五杯目〈後〉:うんたらかんたら、妬むなよ曼荼羅
額に矢を撃たれたような、脳へ直接響く言葉。
なにかを強制するような力を感じる。
背後では、ガリチンピラが黒服たちと一緒に逃げ惑う嬢をバールで殴り倒していた。
干岩は動いていない。体を小刻みに震わせ固まっている。
【親分、親分っ】
イバラは無事なのか、焦ったように叫んでいる。
【殺してたもれ、犯してたもれ我が男子】
響く。響く。脳髄を震わせる蠱惑。ずっと頭の中で俺に殺せと囁く。
動かない俺と、同じく動かない干岩に乱曼荼羅が表情に苛立ちを浮かべる。
【ちっ、耐性の能力もちか忌々しい。では直接殺してくれる】
蠢いた。イモムシ女がその身を捩り、中央のステージから降りてくる。
止めようとしてイバラが立ち向かった。
【鬼といえど一廻ごときが、身の程をしれぇい】
肋骨の口から舌をのばし、触手の如く操ってイバラを阻む。
器用に避けてはいるが苦戦しているようで、イモムシ女の前進は止まらず俺の目の前までやってきた。
【随分見目の整った男子だこと。そばに置いて千年は愛でてもよい。ほら、脳をいじってやるぞ、じわじわと鬼から邪へと変えてやろう。われのものになるがいい】
イバラを抑える三本の舌とは別の、もう三本の舌で俺をなであげ、四本の腕を広げ俺の頭を抱えようと迫る。
……あ゛?
誰が。
誰のものになるって。
わけわかんねぇ薬中の夢みてぇな絵面みせて調子にのりやがって。
半裸の女ごときが、俺に触れようなんてなぁ。
「百年早ぇんだよ!」
右手がしなる。鞭のように空気を裂いた斧が天から地へと刃を落とす。
【なにぃっ!?】
驚愕する曼荼羅女は避けることもできない。
「しねええええええええええええええ」
肩から胸元までを一気に切り裂き、燕が翻るように跳ね上げた斧が右腕の一本をさらに跳ね飛ばす。
【嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ッ】
呪言の如き絶叫が響く。曼荼羅女がびびって飛び退った。
モザイクを取り払ったように、先程までぼやけていた視界がクリアになる。
いいねぇ。運動の後のシャワーのようなスカッとした気分だぜ。
【お前、なぜ平然と動ける! 男の欲の根幹を撫ぜるわれの術を! お前以外はみな操られ、動けぬままなのに……まて、おまえ、まさか】
ぐるぐると肩を回す俺を信じられないという顔でみてくる。
なんだい、言ってみな。
酒をかっ喰らい、かかってこいと指で示す俺に、乱曼荼羅は言った。
【まさかと思うが、その身なりで、女を知らないのか?】
慄くというのはあいつのことを言うのか。
顔を引き攣らせて言うバケモノ。
ああ、そういう術だったのか。俺は思わず鼻で笑ってしまう。
「なんだ、それがなにか悪いのか」
世の中に、俺が惚れるような女がいないほうが悪ぃんだよ。
【ふざけおって、醜男でもない年頃の男だろうに。無欲じゃあるまいて、そんな愚かな強がりで術を破るなどあってたまるかぁ!】
他の男のことなんぞ知らねぇよ。俺は俺だ。
大体もう一人だって操れてないだろ。あれはなんだよ。
見ろ干岩を、真っ赤に充血した双眸、握りしめた拳と口端からも血を流し、なおも動かず突っ立っている。
術には掛かっているようだが、ただの根性か?
