第9倭 過処之証(かしょのあかし)楽浪郡の邂逅
『雷鳥』は荒れ狂う玄海の海でさえ、一瞥の元翔け抜けてゆく。
「……これよりは彼の城の網にかかります。一旦着陸します……」
雷鳥が緩やかに着陸した先は、この半島の統治を、大国漢より任されているウガヤ住まう楽浪郡であった。
「ここは確かウガヤ兄が治めている……」
「そうよ、国の名を拝命した叔父さまが治めている……この地で最も平和な国『上伽耶』よ」
ミチヒメが軽やかに飛び降りてくる。
「あ、この氣力! あそこで出迎えてくれてるのは……!」
纏いし風から、スセリがその力強い氣力を観じとる。その先にて一行を待ち受けるは、先の比武の際に錬をしてくれた、厳格で崇高な精神を持つ、鍛え抜かれた巨躯の武人、ウガヤであった。
「ヤチホコ……いや、その姿、そして彼の乱にて天翔けりし神威……! 天之鳥船従え、『白銀の継承者』となりつつありし者よ、良くぞ参られしなり」
運命の流転を観じ驚嘆しつつも、信頼を籠めた声が静かに響く。彼の言によれば、神聖城国に突然顕れた支配者によって、狂気と恐怖に駆られたオロチ族が、あり得ぬ事にここまで攻め入ろうとしているらしい。
「故、我この地より動く事叶い難しであるが、父王スサノヲより預かりしこの『過処之証』を、受け継がれし伝承に倣い授けよう」
この地の王であるウガヤが懐から取り出したのは、一見細かな刻印の施された金属の許可証であった。これでこの地を自在に行き来できると言う。
「『真なる権能顕るは 操舵の座にて 翳しし刻なり』斯様にも聴き及びしなり。故、天之鳥船にて試すが良かろう」
「ここはぼくとウガヤ様に任せてミチヒメ達は神聖城国へ!」
横から声をかけてきたのはアビヒコであった。
「またもや彼のモノ達は……縋るモノ無き故の弱さを突かれ、悪の尖兵に已む無く堕とされしなり。故、屠る事は憐れで出来ぬ為の……」
「そう、そうだったわね。あの刻も結局アイツ等に脅されて……。成程、それなら確かにアビヒコはうってつけだわ」
納得した様にミチヒメが応える。しかしヤチホコには疑問が浮かび尋ねる。
「確か比武の際、彼の霊力が足りなくて棄権していましたよね? それが、適任……?」
「……確かにぼくは弱い。民衆と大差ない位に。だから、ぼくが付与したチカラでなら、相手も『輪を廻る』事もない、そういう訳さ」
アビヒコの話では、彼は弱いがすべての属性を行使可能らしい。そこで、風をウガヤの槍に纏わせて……
「彼の付与の元、我が槍にて薙ぎ払いしならば、草花と戯れしのみなり」
どうやらウガヤは、兵が退いていく日没まで、弱く付与された風によって吹き飛ばし続けているらしい。
「……流石の我もそう永き刻は持つまい。故、双方に犠牲出ぬ内に黒幕を追い詰めん事、そなたのその『白銀』に委ねしなり――さぁ行くが良い!」
突然ウガヤは北方へ向き直り槍を構える。遠くに観えるは……砂塵巻き上げ押し寄せる大軍!
「そんな、あんな大軍相手にたった二人で! しかも『輪を廻ら』せずに? 僕等も――」
「ヤチホコ、君の氣力では彼らは間違いなく輪を廻るよ。まぁ、まかせておいて!」
「アビヒコの言う通りだわ。本当、色々と無自覚なんだから。叔父さま、アビヒコ、まかせたわよ! わたし達も自分の役目を果たしましょう!」
「わかりました、ウガヤ兄、アビヒコ、ここはお任せいたします! 僕等は一刻も早く元凶を追い詰めます!」
「任せたり!」
彼らの背後で雷鳥に乗り込む。ヤチホコは、ウガヤに言われた通り「過処之証」を翳す。
――カチリ、と何かがかみ合う感触が脳裏に響く。
直後、金属版は煌く光の粒子となり霧散し、膜様画面が警告を顕す紅より紺碧や深緑へと目まぐるしく変わり始めた。
(……記録された想念……及び認証コード確認しました……)
雷鳥の、懐かしさと慈しみの籠った囁き(ピリマ)がヤチホコに伝わる。
(これより特殊詩片、『選別反転』発動します……完了。『想念者』、これより雷鳥は管理者の綴る『叙事詩』から除外され、行間に吹くただの一陣の風と認識されます。もはや誰にも見つけられません……)
「……何ですって!? すごいです! ウガヤ兄がくれた『証』は、僕等をあいつらの眼から逃す『隠れ蓑』でしたか!」
ヤチホコは思わず感嘆の声を漏らした。あの『管理者』が支配するこの世界において、恐らくすべての存在や現象は監視・検閲されている。だがこの特殊コードは……一行を排除すべき選別対象から、「無視して良いただの風」に反転させたのだ。
「隠れ蓑、確かにそうね! 観て、氣力の波動が船の内で廻っているわ。これなら誰も雷鳥の『氣』を観じられやしないわ!」
ミチヒメも雷鳥が氣力を側に廻らせて翔ぶさまに感嘆の声を上げる。
「……行きましょう。彼らの用意した『筋書き(シナリオ)』を、僕等の想念で書き換えましょう!」
スセリも力強く頷き、雷鳥はさらにその翼をはためかせ飛翔していく。それは音も姿も抵抗感もなく翔け抜ける、一陣の風。叙事詩から姿を隠した「観えざる反逆者」達は、絶望の砂時計を止めるべく、朱に染まる雲海を突き抜けて行った。




