十三杯目:先達の知恵、それは膝を折っても拝聴する叡智
三階まで登りすぐ右。
白いプレートに図書室と書かれた教室。
「ここだ。入れ」
シシケンが低く唸り、扉をガラリとあける。
俺達を先に入れ、シシケン達は後に続いた。
最初に古臭い本の匂いと、人の汗が混じった独特の臭いが鼻につく。
パーテーションを迂回すると、視界が広がった。
左側には長テーブルが並ぶ区画があり、二十代の男女六名がパイプ椅子に腰をかけ会話している。
テーブルの上にはペットボトルの飲み物に、スナック菓子などが見えた。
シシケン達の姿に一瞬会話を潜めたが、会釈する雰囲気から敵対心は感じない。
「お前らが探している黄虎達は、この部屋の右奥にいつもいる。何度も言うが、余計なことはするな。常に俺達の目があると思って行動しろ」
案内する気はないらしい。出入り口を塞ぐように立ち睥睨している。
「じゃあ、気をつけてお邪魔させてもらうっすね」
俺は皆を引き連れ右奥へ向かった。
図書室右側は背丈くらいの高さの本棚が何列にも並んでいる。
隙間では荷物を丸めて寝ている人々の姿があり、奥に進むには人の横を歩いていかなければならない。
寝ていた五十代くらいの男と視線が合ったが、興味なさそうに目をそらされる。
雰囲気が暗い。
電気はわずかについており、窓からは太陽光も入っている。
部屋の広さも三教室分くらいあり圧迫感は少ないというのに、妙に空気は絶望的だ。
寝ている人々の多くは痩せていて顔色が悪い。
食い物が入っているのだろうバッグを、抱きしめ寝ている者がいる。
鉄パイプを握り本棚に背中を預けて寝ている者がいた。
それぞれに警戒心を感じる。
にしても、武器の持ち込みを禁止してないのか。
まあ球を吸収していないヤツは脅威じゃないもんな。
許可することで器を示した上で、この場はいつでも危険になりえるぞって緊張を与え続けてるってところか、知らんけど。
まあ実際それぞれにグループができているようだ。
パッと見で、人数は四十近くいる。それぞれ三~六名ほどで固まりエリアを確保していた。
グループ同士の距離感も異なる。
端で縮こまっている人間もいれば、距離の近いグループもいた。
なるほど。
先ほどテーブルで会話していた六名は顔色が良い。
あれが最上位グループで、近くにいたもう一つのグループも身なりが良かったので、上のほうかな。
シシケン達は、なにかしらの格差を意図的に作っているらしい。
ああ、だから俺達から目を離しても奥にこなかったのか。
恨まれている心当たりでもあるのだろう。
それに離れていても監視出来ているようだ。今もちゃんと〝視〟られている。
首筋がひりつく、それなりに圧のある視線を感じた。
怪異に狙われている時に似てる気がする。
能力なのかなんなのか、正体は今のところはわからない。
背の低い本棚の先、天井まで届く本棚が並ぶエリアに入る。
路地裏に足を踏み入れるような感覚で、俺は部屋の隅へと向かった。
部屋の右最奥、少しだけ開けた空間があった。
バッグ、布団、枕、小さな床置きのテーブルの上に置かれたコップ、チラチラ揺らめくロウソクの明かり。
そこには還暦近い三人の男と、一人の高校生くらいの女がいた。十中八九、探し人は彼らだろう。
「なんだ、なにか用でもあるのか、知らん顔の坊主」
恐らく最年長の白髪白眉の厳しい男が俺を睨む。歓迎はされていない。
このまま俺が対応しても良かったが、話が長くなりそうだ。
「すいませんお休み中にお邪魔して、友達に会いたいって子と連れてきました」
狭い通路を脇によけ、叉月と入れ替わる。
「ご無沙汰してます。夜平です。皆さんもご健勝そうでなによりです」
「え、あーーー、サツキンっ」
床にペタッと座っていた、茶髪の女子が驚き立ち上がった。
彼女が黄虎陽子だろう。かなりでかい。俺より五センチは高いぞ。
おおよそ175センチはあろう女子に似合わぬ高身長の陽子は、すんと澄ました顔の叉月に豪快に抱きついた。
「わーーーーんサツキン生きてたぁああ」
「陽子ちゃんこんにちは、少し遅れたけれど約束を守れてよかったわ」
「わーーーーん、普段と様子が変わってないー、よかったーーー」
「そうね、陽子ちゃんは少し痩せたかしら」
よしよしとするように、叉月は陽子の背中を撫でている。
奥にいる男衆は、全員が孫でも見ているかのように相好を崩していた。
褐色肌の角刈り男なんかは、目に涙までためている。きっと陽子の父親だ。
せっかくの女子同士の再会に水をさすのも野暮だな。
だから、俺は酒でもさそうと思う。
ささっと進み三人の男の前に座る。当然、正座である。
「はじめまして、毒浪薬道と申します。先生方のお話は、夜平叉月さんからかねがね伺っております。この度は、図々しいとは承知の上で、折り入ってご相談したいことがあり、ここまで来ました。どうか、お話を聞いていただけないでしょうか」
頭を落とす。必要であればいくらでも下げる所存だ。
後ろで干岩が「誰……」と呟いている。
黙れ、お前も頭下げるんだよ。前頭葉がすり減るくらいにな!
