十一杯目:天啓落ちる、それすなわち我が使命
早朝、俺が飯を食い終わったタイミングで叉月から声をかけられた。
なに、近くの学校にたいらちゃんの友人が避難していて、後で必ず行くと約束をしているから、一度様子を見に行ってくる?
かーっ。
かき氷にかける練乳くらい危機管理が足りないね君たちは。
もうその友達は遠くにいっちゃったよ。
十万八千里くらい先にいるんじゃない。遠すぎて尋ねられないって。
ほら、わかるでしょゾンビ映画でよくあるやつ、きっといまごろ友達は涎たらしてゥボアーってうなってるよ。
なんだよ。
止めないか干岩君。
なぜ俺の口をふさごうとする。拉致か、身代金はお前に払わせるぞ。
だから、俺は可能性が高い話をしているだけだろ。
ほら、たいらちゃんだって「起こりうるとは想像しております」って。
は、なに? 一緒にいってあげようだ。嫌だよ。
なんでわざわざそんな所にいかなきゃいけない。俺だって忙しいんだよ。
自分でした約束の責任は自分で守れよ。
彼女の気持ちもわかるだろって? わかるわけねーだろ、俺は友達などいないし、そんな約束もよほどじゃなきゃしない。
ん、はいはい、そうだよな。
ほら一人でも行くってさ。
え、なら自分がいくって? じゃあ誰がモヤっとさんの面倒みるんだよ。
連れて行くのか、危ないぞー。やめろ、梅干しみたいな面すんなよ。
あーはいはいわかりましたー。行く行くー、イバラがね。
球も飲んだしこの辺りなら油断しなきゃ余裕だからな。
いや人付き合いってな本当に面倒だねぇ。たいらちゃんも大変だろ。
そうでもない? ふーん。
なになに、他にも世話になった人たちも多分一緒にいるから大丈夫って?
白昼夢でもみてるんじゃない。
ああ、昔親父さんの取引先だった人たちがいるのね。
……へえ。
ちなみにどんな人で、どういう繋がりで
なにされてる方なのか、ちょっと教えてごらんなさい。
はいはい、大工!
ほうほう、農家の方! はぁ米もされてらっしゃる。
はんはん、そして酒造の最高責任者ね。
え……
杜氏様がいらっしゃいますので?
へへへ、ああその上、現場補佐の三役の先生方までぇ!
さすが学校、くぅー、教えに通じる方々が集まる場所だぁ。
「なんてことだ、こいつは許しちゃおけん!」
リビング横の和室で座っていた俺は、善は急げと立ち上がる。
みんな鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていた。なんて呑気な奴らだ。
「おいお前らおい。俺はいま悔しい。この荒んだ世を憂いている! あふれ出るこの想い、いま猛烈にやる気に満ちている! 学校に逃げ込んだ力なき人々、彼らを助け、保護してやらねばならない、そうその心、使命感と名付けたい」
朝飯の漬物食っていたつなぎ姿の干岩がじとっと見てくる。
「薬道さん、さすがに手のひら回転しすぎて驚くんだけど」
「だまれぇすっとこどっこい、誰がドリルアームだ。いいから俺の信じる俺でも信じてろや。あのな、どうせ猫共テイムしにいくには準備がたりねぇの。それに諸君だって暮らしを豊かにしたいと思わないのか」
「それは当然、まあ」
そうだろうが。
世の中、職人の価値を甘く見ている奴が多すぎるんだよ。
様々な専門職の方々がいなければ、俺達はウホウホいってマンモス狩るような生活になるんだ。
ウホ浪とウホ岩になるんだぞ。まったくなんでも一人でできるわけじゃねぇんだから。
今のところは、濃さが二廻から三廻くらいで安定していて、ネットは無理でも電気と水道は使えている。
でもこれだっていつまで続くかはわからないんだ。
いいかい、クラシアンはもういないの、暮らしは安心できないわけ。おわかり?
