十杯目:灯火は、幽世《かくりよ》で踊る鬼火
夜平叉月は夢に浸かっていた。
もう失ってしまった父との思い出が、記憶の水面に浮かんでは泡沫のように弾けていく。
「叉月、父さんはね、娘に自慢できるような自分になりたいんだ」
真面目で人の良い父だった。
母が亡くなったときに、顔をくしゃくしゃにして咽び泣くような人だった。
それだけ母を愛していた父はなによりも誇らしく自慢だった。
だから叉月は、母はおらずとも十分に愛情を注がれ幸せな人生を送っている確信があった。
それが、なぜ、こんな目にあうのか。
父は人のためになるように会社を立ち上げただけだったのに。
懸命に会社を大きくし、誇れる人生を送るのだと頑張っていただけなのに。
許せるわけがない。
叉月には、善悪や人のためという父の高尚さはあまりわからなかったが、そんな父が酷い目にあうのは道理が合わないと思った。
自らの利権にすがりつき、全てを毟り取り、泥水へと突き落とした者共の、あの醜い嘲笑。
会社を追われ、泥をすすりながらも、私にだけは不便をかけまいと夜通し働き続けた、父の小さくなった背中――
そして、その背中を容赦なく引き裂き、貪り喰らった、あの忌々しい化け物共め。
八つ裂きにし、その骨肉を灰にし死体に食わせまた灰燼にしてやろう。
父を喰らった化け物の死体が尽きてしまったら、瓶詰めにして封を施し肥溜めの底に沈めてしまおう。
そうして、全て終わったら、その時はどうすればいい。
こんな世の中だ、もう復讐先すらもないのかもしれない。
泥々まろびでるこの怨嗟も、流れ先が雲散霧消しては腐ってゆくだろう。
じゃあもういいか。このまま死んでしまっても。
そうすれば、父と再会できるだろうか。
こんな性根の自分では、たどり着くことは叶わぬかもしれないけれど。
ちか チカ
炎がふりちる。
真っ黒な闇の中に、火花が咲いた。
笑い声が聞こえる。絶叫を叩き伏せ、炎を纏って踊るように化け物を殺す男と小さな鬼が見える。
バケモノどもが怯え逃げ惑う。
血飛沫が吹き上がり四肢が跳ねるさまは百鬼夜行のごとき光景だった。
なんと騒がしく、なんと無作法な男だ。
思い出の淵で静かに死ぬことすら、あの炎は許してくれないのかと呆れ果てる。
しかし、眺めていると鬼夜に燃える大松明のような雄々しさが垣間見えた。
ぼうっと、焚き火を無心で見つめ続けるような放心に浸る。
右へ左へ揺れる鬼火が誘い、やがて意識は浮上していった。
◆
子鬼の首無し死体を三角に並べましてー、イバラ選手が構えます。
右手の爪を鬼の目玉に突き刺し、美しいフォームで投げましたー。
転がる、鼻と角のせいでガンガン跳ねながらも、素晴らしいコントロールで躯ピンを直撃、ああーー割れたースプリットだー。
これはスペアを取るのが難しくなりましたね。
【くぅ】
イバラ選手も悔しそうにしています。練習の成果が十分にでなかったようです。
「まだまだだなイバラ君、三百点の道は遠いぞ」
【へいっ】
うんうん。向上心があることは良いことだ。
工事現場によくある一輪車、猫車の上にふんぞり返り、ガッタンガッタンと揺らし鬼首ボウリングの結果を見守る俺であったが、
ふっと横を見ると、先程までグースカ寝ていた女が起き上がってこちらを眺めていた。
「これは、一体なにをしているのかしら」
女は自分の周りにずらりと円を描くように並べられた水のペットボトルに困惑しているようだった。
ゴシゴシと目をこすり、なにかを確かめるように俺を見ている。
いや、何と言われてもな。
「道端で寝ている酔っ払いに施すペットボトル魔法陣だがそれがどうかしたか」
「……そう、じゃあこの珠はなにかしら」
自分を納得させるように眉間をもみながら、女は目の前の地面に綺麗に並べられた珠を指さした。
「ただのお前の成果物だ」
「全くわからないわ」
そうか、いいだろ龍でも呼び出せそうな配置でよ。
【親分、もうボルりんぐしない?】
「鬼ッ――」