「何だよ坊主ヤブから棒によ。叉月ちゃんの友達だろ頭上げな。すまねぇな、さっきは不躾な物言いして、ろくなやつがいねぇからよ。自己紹介もありがとうな、儂は球磨ってんだ。んで、こっちは陽子の父の」
シワだらけの指で球磨が横の作業服の男を指さす。
「喜八だ喜ばしい八代目でキハチってな。んでそっちが」
「農厳だ。名前の通り農業やってた普通のおっさんだ」
それぞれが自己紹介してくれた。
「ありがとうございます。お名前頂戴します。あ、皆さんにと思って持ってきたものがありまして、ぜひ。自分のお願いにも通じるものがありますので」
頭をあげてすぐ、錫でできた三つのぐい呑みを取り出しテーブルにおき、同じく取り出した酒瓶の蓋をあける。
すぐに反応したのは球磨だ。鼻を引くつかせ、背筋を直した。
「おいおい、まさか酒か」
「どうぞ、まずは一杯」
右手の甲を上に酒瓶の腹を掴むように持ち、左手を下に添える。
それぞれがぐい呑みを両手で持つのを確認し、酒を注ぐ。
酒精の滝が香りを立ち上らせ、ロウソクの明かりを反射しきらめいた。
徳利ではないが、注ぎ終わりにひねり酒を切る。
甘やかな大吟醸の匂いをかぎ、球磨が静かに酒に口をつけた。
一瞬、ぐい呑みを握る手が止まる。
舐めるように飲む。うつむき味わい、そして顔をあげた。
その双眸に宿る厳しさは、俺を真っ直ぐに捉えた。
「坊主、儂が誰かわかっていて、この酒を用意したのか?」
咎めるような口調、わずかに俺の心臓がぐっと縮んだ。
「はい、もちろんです」
「上等だ……」
くっそ重い空気である。
まあそりゃそうだ。
だってこの酒は、現場の勘よりもデータを優先して造られた酒。昔ながらの杜氏仕事を不要にした現代の酒だ。
それを杜氏本人に差し出すなど、人によっては無礼とも捉えられかねない。
だが、だからこそこれを持ってきた。
「糞餓鬼め。意図はなんだ。いまなら言い訳を聞いてやる」
深呼吸。言い訳なんぞない。真っ直ぐに嘘偽りのない気持ちを口にする。
「ちりと積もったデータなどもう古く」
心の底から言葉を紡ぐ。
「世界はねじれ別物になった。だから、いまこそ貴方のような職人が必要だ」
もう一度頭を下げる。
「どうか、この若輩にその積み上げた知識をご教授ください。お願いします」
知恵と経験は、人生をかけて築いた集大成だ。
不躾にじゃあ作ってくれなど、こちらからは口が裂けても言えない。
なのでせめて、教えを分けていただければと頭を下げる。
もし向こうが自ら作ろうと思うのならば、その時はご好意を頂戴するのだ。
静寂。
深い溜息。
「老いた頑固者がいなくなったからこそ売れた酒だ。新しい酒だ。時代は変わるんだぞ」
「はい、そして、また時代が変わりました。データは、積み重ねがなければ作られません」
くくっと唸るように球磨が笑う。
「おめぇは、若いのにどれだけ酒飲んでるんだか。この歳まで酒に関わって生きてるとな、酒の注ぎ方一つみるだけで性格もわかるってものだ」
球磨が呆れたように口角をあげた。
「馬鹿だなお前は。まあ儂は嫌いじゃねぇよ、酒が好きな馬鹿はさ。薬道だったか、いいぜ。儂でいいなら何でも聞くがいいさ」
深呼吸。
呼吸が全身に巡る。
吐いた。止まっていた血流が流れ出す。
まじ……?
本当に?
絶対?
やった……
やあああああああああああっっったぜえええええ!