「というわけで、学校に行きます」
いいね、と正座で話を聞いていた叉月に視線をやる。
ブラウンのタートルネックセーターに、黒のクロップドパンツといった格好の彼女は、無表情のまま少し思案し、頷いた。
「生きているという保証はできませんが、お互いに利があるようでなによりです」
ほら見ろ。
顔面包帯の部屋着のマリと干岩を俺がハンと鼻で笑うと、二人とも叉月を感心するように眺めた。
「若いのに人間ができてる、年下なのに」
『こういう時に社交性の差がでますね』
だんだん遠慮がなくなってきたなお前ら。
まあ良いけど、マリなんかはまだ干岩が側にいないと安定したとはいえねーしな。
チラリ、とリビングの隅を見る。
そこには畳まれた段ボールで中身が見えないように片付けられた板状のものがあった。
この家の中にある鏡の全てである。
自分の顔をみるとマリが過呼吸を起こすことがあり、面倒だったが外したのだ。
手間がかかる女だなと最初は思ったものだが、干岩が側にいると落ち着くようでそこまで大変でもなかった。
マイナスイオンでも出てるのかねあの男は。
ただ、マリに関してはそれでも置いておく理由があった……それは、居酒屋の厨房にも入っていたという職歴である。
悔しいが、おつまみ系のレシピをかなり知っているし作れるのだ。
その上で、料理自体も好きってところがポイント高い。
出来るのと好きなのはまた別なんだよ。
ただ出来るだけのやつは、効率を優先しがちで浪漫を蔑ろにするふしがある。
違うんだよねー。食えりゃ良いってわけじゃないんだ。
その点、干岩の料理はそれなりの味だがその辺がうとい。
だからマリがいけると判明した瞬間に、俺は干岩料理長を解雇した。
今後二度と雇うこともないだろう。
まあそれはともかく。
早速向かうとしても、まず準備が必要だ。
とりあえず叉月である。
持って帰ってきたロープ杭、昨日はトラ紐に通したが、流石にこのままだと取り回しがわるい。
ちょうど作業服屋からもってきていた肩かけのツールベルトがあるので、適当に各所にある金属の輪っかにカラビナをつけた。
あとはこれを肩からかけるだけだ。
「ほら、これでいいだろ」
「ありがとうございます薬さん」
呼び方そうなったのか。まあ毒さんよりはいいか。
じゃあ叉月はこれでいいとして、あっと思い出す。
洋服の入ったキャリーワゴンをゴソゴソあさり、俺は干岩にグレーのハットを一つ投げ渡した。
「岩さんこれすごくね、紫外線ガードでお肌も安心」
「これ……サファリハットって言えばいいのかな、凄いね」
鍔広のハット、目以外をほとんど覆い隠すような布が全方位にたれている。
そのハットをみて、なにか気がついたのか干岩は自分が? と己を指さしている。
お前以外に誰がいるんだよ。馬鹿め。
「薬道さんそういう所あるよね、自分で渡せばいいのに」
ただの常事だ。所もくそもねーんだよ。
しっしっとやると干岩は苦笑いしながらマリの方へと向かった。
よし、あとは俺の準備だけだ。
リビングから廊下にでて、別部屋にあるウォークインに向かう。
クローゼットではない。そこは俺の酒パントリーとなっている。
どれにしようかなー。
せっかくだし、これにするか……
もしかしたら〝機嫌を損ねる〟可能性もあるが、コレをわたした際の反応も参考にさせてもらうか。
白ラベルの一升瓶を手に取る。有名な大吟醸だ。
今日は素晴らしい日になるかもしれない、つまり祭りみたいなものである。
そりゃカワウソだって魚を並べて店を開くってもんだ。
うんうん。
封をあけてぐびり。香りが華やかだ。透明感があるのに同時に甘みも感じる。
「くぅー」
【親分、イバラもくぅーしたいっ】
俺のズボンの裾をクイクイとイバラが引っ張ってくる。
贅沢者め、しかし俺は働きの良い部下への報酬はケチらない上司だ。
近くの丸椅子にドカリと座って、首根っこを掴んで膝の上にのせて一升瓶を渡す。
【くぅーーー】
「うむ、良い飲みっぷりだ。見本を見せてやる。こうだ。くぅーーーー」
「ちょっと薬道さん」
廊下から干岩が覗いてきた。
「腰降ろさないでよ。まだ22なのにおっさんみたいに飲んで。もういきますからね」
うるさいねぇ、俺よりも十と少し歳上なだけなのに小姑が。
適当に取った黒のMA-1ジャケットを羽織る。
