕と同じ『外』の……」
「……残念ながらそうではない。が、君の話をすべて理解出来る、数少ない存在だと伝えておこう。まずはこれを食べて暖を取りたまえ」
「はい、お待たせ! 香ちゃん特製の美味しいコレよ!」
出されたのは……なんと「竜輝」の好物の蕎麦であった……。
「そ、蕎麦! そんな、まさかこの世界で出逢えるなんて……!」
確かに蕎麦の実自体、縄文時代にはすでに伝播していたが……。
(記憶では江戸の頃、『この辺り』から技術が――まさか!)
「……私の編み出した製法で、小さめの麦と、蕎麦の実の粉を混ぜ合わせて練り伸ばし、細切りにして茹でたモノだ。美味で温まる。さぁ召し上がりたまえ」
出汁を一口飲む。醤油の風味が五臓六腑に染み渡る。ここはあの『砂音』も聞こえない。懐かしさで張りつめていた緊張の糸が解け、竜輝――ヤチホコの頬を熱い滴が伝い落ちた。
「そんなに美味しいの? じゃぁボクも!」
「アビヒコが前に言っていたモノね。わたしも頂くわ」
二人とも一口頬張り、眼を合わせて驚いている。
「口にあったようで何より。醤の応用で造った油だ。何でも美味しくする優れモノだよ」
ヤチホコは、一口一口噛み締める様に綺麗に飲み干して、一刻の安らぎを観じていた。優しく眺めていたルースの視線が、ふとスセリに止まる。その視線はまるで深淵を覗く様に鋭い。
「ヤチホコくん。君の器は、まさに『希望の結晶』だ。外なる魂を受け止める為、出来得る限りの権能が集約されている。……矛盾に疑問は抱かないかね? 対するスセリくんの、驚くほど脆弱なただの緋徒の器に」
ヤチホコは息を呑んだ。
「……確かに、彼女は僕と違い『普通』です。でも……」
「彼女に眠る『楓』くんの想念の強さ、そして恐るべき賢さ、素晴らしいと思わないかね? 管理者の『叙事詩』は、強大な輝きを放つ『歪み』を決して認めない。故の辛苦は既に承知だろう。ミチヒメくんも然り。だが、彼女はあえて『最も弱き、名もなき器』の中に沈み込み、自らを封印した。叙事詩に紛れ、ただの村娘として『輪を廻り』ながら……。それは君がここに還るまで、幾度も代を重ね刻を耐え忍ぶ、究極の賭けだったはずだ」
まさに青天の霹靂だった。ヤチホコは感極まりスセリの手を強く握りしめた。
「スセリちゃん……僕を待つために、あえてそんな脆い身体を……」
「どうしたのヤチ? 大丈夫、ボクだってもっと強くなって見せるよ?」
気遣われ向けられた笑顔に、「愛ゆえ耐えし悠久」を観じ、ヤチホコは堪え切れずに嗚咽する。
「ヤチ? もぅ本当に大丈夫だって! 心配しないで、ね?」
「今度は、今度こそ僕が、君を、君の『器』を護り抜いてみせます……!」
二人を見つめルースも天を仰ぐ。しばし後に静かに告げる。
「いつしか……封印解けし刻、彼女の『器』が耐え切れないかもしれない。……それを救えるのは、『希望の器』たる君の空だけだ」
余命を告げられたかの如く、ルースの予言がヤチホコの心の奥深く沈み込んだ。
「……今は心に留めておくだけで大丈夫だろう。……当面の問題を話し合おうか」
そう、今考えても仕方ない事より……ヤチホコはルースを見つめ応える。
「既にお解りでしょうが、「食」こそが問題です……!」
ルースは深く頷いて合図を送ると、香が何かを持ってくる。
「……こうやって粉にして寝かせてある。練って餅にするならすぐ食べられるだろう。天之鳥船で来ているのだろう? 積めるだけ持って行くと良い」
「……ありがとうございます! これで当座は……」
「……ヤチホコくん。君の願いは、『極寒の地で命を芽吹かせる智慧』だったね?」
ルースが語りだしたのは、神威と喪われし理の融合だった。
「陽光だけを通し、寒風を防ぐ『透明な布』があれば、冬でも作物は育つ。海水から『稲妻』で電気分解を行って『塩素』を取り出し、ウガヤ殿が以前掘り出してくれた『石油』と化合させれば出来る」
(プラスチック……塩化ビニルの生成工程をこの時代に!?)