ガッツポーズもそりゃでる。小躍りどころか大踊りしそうだ。
まて、まて……落ち着けまだ油断するんじゃないぞ俺。
球磨先生だけではない、他の二人もどうにか口説かないと。
「いい話だなぁ。娘の友達連れてきてくれて、酒までもってきてくれて、困ったら俺にも何でも言ってくれな若者ぉ」
「米、米植えちゃうおっさんだぞー、どうだい薬道君とやら、おっさんの知識もどうかなー、なんて」
あっさりだ。なんて心が広い!
「えええ、いいんすか。あざっす! まじあざっす」
「いいさいいさ、珍しいねー農業興味もつ若者なんてさ、ほら、かんぱーい」
「薬道君、大工もいるからね。作れるよー、カンナでうっすい削り華」
「うわみてぇっすね。鰹節みたいなうっすいの。もう興味しかねぇっすよ、あ、俺自分の瓶あるんで、かんぱーい」
いえーい。あー良いっすね飲みっぷり。自分ので良かったらおかわりどうぞ。
あーいいっすよいいっすよ、家にいっぱいあるんで。
来てくださいよ、ごちそうしますよ。
わーやったぜ干岩、やべぇよ。
酒の鏡に、米の勾玉、鋸の剣とか、おいおい三種の神器揃っちゃったよ。
かーー、未来明かりぃーーー。
もう学校にいる必要ある? こんな不便なところ飛び出そうぜ。
邪魔するやつぶっ殺して、先生方つれ帰って宴会したほうがよくね。
だめか、さすがにいきなり殺傷事件起こしたら、先生もびっくりしちゃうか。
仕方ねーなー、数日かかっても良いから状況つくるか。なんか圧政っぽい雰囲気あるし、参考になるかも。
よーし、俺も将来、立派に圧政するぞー。
権力むやみにふるいてー。
ああ、マリ君、大葉ささみに挟むチーズは俺のだけ二倍にして、ハイボールは一対一で割るんだ、つってね。
なんて、一人でニヤニヤしていた所であった。
「おい、集まれ! 今日の分配を始める!」
図書室の入口のほうで、シシケンだろう怒声が響いた。
うるせぇな、肥溜めに蹴り落とすぞ。先生方の鼓膜が傷んだらどうする間抜けが。
ざわざわと辺りで人が動く気配がする。球磨たちもよっこらせと動く。
先頭に立った球磨が俺を振り返り見た。
「坊主たちは今日きたばかりだろ、ここで暮らすなら行ったほうがいい。今日は儂の後ろで大人しくみておけ」
「うっす」
背中の斧にかけた手を仕方なく下ろす。命拾いしたなシシケン。
まあとりあえずは流れを見るか、と俺は球磨たちの後を着いていく。
「サツキン、一緒に行こうねー」
「歩きづらいわ、陽子ちゃん」
「いいからいいからー」
再会が余程嬉しいのか、陽子はお気に入りのぬいぐるみを離さない子どものように、叉月を後ろから抱きしめ歩いている。
叉月は、相変わらずの無表情であったが、べつに振り払う様子もなく好きにさせていた。
普段から似たようなやりとりをしているのだろうことがわかる。
まあ、無事に会えて良かったじゃねーか。
ぞろぞろと移動していく。
出入り口の近く、シシケン達三人を中心とした扇状に四十名近くの人間が集まった。
「昨日外に出て集めてきた収穫物を配る。今回から加わった新しい者たちには配布はない。おら、いつも通り〝音楽室〟担当と〝理科室〟を担当した者達の成果に応じて内容は変える」
警官の男が長机を持ってきて、正面に置く。
イダキがパーテーションの裏から、物資を詰め込んだ燃えるゴミ袋を取り出して並べていく。
レトルト食品や飲料ペットボトルの袋、シャンプーなど生活用品の袋、下着などの袋など、そんな袋が十袋以上はあるだろう。
「呼ばれた班から前にでろ、まずはA班こい」
「はい、いやーありがとうございます。今日はなんだろ、楽しみだなー」
先ほど長机で談笑していたグループの、男が一人前にでる。
ガサガサと詰め込まれていく菓子や食事、合計四袋分ほどを受け取った。
たかが六名ほどしかいない一組目で、四割近くなくなった形である。
次々と呼ばれていく班、目減りする資源だが、球磨達はまだ呼ばれない。
最後の最後、ようやく球磨たちが呼ばれたころには、もう小さな袋一つ分ほどの物資しか残っていなかった。
球磨の胸にシシケンが袋を押し付ける。
「随分と反抗的だったぞお前の仲間は。次は、もう少し働かせるように言い聞かせておくんだな」
「……ッ、話はしておこう」