用意した一升瓶とは別の、小さい瓶の同じ酒を、消防斧やら色々と一緒にワンショルダーのバックへ突っ込み背負う。
瓶を抱えるイバラを小脇にかかえ、俺は玄関へ向かった。
言われなくても行くってんだ。俺の明るい未来のためだからな。
三階建ての築古マンションを出て、南のショッピングモールなどがあるエリアの手前まで歩く。
途中、交差点の一つを東に曲がりさらに真っ直ぐいくと、北から南へながれる川にあたる。
橋をわたってしばらくいけば、スーパーや団地があってその近くに今回の目的地の高校がある。
この辺りのエリアの赤霧は薄い。せいぜいいても裂け目のヌシで二廻くらいのものである。
ここまで歩いてくる中で、一度も襲われなくて少し淋しいくらいだ。
「なんか最近、とんと襲われなくなって狩るのに手間がかかるんだよな」
道路のどまんなかを歩きながら俺がぼやくと、イバラが手をぽんとひとつ打った。
【もう親分二廻のぴちぴちだから、怖がられてる。抑えるといい、きゅうって】
へその辺りで、イバラが両手で円で絞るような動作をする。
あー火を出す逆ね。呼吸で横隔膜を下げるような感覚で下に、下に押し込める。
お、いけるかも。
【おお、親分すごい、一廻みたいね。イバラもできる、ほらほらっ】
確かに、言われてみればイバラの存在感というかなにかが一回り縮んだように見えた。
これで襲われるなら、この状態を維持したほうが効率いいかもしれない。
さーおいでおいでーと思っていたが、距離もなかったせいで何事もなく学校についてしまった。残念。
おそらく裏門なのだろう、入ってすぐに屋根付きの駐輪場があり、ポールに貼られた網の先にグラウンドが広がっている。
避難しているなら校舎側だろうと敷地に足を踏み入れた。
「お、なんか感じたぞ」
【縄張り入った〈獣〉の匂い〈鬼〉も少々。主は二廻くらい。あ、親分……〈鬼〉弱いのが何匹かくる】
校舎側から、紫色の性格が悪そうな顔をした鬼が三匹、鉄の金棒を引きずるようにしながら向かってきた。
餓鬼よりは少し大きく、確かに強さは一廻の中くらいに見える。
【ひひ、やめて、襲わないで】【ふひ、仲良くする】【ぎゃぎゃ、お腹いっぱい】
騒ぎ立てるように各々いったかと思えば、腰に吊るした革袋から石を取り出し投げつけてきた。
言ってることとやってることが無茶苦茶である。なるほど、天邪鬼かこいつ。
「女性お二人は、後ろに」
干岩がその巨体で背後の女二人を守ろうと前にでる。
『必要があれば、幻影で気を引きます』
マリがむかつく顔のうさぎみたいな靄を出し、待機させる。
「私は確認もあるので前にでます。一人で大丈夫ですので、お構いなく」
叉月が恐れもなく、カラビナから杭を手に取った。
無表情だが、殺る気しかない雰囲気だ。
どうしても、鬼をみるとまだイラっとするらしい。イバラには優しいのに。
まあいいか、我を失ってるわけでもなさそうだし。
「じゃあたいらちゃんが一匹、俺とイバラで一匹ずつで」
【あい、ちょちょいします】
ひょいと差し出した俺の右足つまさきにイバラが乗る。
サッカーボールをすくい蹴るように足を振れば、タイミングを合わせてイバラが飛んだ。
クルクルと回り天邪鬼三匹の後ろに着地、挟むように位置を陣取り逃げ場を無くす。
最近では二人で狩りをすることにも随分慣れてきた。
わざわざ声を掛ける必要も、斧を抜く必要もない。
俺とイバラは、示し合わせたように同時にグラウンドの土を蹴り駆ける。
【ぎぎっ】
投げられた石を掻い潜り接近。炎をまとわせた右手を鉤状にし、俺が鬼の顔面を水平にはたく。
赤炭をぶっ叩いたように火の粉が散り、玩具の人形のように頭がバツンともげる。
それと同時、棘蔦を巻き付けた抜き手で、イバラが相手の喉を貫いていた。
【平和っ平和】
一瞬で亡き者にされたことに大慌てとなった残る一匹が、活路を開くべく自分に迫る叉月に襲いかかっていく。
距離が詰まる。
さてどんな戦いになるのだろうと呑気に眺めていたのだが、天邪鬼が飛びかからんとした直後、唐突に前へビタンとすっころんだ。
鬼でツンデレでドジっ子属性とか詰め込みすぎでは。
……いや、よく見ると違和感があった。
銀色の靄みたいな小さな腕が、グラウンドから生えていた。
その腕は天邪鬼の足首をぎゅうっと握りしめている。
【うぎゃうぎゃっ】