ヤチホコは、記憶の中の科学知識を総動員して、ルースの驚愕の理論を反芻する。――確かに出来る。「電気」さえあれば。
(まさにこれは……奴等がこの刻より排除した……『禁じ手』! しかし遣い方を誤れば……一国をも滅ぼす毒ガスにも……!)
「……全ての事象に善悪はない。『真なる智慧』とは、毒をも薬に変える正しき想念だ」
(想念……まさにそうだ。銃だって、生きる為に狩りをするなら――悪じゃない……!)
ルースの言葉を真摯に受け止めるヤチホコをよそに、香は静かに変貌していく。そこには先ほどの町娘的な愛嬌のある存在とはかけ離れ、今の自分すら凌駕する神々しさを纏った存在が顕れた。
「……わたくしの事は『ラィラ』とお呼びくださいませ。その『布』、無事出來ましたら、どうかこれを。……これは遥か東方の旅の中、捧げられしモノ。地の中にて、誰も知らぬ間に命を紡ぐチカラを育みます。まさにあなた方の生きざまそのモノですわ」
「香」から変貌した『ラィラ』は、ヤチホコに祝福を与えるように言葉を授け、何かを差し出した。それは東の果てから旅してきた「希望の礫」――「ジャガイモの種イモ」であった。
眼に光が宿っていくヤチホコを、二人は優しく見つめている。ふと見上げたヤチホコは、二人の間に永劫の刻を経た様な信頼感を垣間観る。突然何かが脳裏に浮かぶ。それは、――天より堕ちる、傷ついた翼に寄り添う女神。共に詠う姿――。
「うぅっ! 永劫の刻……翼……女神……? あなた方は……?」
「……無理をしない方が良い。刻が来ればそれも解るだろう。まずは、今すべき事に専念したまえ」
優しく諭すようにルースが応える。横でラィラも優しく頷く。
「……己が想念で、地に足つけ『希望』として歩まんとすることを、心よりうれしく思いますわ……。さぁ、また一つ、歩まれて下さい……」
(……そうです。今は出来る事を行い、『前へ』、です!)
「ヤチホコさん、カンナカムイでしたら……ワタシは独りで作り出せます故、ご助力いたしますわ!」
ミカツヒメも想い籠めて口添えしてきた。一行は、街の囲いの外の「門」の手前にて、凍える中、タカヒコが地の権能で巨大な池を作り海水を溜め、ミカツヒメは変成男子にて「雷神ノ剣」を揮う。ヤチホコ達も属性を重ね合わせ、落雷を溜池の海水へ撃ち込む。
「雷神之剣閃!」
幾度かの施行の末、分解された海水に代わり、異臭を放つ液体が顕れた。
「海の水から塩が出来たのかな……?」
舐めようとするスセリを慌ててヤチホコが止める。
「こ、これは塩とはまた別の理を持つモノです。肌が荒れますので触らない様に。今の内に渡された入れ物へ!」
大量の塩素液を手にルースの元へ。
「有難う、これでうまくいく。出来るまでは街の散策でもしてくれたまえ」
街の中は驚きの連続であった。
「わぁきれい! どの家にも玻璃が……それになんだかとても暖かそう」
「こっちも信じられない。玻璃の中で火が灯って辺りを照らしているわ」
「ミカツヒメ、観るが良い、これはまさに真輝銀! オオトシ殿がスサノヲ様より受け継ぎし剣以外、観た事ないぞ! ヤチホコ、これに持ち換えたらどうだ?」
タカヒコに言われ手にすると……かなりの重さだが、掌に吸い付く様に収まる。軽く氣力を流し込もうとするが、いつもと違い上手くいかない……?
(何だ? チカラが……? 真輝銀? 銀ではなさそうですが、遥かに硬く似た輝きを持つ……?)