いやあれがあいつの根幹ってやつか。きっとそういう能力なのだろう。
ウケる、まじですげぇわあいつ。
ケラケラと笑いながら歩く。
怯える乱曼荼羅に斧を担いで近づいていく【親分すごいっ、尊敬の念っ】と俺の回りをイバラが飛び回った。
【嘘だ嘘だ嘘だ! ありえぬこと。男子にとって、女を知らぬなど恥ずべきことぞ!】
下半身を開き曼荼羅を何度も見せつける。だがそれがなんだ。
うわきもっという集合体恐怖症くらいしかもう発症しない。
愚かだ。本当にくだらない理屈だ。
「恥とはなんだ。それはお前の道理だろう。捨てるは易く守るは難い。お前、男を知ってまだ心に決めた伴侶もいないのか? 可哀想に。一生を捧げようと思われなかったのか」
こみ上げる。腹の底から笑う。
諦めか妥協か知らないが、たった一度しか与えられないソレを道端に捨てた女め。
「ははははは、惨めだな売女ぁ!」
【お前ええええええええええええええええええええええええ】
切れ散らかした乱曼荼羅が、紫色の血を撒き散らしながら下半身を開く。
また効きもしない幻覚かと一瞬思ったが、そこまで馬鹿じゃないだろう。
予想通り、巡り回る曼荼羅の一部が邪悪に光った。その数十数箇所。
まあ攻撃であると想定すれば、おそらく来るのは飛び道具。
閃光。
ビンゴだ。イバラと二人で射線から身を逸らす。
邪ッ――と蛇の威嚇のような音と共に、撃ち出された紫光が直線上の物と嬢をヘドロのように溶かし貫いた。
威力は上々、だが射出方向丸見えでは当たる気はしねぇ。
同じ箇所から連続して撃つことはできないようで、曼荼羅の場所を変えながら撃ち込んでくる。
その全ての閃光を回避し加速。距離が詰まるのをみて乱曼荼羅の顔が恐怖に歪む。
【来るな来るな来るなぁあ、良いのか仲間が死ぬぞ、女どもが死ぬぞっ】
「な、卑怯だぞ! 後ろの女性達は避けられないってのに、くそ防いでやらないと」
【はは、所詮は男子。ほら庇え庇え!】
ビビビーっと撃たれる閃光。なんか後ろで悲鳴が聞こえた。
どうやら今日の占いの最下位がいたようだ。
ごめんなさ~いっ、と謝ればすむと思うなよな。朝から気分が悪いんだよ。
【おい、庇わないのか、おい】
ほら見たことかという顔をしていた乱曼荼羅が【貴様聞いているのか】まったく速度が落ちない俺に、ブチギレた犬のごとく鼻筋にシワを寄せる。
なんて顔だ。これほどの犠牲者を出して、許せん!
「隙あ――犠牲者の敵ィィィ」
【ふざ、ふざけるなッ。謀ったな!】
坊やみたいなこといってんじゃないよ。さっさとお前が死ねば済む話だろう。
後五メートル。走りながら酒を口に含む。
発狂して腹の口から伸ばした触手を振り回す乱曼荼羅に瓶を投げつける。容易く振り払われ、割れる。
【くだらぬ真似――ぎゃああああ、なんだこの液体は】
なにって、すぴりたす96%先生に決まってるだろカスめ。
敬称つけて呼べ、あの暗殺拳伝承者ですら最高継続率は94%で及ばねぇんだからな。
それに、ほとんど学校に行ってない俺でも、理科室実験室の匂いを嗅げるおまけ付きだぞ。
そしてなによりこいつは――
懐に潜り込む。空いた左手でフリント式ライターを着火。
よく燃えるんだこれが。
グレートなプロレスラーばりに口に含んでいたスピリタスを噴出。
眼の前が、轟々と燃え上がり乱曼荼羅が絶叫しながら身悶える。
気持ちはわかるぜ、俺もヨガの達人になるため練習してた時、ミスってタバコに引火して大変なことになったからなぁ。
それが俺のタバコの引退日で、お前の命の引退日だ。
【親分っ、いまっ】
イバラが触手を数本切り飛ばす。
薄くなった鞭打の乱舞をくぐり抜け、火の手が薄い背中側に回る。
跳躍。斧を両手で握りしめ頭上に掲げ飛び上がる。
バレーのアタックでもするかのように力を込め、ただひたすら全力で――大木を断つかの如き一撃をお見舞いする。
「成ったぜぇ、下剋上ぉぉ!」
【ぎゃあああああああぁぁぁ――っ】
吹き上がる血飛沫、苦悶の表情を浮かんでは消える炎が沈下していく。
乱曼荼羅の女の上半身が、縦半分にベラリと分かれ、イモムシの体ごと横倒れとなった。
うし、いい運動したぜ。
【回収の構えっ】
もう慣れたもので、倒したとわかった瞬間からイバラはそそくさと移動し、酒の入ったバックと、毛もじゃ一体の球と乱曼荼羅の球を回収した。
黒服をバラしてない所を見るに、あれには珠がないようだ。操り人形みたいなものか。
後ろを見れば、ガリチンピラと残った数名の嬢達は、目からハイライトを失くして座り込んでいた。
生き残ったなら少しは喜べばいいのに。
そして干岩はといえば、律儀にも椅子に寝かした白ドレスの嬢を抱き上げ、俺の方に歩いてきた。
「記憶はハッキリしないけど、また助けられた。ありがとう」
深々と、頭を下げられる。生真面目だねぇ。
「いらねぇよ。俺は誰のことも守ってねぇからな。なんなら囮にしたぜ」
今更いい人のハードルが上がっても良いことはないので、はっきりと言ってやる。
俺はこういう人間だ。
俺の言葉に少し驚いたようだったが、干岩は静かに首を振った。
そうだな。お前はそういう人間だ。
「それでも――」
と干岩が続けようとした直後であった。
【あ、親分! 裂け目危険、邪のでかいのが来ちゃうっ】
切羽詰まったようなイバラの声。
部屋の奥にある爪痕のような裂け目に異変が起きた。
赤黒い空間に鳥肌が立つように眼球がプツプツプツプツと現れる。
ゾッとした。感じたことのない悪寒が背中を走った。
溢れた。吐瀉物を吐き出すように、肉色の塊が裂け目から噴出した。
ごばぁッ――
脇目も振らずに、目玉だらけの肉塊がガリチンピラや嬢達へと向かい、全員をトラックで轢き殺すように擦り潰した。
なぜ俺達を無視してあちらを先に?