ちょこちょこと首を持ったイバラがきた次の瞬間、ジャージ女は双眸を見開き傍らに転がっていたロープ杭を手に取り切先を向けた。
【キャーっ! やっぱり〈妖〉怖いっ】
ぴょんと飛び上がって、一輪車の上でくつろぐ俺に飛びつくイバラ。
仕方ないので抱きとめて、かばうようにして女がどうするのかを観察する。
「鬼は八つ裂きにするわ、かばうなら仲間とみなす」
ブチギレた狼のように鼻に皺をよせて脅しつけてきた。
なんだただのメンヘラクソ女か。
確かめるために、俺ははっきりと言ってやる。
「何を言っているんだ。これは俺のイバラで、お前のじゃないが」
【そうっ、イバラは子分っ】
「なにを、鬼は鬼でしょう。まさか貴方も……人間じゃないのかしら」
警戒心を全開に俺から距離を取ろうとする女、これはやはり話にならない感じだろうか。
「じゃあお前、殺人鬼に親を殺されたら人間を皆殺しにするのか、達成する前にお前が生んだお前に刺されて死ぬんじゃないか」
「……それは」
震える唇が噛み締められる。
俺とイバラを交互に見つめていたジャージ女だったが、数巡考えたかと思うと、ふっとその視線を伏せた。
沈黙。
深呼吸が聞こえた。
「その通りね」
刺々しい雰囲気が声音から消えた。
ストン、と吸い込まれるような滑らかな動作で、彼女はコンクリートの床に正座した。
握りしめていたロープ杭を脇に置き、両手を綺麗にハの字について、深く頭を下げる。
「……大変失礼いたしました。貴方の仰る通りです。私は私怨に目を曇らせ、初対面のイバラさんに理不尽な暴力を向けました。猛省いたします」
付け焼き刃ではない堂に入った謝罪の所作である。
こいつまじに学生か、いきなりやめろや。
一輪車の上でクソ生意気にふんぞり返っていた俺の方がみっともなくなるだろうが。
舌打ちをひとつ、姿勢を戻し俺は抱いていたイバラを前に置いた。
「だってよ、イバラどうする」
【許しますっ】
すごいふんぞり返ってる。なんの遺恨もなさそうすぎるなお前。
「だそうだ」
俺の言葉に頭をあげ、少し微笑みをみせて女は言った。
「ありがとう、イバラさんは優しいのね」
【ひょー、お耳にしました親分っ。なかなかお目が天】
そりゃすごい、高い高いでもしてやろうか。
「そういえば、ご挨拶もまだでしたね。私は夜平叉月と言います。状況からみて、助けていただいたのでしょう。重ねて感謝いたします」
俺に体を向き直し、なんとも素直にお礼を言われる。
「別に良い、そもそも俺が自分勝手に残ってただけだからな」
真っ向から視線を合わせ反応を伺うが、恐れも好意もどちらも大して見えない。
揺れることない瞳で受け止められている。
こちらの見た目など、吐いた二酸化炭素の量ほども気にした様子はない。
「俺は、毒浪薬道だ。好きに呼べ、そしてその床に転がってる珠は、今後お前が必要になるであろうお前の拾得物だ。もし聞きたいことがあるなら、今なら答えてもいい」
【珍しいね親分】
そうかもな。自覚もあるぜ。
だが珍しいのは俺じゃなく、この眼の前の女のほうじゃないかとも思う。
「叉月です。薬道さん。呼び捨てでも敬称付けでも、個人がわかる呼び方であればお好きにどうぞ。そうでないと、反応する際に私側で不都合が生じます。あだ名などもありましたらそちらでも、サツキン、ヨルっちなどが友人関係からは好評です」
ほら変なやつだ。真顔で言われるとシュールだな。
質問無視してまず呼び方に注意がくるとはね。
ただ言われたら理屈はそうか。緊急時にお前だと変なミスもでそうだし。
そうだな。
「じゃあ、たいらちゃんなにか聞きてぇことはあるのか」
「そこを強調されたのは、初めてですね。気になることはこの珠のお話でしょうか。ただ何度も遮って申し訳ないですが、その前にやるべきことがあるのですがよろしいでしょうか」
視線が横に流れる。そこには、一人の男の死体があった。
おそらくは叉月の父親の死体がある。
叉月にとっては父親が、俺にとっての御母上様みたいなものだったのだろう。
そうなると何をしたいのかも想像はできる。
