八杯目:傾国の妖獣ども
「イバラ、いいか、お前は一定距離を保って待機しているんだぞ!」
【あいあいっ】
パチ屋によくある耳栓をし、腰にトゲを引っ込めた茨を命綱よろしく巻き付ける。
マリとイバラを残し、俺と干岩は並んでマンション正面の敷地へ足を踏み入れた。
右手には斧、左手には一升瓶、ぐいぐいと煽る。
爽やかな喉越しだ。気分は一日に千里をも駆けれそうな芋焼酎である。
かー、やる気が漲ってくるねぇ。イケる気がしてきたぜ。
三廻の〈妖〉がいるらしい。直近で痛い目にあったばかりだった。
俺だって馬鹿じゃないので、危険があることはわかっている。
しかしそれはそれ、これはこれ。
ここの立地は譲れん。
というか〈妖〉がいるたびに道をそれていては、俺の思う理想に至れない。
勝てない可能性だって当然あるが、その時はちゃんと情報をとって退却する。
いつか必ずぶっ殺すためにだ。
やりもしないで逃げるやつは、そのうち全てのやる気を持てなくなる。
そんな奴はこの世に腐るほどいる。
半開きのまま固まっているオートロックの隙間を抜ける。
エントランスが広がっている。
左壁には郵便受けや宅配ボックスの受け取り口。右壁側には管理室の受付窓口があった。
今のところ敵はいない。
この建物は見下ろすと『回』型の構造になっているようで、目の前には中庭に通じるもう一枚の自動ドアがあった。
階段やエレベーター、各階の廊下にアクセスするには、この中庭に入る必要がある。
とはいえ、まず目指すべきは右側にある管理室だ。
「なあ岩さん、その扉引っこ抜けるか」
干岩、岩ちゃん、平社員、色々考えたあげく無難な呼び名で指示を出す。
「――て、――す!」
多分了承を返したのだろう。ドアノブを掴み全力をこめる干岩。
ロッカーを押しつぶしたような独特の金属音がして、馬鹿力によって扉ではなくドアノブが引っこ抜かれた。
開いたから良いけど、哀しきモンスターの才能があるよ。
ミンナ、コワレチャッタ。
結構な音がしたが、いまのところ何の気配もない。
中に入る。椅子とデスク、パソコンに真っ黒な画面のモニター。
奥の壁に目的の金属の四角いボックスが引っ付いている。
お、これは来たか。
手斧でボックスの留め金をピンポイントでぶち壊す。
開いてみると、そこには予想通り鍵が四十本近く並んでいた。
ラッキーだ。共用部分の鍵もあれば、各戸の預かり鍵もある。
最近の賃貸では、責任回避に預からないことも多いときくが、区分マンションでは管理組合の決まりで管理室へ渡すパターンがある。
今回もこれだろう。
パイプ室から各お部屋まで、全部の鍵を一旦かっさらう。
この鍵が残っているあたり、このマンションにはもう人はいないのだろう。
もし生きているなら、他の部屋の物資のためにまずここの鍵を漁るだろうからだ。
近くには消火器が置いてあったので、それも一応拝借しておく。
動くかどうかは使わないとわからないが、そんな複雑な構造じゃないしこの裏界の濃度ならいける気もする。
圧力メーターも作動しているし。メーターあるなら蓄圧式だろうし、最悪投げて破裂させればいい。
さあ、いよいよか。
とりあえず、イバラ曰く裂け目の気配は一番上とのことだったので、まず上を目指したい。
エレベーターはありえない。使えても乗る気がしない。
外から登るのもないので、結局はストレートに下から階段って形が良いだろう。
真正面からなので、間違いなく接敵するだろう。
しかし幸いにも我々には対抗手段がある。
耳栓と、腰の命綱、そして俺の前を進む全手動大型ルンバ、ハイパー干岩シールドである。
これらを十全に活かすことで、予測しうる相手の攻撃を避け、情報を仕入れ攻略が可能となる、予定だ。
耳が聞こえないというデメリットはあるが、何かあった際のイバラからの通達は後方にいるマリからモヤっと伝えてもらう。
公園の経験がさっそく生きたな。敵を知り己を知れば云々かんぬんである。
油断はないよ。かかってこいってなもんだ。
ふふ、と俺は干岩の背中に張り付くように中庭に入っていく。
さながら幽霊屋敷のカップルのように、キャーこわーい。
おや?