暴れる天邪鬼。グラウンドから生えた腕はそれを逃さない。
「……」
【ひぃ、ひぃい、いいぃぃ】
無言で杭を手に近づく叉月が、空いた左手でなにかを握るような動作をしている。
うっすらと靄の縄のようなものが見えた。天邪鬼の近くの腕の辺りの地面に繋がっている。
ぐいっと井戸から桶でも上げるかのような動作で霧縄が引かれた。
ど プン
地面が水面のように揺れ、それが無理矢理に引きずりだされる。
そいつは、首に縄がかかった銀色の靄で象られた鬼だった。
見たことがある。叉月と最初に会った晩にいた鬼だ。
ぐいぐいと、まるで首吊り刑にかけられた囚人のような苦悶の表情のまま、鬼は天邪鬼を取り押さえている。
【うげげ、謝罪、償い、うぎぎ】
銀靄の鬼の言葉に叉月は返事することもない。
靄鬼に口を塞がれ顔を無理矢理にあげられた天邪鬼につかつかと歩み寄る。
天邪鬼が、怯えるように目を開くと、叉月はその目玉にぐっと杭を突き刺した。
【――ッ、――っ――っ】
締められる直前の魚のようだ。
絶叫は、くちを塞がれ響かない。
グリグリと杭をえぐられ、天邪鬼は逃げるように早々に力尽きた。
んー完勝だ。
干岩達の出番はない。
イバラから天邪鬼の珠を受け取り飲み込む。叉月も同様に受け取ってすぐに飲み下している。
本当に女子高校生かこいつ。
会った当初からそうだが、肝そのものが胡座かいて座っているような女だ。
にしても、面白い能力だったな。
たぶんあの鬼、本当にあの晩の奴なんじゃないか。
条件はよくわからないが、絶対に逃さぬとばかりに取り込まれたのだろう。
恨み買いすぎると、死んでもこき使われるんだな。因果応報ってやつは怖いねー。
さて、とりあえずぱっと見、もう敵の姿はない。
ただ校舎側から発生するなにかの視線に気がつく。漫画じゃあるまいしと前なら思っただろう。
しかし、顔の間近に指を近づけられたのを目を閉じてわかるような、あのむず痒さを眉間や首筋で感じる。
少し待ってみる。しかしすぐに襲ってくる様子はない。
イバラに向け指をぴっぴと振って合図をすると、すぐに察して俺達のそばから離れ、建物側へと姿を消した。
脅し用の伏兵という意味もあるが、もし人がいるなら騒がれても説明するのが面倒という理由も大きい。
グラウンドは全体的には整備されているようだった。
その御蔭で、俺達以外の足跡も少し見える。人間のものは数名程度で大勢には見えない。
向かう先は正面の校舎だ。
もし暮らすのであればもっとも便利がいいのは体育館などではなく母屋だからだ。
警戒だけは切らさずに、全員で校舎に向かう。
コンクリの階段を登り正面玄関に、割れた入口のガラスを下駄箱が塞いでいる。
散乱しているガラスはなく、誰かが片付けたのだろうことがわかる。
入口を押すと鍵はかかっていなかった。
足を踏み入れ、靴のまま学校内に入る。
正面に階段、右にトイレ、近くに手洗い。廊下が左右にずっと伸びていた。
一階ではないだろうな。逃げやすいが襲われやすい。
いざ階段に向かおうとしたところで、見計らったようなタイミングで上から誰かが降りてきた。
靴音。少し下がれ、と手を振って後ろの三人を下がらせる。
堂々と出てくるあたりいきなり襲いかかって来る感じでもない。
踊り場を折り返し、そいつらは姿を現した。
干岩ばりの体格をした、プロレスラーのごとき髭面の革ジャン男、警官の格好をした、青白い顔色の細身の男、
そして肩からさきをバックリあけたラメっぽいキラキラした服と短パンの、港区女子みてぇな女の三人だった。
「客か、まだこの辺りで生き残りがいたのか、それとも他からきたのか」
先頭をあるく髭面の男がいかにもな口調でいった。
適当に返しておくかと口を開こうとした瞬間、
「あーーーーーーー、こいつ、あの時のBARの男」
甲高い声で女が俺を指差しながら騒ぐ。うるせぇな。
珪藻土みたいに塗りたくった厚化粧が割れるぞ。化粧直しどころか改修工事だ。ご苦労さまです。
にしても、あの時とは一体なんだ。
訝しげに俺が首を傾げていると、憤慨したように隣の男の革ジャケットの袖をグイグイと引っ張った。
「こいつ、わたしが化物に襲われて助けてって言ったのに、突き飛ばして自分だけ逃げたやつよ!」
ははは、最低なやつもいるもんだな。日頃の行いが悪いんじゃないか。