白銀に輝く剣は、刻を待つ様に、ヤチホコの「想い」を値踏みするかの様に、静かに光を放っている……。
「気に入ったかい? 綺麗だけど重いだろう? 『天降りし岩』で出来ているのさ。剣として鍛えるのも物凄いチカラいるし、そもそも重すぎて誰も遣えないんだよ。べっぴんさ……いやあんちゃんかい? 良かったら家にでも飾っておくかい?」
(天降りし……ニッケル合金! オオトシ兄の話では、確か銅以上に氣力を徹すはず……?)
この重量、確かに民衆ではとても振れないだろう。――それもだが、この商人、ここしばらくにはない「普通の反応」を示している。
「どうやら、僕等の権能、この街では完全に抑え込まれているようです……!」
ヤチホコは、剣を受け取りそう伝える。試しに氣力を解放しようとしたタカヒコも、全く発現できない。
「……故の護りの強さ……か! このような護り方もあるという事か……!」
強さばかりが力では無い事を観じ、さらに進んでいくと、街の奥中央に、小ぶりながら厳かな神殿が観えてきた。最初に足を踏み入れたミチヒメが、思わず驚きの声を上げる。
「この気配! 今の状態でもありありと観じる程の! あの『城』と同等……もしくはそれ以上の……!」
神殿内より、『神威之城』が放っていた絶望的な圧迫感とは正反対の、しかし「同等の質量」を持つ神威を観じ、息を呑む。祭祀を司る神官は、ヤチホコ達に静かに告げた。
「ここは『真理の導き手』と言い伝えられし神威が眠る場所……。この街は、彼とその伴侶、二柱の愛によって護られし聖域なのです」
「……その言葉、なんでかな、すごく気になる……? 前に、そんな事をボクもしたような……ぅんっ! あ、頭が痛い……」
ヤチホコは胸が締め付けられるも、そっとスセリの肩を抱く。
「『無理をしない方が良い』、そうルースさんが言っていました。さぁ戻りましょう」
様々な疑問が飛び交うも、今すべき事へと、ヤチホコは再度気を引き締めた。
雷鳥をはためかせ北の凍土へ舞い降りる。当座を凌ぐ「粉」と、ルースから授かりし「透明な布」、そして香とラィラより授かった「蕎麦の実」と「種イモ」。ヤチホコ達は正気に還り今を凌ぐオロチ族と共に、雪明かりを受けて輝く透明な覆いを組み上げていった。
「これなら……お日さまの温もりだけがここに入れます」
ヤチホコは、自ら耕した大地へ種イモを埋める。神威ならぬ、緋徒の、民衆の祈り。数日すると雪原に並ぶ「希望の繭」の中、種イモも蕎麦の実も青々と芽吹く。目にするやオロチの民は跪いて嗚咽した。
「……この地のお天道様が……地に宿って下さった……! ありがたや……。俺たち、もう飢えなくて良いんだ……!」
管理者の綴りし、絶望を顕す「終焉の詩」を、智慧と絆で「生命の詩」へと塗り替えた瞬間であった。
(これが、誰の『詩』でもない、僕達だけで掴み取り詠いあげる『希望の明日』だ!)
強い想念を籠め、ヤチホコは遥かな空を睨むように見上げた。
「熱っ……まさか! みなさん、新たな詩片です!」
『(漆)呪縛の城を退けて 緋徒と民衆手を取り合い 大地に希望の繭造り 虚空は挑む 目覚めの儀』
今度は、砂時計の上に浮かび重なるも消えなかった。
「……『目覚めの儀』って一体どんな事でしょうか?」
ヤチホコが『詩片』を手に尋ねると、一息置いてルースはゆっくりと応える。
「君の『空』の誓約の為には、その理を司る『向津日霊女』殿に、正式にまみえる必要がある」
(……『四氣王』との契約以外に何かあるのでしょうか……?)
「解りました、母上の元へ……!」
一行は露丝を後に南下し、日向の首都、大陸との玄関口を担う、「港ありし都」へと向かう。
そこは、今世ヤチホコの「母」であり、前世己の「子神」として想いを託した、今の向津日霊女が統治する地。「親子の再会」、そして「神威としての誓約」。待ち受けるは、眩く煌く陽光と、潮風が囁きが告げる、新たな動乱の予感であった。