目の前には青白い人魂がある。ぱっぱっぱっと輝く。気分が悪くなってくる。
あ、これ視覚系かこれ。反射で目をそらす。
かばうように前にたった干岩を盾に、消火器の安全ピンを速攻で抜いてレバーを絞る。
ブワーっとピンクがかった消火剤が辺りに撒き散らされた。
明滅していた光が弱くなり、気分の悪さが軽減した。これなら見れなくもないか。
「岩さん、火の玉は優先して破壊してくれ」
「――っ!」
ベンチや植栽が置かれた中庭の、石畳を足蹴に干岩が前にでる。
レールを一振り、壁に当たった花火のように青白い炎が散った。
これはいけそうだな――
そう思った直後だった。
ちりん ちりん
鈴の音が聞こえる。あれ耳栓してる、よな。
猫だ。
俺の二メートル先くらいに二匹の猫が現れる。
真っ白で銀の瞳の白猫が【んー】と背伸びする。こい、こっちこい。
真っ黒で金の瞳の黒猫が【くあっ】とあくびする。ほーらほらほら。
あれ、と気がつく。
瞬きした直後、一回り大きくなっている。それに猫たちの尻尾も二股にわかれている。
ただの猫じゃ、ない。
二匹の猫と視線が交わる。銀と金の瞳が瞬いた。でも目を逸らせない。
猫だから――
まったくなにを悩んでいたのか。
バカバカしい、俺はとっくに一国一城の主だというのにな。
見ろ、ばかでかいヒノキの温泉だってある。
「はははは! 酒風呂だ! なに? 中身は白州だって、おいおい尾白の温泉じゃないんだぞぉ! やっほーい」
目の前に広がる黄金色の風呂目掛けてばーんと飛び込んだ。
飛び込んだ?
「――はっ!?」
寒い。背中も冷たい。目の前には空。倒れていたのか。
起き上がってみるとエントランスにいた。
手にちゃんと酒の瓶が握りしめられていたが、斧はそのへんに放り投げられていた。
振り返ると、リヤカーの上で見守っているマリと、茨を引っ張るような格好で俺を心配そうに伺っているイバラの姿。
マンション側に視界を戻すと、
「うわあああああ」
吹っ飛んでくる巨体、干岩の姿である。気がつけば俺の耳栓もどこかに飛んでいた。
ゴロンゴロンと転がる干岩、それをやってのけただろう二つの影が中庭の入口を塞いでいる。
あれは。
二人、いや二匹の直立する猫であった。
二股にわかれた尻尾、身長は俺の胸元くらいある。
真っ白な毛並みに銀目、首に青い和柄の布を巻いているほうがニャーと口を開く。
【立ち去りにゃさい、そうすれば命まではとらにゃいであげましょう】
真っ黒な毛並みに金目、同じく首に赤い和柄の布をまいた方が、両手の中指を器用にたてると、シャーと鳴いた。
【優しく言っているうちニャぜ、鬼の坊主たち。にゃー達はそんニャに甘くニャいんだ】
わぁ喋ったーー。おいどうしよう口がニャムニャムしてるぜ。
俺が慄いているのをみて、黒いほうの猫が腕を組み牙を見せた。
【マタタビもキメたことにゃあ餓鬼ごときが、それでもにゃあ達とやろうってんニャら】
ゆらーゆらーと体を揺らし、ぴたっとソレを止め二匹は風神雷神ばりに、
【【にゃー】】
とポーズを取る。
【この三廻のユデタマと】
【この三廻のノリタマが】
写真、写真だ。
パシャパシャとシャッターを切る俺。
【【その恐ろしさを、心の底まで叩き込んでやるにゃ!】】
火の玉を周囲に踊らせ、二匹が啖呵をきった。
なんてこった……
「岩さん、やるぞ! いいか絶対に捕獲しろ! 逃すんじゃねえぞ」
「ええええ」
なんだ、ここのマンションはペット可だぞ。
いいか干岩、俺は俺のやりたいことを叶えるために生きているんだ。
だから俺は絶対にペットを飼うんだよ。
【にゃ、にゃにを言っているのにゃ】
【ちっ、ただの狂人ニャったか】
「いや薬道さんは狂っ……てなんて、その……はい」
おい竜頭蛇尾ってんじゃねーよ干岩。徹頭徹尾で龍となれ。
まあいいさ、やることは変わらんのだ。
ほーらほらほら、さあーうちのコになるんだ。どうせ住まいは一緒だろー。
「野良猫保護じゃあああああ」
飛びかかる俺、困惑しながら追従する干岩。
イバラとマリは言いつけどおりに後退していく。
【愚かにゃ】
【這いつくばりニャッ】
白と黒の猫影がぱっと散る。
思い切り投げつけたピンボールの軌道のように、空間に陰陽が跳ね回る。
「薬道さん、これ速すぎます」
「大丈夫、肉と骨を断たせて捕まえるんだ」
「それリスクリターンがイカれてませんか」
「なにをリターンが勝ってるだろ」
「だめだ、脳そのものがイカれてたんだった」
なにをぉ、二匹だぞ二匹。喋る猫が二匹だぞ。下手したら国が傾くぞ。
火の玉を視界にいれないよう、左手を振り払うようにして炎を壁のように撒く。
白と黒の軌跡を視界の端で捉え動きを予測。
俺ならば目で追えなくもない。ここだ。
アイアンクローのように、右手で白の予測着地点を掴む。もさっとした手触り。
きた、一匹目。
そう思ったが次の瞬間、俺は自分の手の中をみて驚愕した。
「なにッ」
毛玉、まん丸い白い毛玉である。猫そのものではない。
背後に気配――
【残毛にゃ】
中空でフィギュアスケートのように横へ回転する白。鞭打のような回し蹴りが俺の側頭部を狙う。
ガードを上げる。しかし予想された衝撃はこない。
むしろさわさわっとした肌触りが俺の腕を包む。
シルクの如き毛並みの奥の弾力、これは尻尾!