俺は猫車からひょいとおりて、乗せてあった空の砂袋を数枚破り開き渡した。
「それでとりあえず包め。抱えられないだろうからこの猫車に乗せて運ぶと良い。シャベルは後ろの壁にあるし、俺の拠点の近くに埋められる静かな場所がある。運ぶにも何をするにも、その珠はたいらちゃんの役に立つことになる、これでいいか?」
あれと、それと、これ。
全てをテーブルに並べて問い直すと、叉月は少し驚いたように背筋を伸ばした。
「十全です。お手数ですが、薬道さんがこれは必要と思うことをいっそ拝聴させていただいてよいでしょうか。正直、いまの私にはお礼すら満足にできるかわかりませんが、それでも良ければ」
「大した手間じゃねぇからまあいい。礼だってちょっとでいいぜ、ほんの少し猫を捕まえる手伝いをしてくれるだけでいい」
「猫? そんなことで良いなら、でも猫?」
そうそうちょっとやんちゃな白いのと黒いのがいてさ。
助かりまーす。ありがとうございまーす。
「……なぜここまで世話をやいてくださるのでしょう。こんな言い方大変失礼かもしれませんが、私は薬道さんはこういった施しを丁寧にされる方ではないと感じています」
「正解、絶対にしねぇが今回は別だ。大変お世話になった人に重なる部分があった。ただそれだけの事だ。わかるんじゃないか、たいらちゃんなら」
俺がいうと、彼女は父の骸を一瞥し静かに頭をさげた。
気を取り直し、俺は彼女に必要だと思う説明をつらつらと語ってやった。
叉月は、話を聞いた後躊躇いもなく珠を食い、残った珠を砕いて吸収した。
工事現場に落ちていたロープ杭をあつめトラ紐に通し肩にかけ、静かに微笑み「これでこいつらは私から逃げられないのね」と言い切るあたりいい性格をしている。
イバラも言っていたが、やはり〈妖〉の属性なのだと肌で感じた。
叉月の父親を丁寧につつみ、仮拠点と猫マンションの間くらいにある寺に埋めにいった。
一廻の裂け目ができており、恨めしやだとかほざく幽霊もどきがいたが、秒でしばき倒し裂け目も支配下においた。
桜の木があったので、その下に穴を掘った。
死体に唾ではなく直接土をかける経験は、初めてだ。
壁のいたずら書きをスプレーで塗りつぶすような、中々輪郭が消えてなくならないような、もどかしさがある。
土に蝕まれていくように消えていく死体を、叉月は無言で涙を流し埋めていた。
背中が時折ピクリと動いていたので、漏れそうな嗚咽でも耐えていたのだろう。
御母上様の葬式を少し思い出す。
誰にも死に顔をみせたくなくてバットで参列者を追い返していたら、大人数に取り押さえられてつまみ出されたんだったか。
あの頃はまだ若かった。いまなら全員土の下に送れるのに。
屑親父ですら、世界でも滅んだような顔をしていたな。
最後の土がぱさりと被さる。そこらで見つけた綺麗な石を上にのせた。
こんな世だと、魂はいったいどこに向かっていくのだろうな。
天なのか、地なのか。
表なのか、裏なのか。
もし神にでもなったら、そこにすら手が届くのだろうか。
もしかすれば、会えることもあるのだろうか。
せめてものお礼を、告げることもできるのだろうか。
期待するな。なんの理屈もない話だ。
ただ、ものは試しに神の一匹や二匹始末して、俺が神になってみるのもいいかもしれねぇな――
月明かりのなか仮拠点のマンションにもどった。
叉月を引き連れている俺を見て、干岩は苦虫でも頬張ったようなすごい顔で、マリは小さく首を振った。
「薬道さん飲みすぎだよ。その子は人間で猫じゃないですよ」
『そんな、踏みとどまってください、まだ若いです。いくら借金の形でも売り飛ばすのはあんまりです』
お前ら、減給。
そして後からイバラに調べて貰ってわかったことがあった。
叉月の持っていた能力である。『怨滴釘伏』
説明文によれば[イバラは親分の子なのでチョット、怒らせたらキャーされちゃう]とのことだった。
説明、説明は?
言葉の響きからしか内容は伺えないけど、とりあえずキャーされないようにだけは気を付けとくか。