その疑問はギョロリとこちらを捉えた無数の目玉の数々の前に氷解した。
こちらを、知恵のある生き物とすら認識していないような目。
あいつにとっては、俺達も嬢達も変わらないのだ。
大きいアリと小さいアリ程度の区別しかなく、ただただ数の多い方を先に飲み込んだだけなのだろう。
ぐん、とドロドロの肉塊が膨らみ、思い切り引っ張った竹のように弧を描いた。
「やべえ、伏せろッ」
全員が地面に身を投げだした直後、ヒュンと風斬り音が頭上を過ぎ去った。
ポールがへしゃげ、ソファが粉々になり、転がっていたイモムシ女の死骸がミンチになって、ビルの左半分の壁が吹き飛んだ。
朝日が見える。隣のビルが見える。
示し合わせたわけじゃなかった。
しかし酒のバックを背負った俺とタマちゃんを握ったイバラ、そして嬢を抱えたままの干岩、誰も彼もが言葉を紡ぐことすら惜しみ走り出す。
目玉腕ほこりを払うかのように、ビルの天井を吹き飛ばした。
残骸が散る。降り落ちる凶弾の中を駆ける。
いくつかが体に当たるが痛いと思う余裕すらもなかった。
破壊された壁に向かって全力で走り、躊躇いもなく外へ向かって飛ぶ。
胃が持ち上がる。地面がみえる。高さで下腹部辺りがひゅんとなった。
浮遊感は一瞬で、すぐに隣のビルの屋上に着地した。
俺とイバラは身体能力に任せて衝撃を緩和。
干岩は小さな悲鳴を漏らす嬢を抱き守るようにしてゴロゴロと転がり着地する。
振り返った先、視界に入った光景に俺は目を奪われた。
粉砕されたビルの屋上。目玉腕がビチビチと蠢きビルに巻き付いていく。
【あ、末端だけで、濃すぎて、裏返っちゃう】
イバラの呟き。空間が歪んだ。
透明な巨大な手で真上から押しつぶされるように、メキメキとビルが潰れ、
確かに〝裏返った〟ゴム手袋の指を反対側からつまみ出すように、潰れたビルの代わりに、肉と目玉の大木が一瞬で生えでた。
ここだけじゃない。
屋上から周りを見れば、点々と建物が裏返っていっていた。
そこだけ夜のような禍々しい城。
溶岩が流れる岩の砦。
ギシギシに積まれた骨の山。
真っ白な石で組まれた螺旋の塔。
そして目玉と肉の大木。
現実と異形が、混ざり混ざって一つの世界になっていく。
表と裏が互い違いに入れ替わり、取り返しがつかないほど歪になっていく。
でも俺の目に映る世界は、朝日で照らされた世界は、ドロドロで美しかった。
【親分、逃げる、裏返った影響で、敵の隙間あるっ】
一杯やりたい気分になっていたが、イバラの言葉でぐっと堪えた。
「おい、死にたくないならてめえもこい。遅れたら置いていくからな」
干岩に言い捨て、イバラの誘導に従い移動する。
ちくしょう、いいな。あれもこれもそれも、全部気になるじゃねーか。
覚えとけよ。
いつか、朝の飲み歩きで遊びに行ってやるからな。