【しゃっ!】
ターザンロープのように巻き付けた尻尾を起点に軌道が変化する。
横が縦に、俺のガードをかいくぐり白猫の右足が俺の顎を蹴り抜いた。
パチパチ、視界に火花が瞬く。気を失うほどじゃないが、一瞬だけ意識が切れた。
俺の両頬にひんやりとした感触が伝わる。
目の前には白猫の顔。俺の頬に添えられているのは二本の前足だ。
ああ、これは肉球の冷たさか。
【はい、ユデの勝ちですにゃ】
銀の瞳がギュウと細長く絞られる。
見れば、干岩はマタタビ棒をグルングルン振り回す黒猫に翻弄されていた。
悔しいが認めよう、今回だけはな――
ぐん、と腰にまいた茨が引っ張られた。
さて、ということで予定を変更します皆さん。
マンションの敷地の外、座り込んだ社員一同に俺は声をかけていく。
「非常に残念だという皆さんのお気持ち、重々承知しておりますが、弊社の方針としては一時見送りという結論を出さざるを得ませんでした。よいですね?」
俺の言葉にイバラは【無念っ】と顔をうつむかせ、干岩はほっぺに肉球の跡をつけたまま「面目ない」と頷く。
マリにいたっては『え、は、はい』とモヤっと文字を浮かべている。
わかっている。わかっているさ君たちの気持ちはね。
でも、想像以上に強かったんだよねアイツら。
一言でいうと、まあボコられた。
いや身体能力はこっちが上なんだが、幻覚で俺が目を開けられないのがクソ。
干岩だけだと俊敏さがキックボードと125ccバイクくらい差があって、かすりもしない。
イバラが参戦しても幻覚でカモられる未来しかみえず、マリは単純に力不足だ。
サングラスとかでどうにかならないか。無理かさすがに。
アイツら縄張りから出る気がないようで、敗走した俺たちを追いかけてくることはなかった。
しかし助かったというより逆に面倒だ。出てくるなら色々方法もあったものを。
ともかく。
とりあえず今日は、近所の少し小さいマンションに居を構えることに決めた。
決して諦めたわけではないが、なにか具体的な打開策がいる。
地力をあげるか、モヤっとさんをレベリングするか、それとも鬼以外の新入社員を見つけるか。
まあどれにするかは流動的に決めるしかないだろう。
キッと背後のマンションを振り返ると、屋上に白と黒の猫影を見つけた。
「諦めんからなーーー」
言ってやると、こちらに尻をむけてペシペシ叩いてみせた。
くそ、あざとい奴らめ!
しょんぼりと近くのマンションに向かうと、そこも先に住み着いているやつがいた。
当てつけかの如く、猫耳に尻尾を生やした半裸の女獣人の住処だった。
下位の存在なのか知能は高くないようだ。爪を伸ばして襲いかかってきた。
【シャーーー】
何がシャーじゃ。耳と尻尾だけつけて猫ぶってんじゃねーよ、ぶっ殺してやる。
ぐるりと消防斧を回転。サクッと脳天を叩き割る。
取れたのは薄い乳白色の〈獣〉の球だった。
あーくそ、猫欲しいなぁ。