言いたいこともあるだろうに、球磨は己の怒りをしっかりと噛み殺しているようだった。
年取って頑固なだけじゃないのは良いことだ。人間性が垣間見える。
物資は無くなったが、まだ受け取ってない奴もいる。どういうシステムなのこれ。
「おいっ、前回も俺はもらえなかったぞ、どうなってやがる」
大声をあげて立ち上がったのは、鉄パイプをもったあの痩せた男だった。
目が血走っている。髪型の手入れもできておらず、浮浪者一歩手前といった様相だ。
「どうもこうもない。お前が前回も今回も働いていないから分け前がないだけだ」
吐き捨てるようなシシケンの言葉に、男は鉄パイプを地面に叩きつけた。
「ふざけるな。俺のグループはもう俺一人しか残ってない。これじゃあ俺だけ休みがないじゃないか。あんな、あんな事を毎度正気でやれるわけがないだろ!」
相手をする気もないのか、シシケンはシッシと手を振った。
「一人になったのはお前達のグループの責任だ。好きにしろ、死ぬだけだ」
邪険な扱いに、鉄パイプの男が発狂したように叫んだ。
「おまええええええええ」
被害を受けないように、誰も男を止めようとしない。
唐突に鉄パイプを振りかざし、輪から抜け出た男がシシケンに殴りかかる。
振り下ろされる鉄パイプ、女性達から小さな悲鳴があがった。
「こりないカスが、もう忘れちまったのか仲間が死んだ原因を」
シシケンの大きな手が、振り下ろされる鉄パイプを鷲掴み握り潰す。
両手で鉄パイプを握らせたままぶんと上に浮かせ、宙空に浮き上がった男の首を掴んだ。
「ぐ、ぐえ、やべ、やめて」
「駄目だな、お前はルールを破った」
両足をばたつかせる男の首を握りしめ、シシケンが背後の廊下へと出ていった。
干岩が一瞬俺を見るが、ぐっとこらえるような顔をする。
よし偉いぞお人好し。そうだ、お前は自分の腕の届く範囲を絶対守るマンだ。
あの知らんおっさんを助けるのに、考えなしに飛び出すのはただの馬鹿だ。
悲鳴。
直後の破砕音。ガラスが割れただろう音の後、男の悲鳴が遠ざかる。
鈍い音がして、鬼達が騒ぐ声が聞こえた。なにが起こったかなど想像に難くない。
悲鳴すらもたてられないような雰囲気、戻ったシシケンが全員を見渡した。
「他に、いいたいことがあるやつはいるか」
まあいないだろう。
なるほど、こういう方針ね。
周囲の顔色からすれば、満足度上位が10%、下層10%、残りは見て見ぬふりの恐怖支配って感じか。
良し悪しはまだわからないが、まあ参考にはなる。
睨みつけ、場を支配したことを確認しシシケンが告げた。
「では、明日からの交代要員を、それぞれのグループから指名してだせ。若い女は〝音楽室〟男は〝理科室〟だ」
A班の男女が二人ずつ即座に手を上げ、次席の班からも一人ずつ手があがる。
見ていると、上位数組を除く下位グループからは女がでず、男だけが苦渋の表情で手を上げていた。
はいはい、男女で分けているのもわかりやすいねぇ。
この反応から察するに、嫌な仕事だが生きて戻れる。絶対死ぬとかなら班ごとにもっと揉めるし。
つまり精神的な苦痛が多いが、人によっては別に大したことでもないって感じだ。
女を出さない所が下位にいるあたり、音楽室側がなにやってるかなど想像できる。
あの先生方が陽子を差し出すとは思えんものな。
話に聞いていた酒蔵の三役の方々も見ないが、理科室側にいるのかな。
イバラもまだ隠れているから、こっそり情報伝達もできるし。
声出さなくても最悪マリのモヤっと文字で会話すればいいか。
よしよし。じゃあいいか。
順番に名乗り出ていき最後、球磨が手をあげようとしているのを確認し、
俺はビシっと天をつくように挙手した。
「はいはいはい、俺行きたいでーす。俺が働き盛りでーす。女子は体調悪いのでいきませーん」
シシケン達が少し驚いた顔で、球磨がぎょっとした様子で俺を見る。
「坊主、お前なに考えてやがる」
「え、どうせ誰か行かないといけない流れっすよねこれ、汚れ仕事とか結構慣れてるんで俺。代わりにその間、うちの岩さんに色々ご教授お願いします」
干岩を頼むぞと見ると、また勝手な事をといった感じの顔をしている。
仕方ねーだろが。だってさ、ちょっとなにやってるか気になるじゃんね。




