変化は一瞬
グレンは、タブレットのニュースで、
『本日12時よりダンジョン解放!』の見出しを読みながら、
朝食の準備をしていた。
「昼からか……しかも、ボーナスダンジョンかよ……大丈夫か?」
ボーナスダンジョンは一獲千金の大チャンスだが、
所詮はハイリスク・ハイリターンの典型である。
一度攻略した階層なら、そこへ至る道順も、
罠の位置も、ボスの弱点や攻撃パターンも変わらない。
一度倒すと攻略法が固定されるが
――強さだけは違う。
10階層程度なら、数回挑んだところで、強さが跳ね上がるわけではないからこそ、
攻略情報を知っているチームにとっては非常に稼ぎやすく、報酬だけが上がっていく。
そして階層が深くなるほど話は変わる。
20階層ともなれば、同じボスだと思って攻略を数回繰り返すと、
その強さがまるで別物だと気付く。
さらに50階層ともなれば、
2度目、3度目と戦う頃には、同じ姿をしただけの別物と言っていいほど変わる。
例えるなら、見た目がゴブリンなのに、中身はゴブリンキング
「知ってる奴は知ってるが……知らない奴は知らないんだよな」
グレンは小さく息を吐き、朝食を皿へ盛り付ける。
攻略方法に変化がないから、深く潜りたくなる。
報酬が違うから当然だ。
強さの跳ね上がりを知らない奴ほど危ない。
『まだイケる』は地獄への片道キップ。
「面倒なことにならなきゃいいな」
そう呟きながら、グレンは、朝食のパンを食べようとしたところで、
サリーの眠る方へ視線を向けた。
すると、サリーの身体が僅かに身じろいだ。
え?見間違い?そう思っていると、モゾモゾと動き出した。
「サリー? サリー、起きたのか?」
「グレン?」
サリーは目を擦りながら起き上がった。
「サリー、無事か? 大丈夫か? サリー?」
慌てて駆け寄り、おでこに手をやったり、
本当に良かったーとサリーの手を握りホッとしていたが
「グレンの手いい匂い」と、クンクン嗅ぎだした。
「ハッ?いや、手の匂いって……ここはなんて言うか、俺の感動を、もうちょっと救ってくれない?」
「お腹すいたの!グレン、パン食べる」
「待て!ダメだ!お前は七日間寝続けたんだぞ!!
いきなりチーズとかバターのパンはダメだ!」
「食べる!!」
「だからダメだって、重湯とかリンゴのすりおろしとかで胃を……」
がぶっ!
「痛っ!!やめろ、食べるな、それは俺の手!!」
「ぐゅれんが、ぐれにゃんがっわじゅい」
「お前、なんて言ってるかわかんねーよ」
「んぐ……おいじぃぃ」
「俺の手を食うなぁぁぁ!!」
振りほどこうにも、噛みつき亀のように離さない、
「わかったから、ちょっとまて今作るから、俺の手なんて腹が痛くなっても知らないぞ」
そう言ってグレンが離れると、テーブルにパンを残したまま行ってしまった。
「パン!食べる!」
「あぁあ!知らねーぞ!腹痛くなっても。
おい、もっとゆっくり食えって」
と、声をかけるも、あっという間に口へ押し込んでいく。
ある程度まで食べ進めたところで、
――案の定。
「……っ」
「サリー?」
口元を押さえ、身体を小さく丸める。
「おい、だから言っただろ!」
「食べる……」
「いや、もう食うな!」
涙を浮かべながら、それでもサリーは口を押さえ、
込み上げてくるものを必死に飲み込もうとする。
「ばか!吐け!」
グレンは慌ててサリーを抱き上げ、そのままトイレへ運んだ。
「ほら、吐け。無理するな」
それでもサリーは頑なに口元を押さえたまま、首を横に振る。
苦しそうに身体を震わせながら、戻ってきたものを飲み込もうとする。
「いい加減にしろ!」
「……っ」
サリーの肩がびくっと跳ねたので、グレンは慌てて声を落とした。
怒鳴るつもりも責めるつもりもなく、ただ、吐いた方が楽になるのに、
それでも必死に飲み込もうとするサリーを、
見ていられなかっただけなのに。
「……あっ、ごめん。サリー、怒ってないから。
ごめん、大丈夫だからなっ?頼むから、無理するな」
そう言ってゆっくりとサリーの手を口元からどかし、
背中を優しくさすり続けると、
「……ごめんなさい」
「いいから」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
涙を流しながら謝るうちに、
とうとうサリーは込み上げてくるものを堪えきれず、
苦しそうに吐き戻した。
それでも「ごめんなさい」と繰り返すサリーの背中を、
グレンは黙ってさすり続けた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝らなくていい。ほら、全部出していいから」
サリーは泣きながら何度も胃を引き攣らせ吐き続けていたが、ようやく全身から力が抜けるのをグレンは感じ取り、
「ほら、もういいか?大丈夫か?」
言葉をかけると、サリーはゆっくりと振り返る。
失敗したなぁ、やっぱり食べさせたらだめだよなぁ、
苦しい思いさせてしまったな、そんなことを考えながら
サリーの顔を見た瞬間、
サリーじゃない!誰だ?
ダンと、壁にぶつかりながらも咄嗟に立ち上がる。
目の前にいるのは、確かにサリーであり、
黒髪、紫の瞳、小さな身体全てサリーなのに、
直感が違うと訴える。
いつもの生意気そうな目も、
何かを見つければすぐ食いつくような好奇心もない。
焦点の合わない瞳が、ただぼんやりとグレンを見つめ、
まるで目の前にいる人間が誰なのか……見てるようで見てない、
人形めいた瞳に吸い込まれ……み、見たらだめだ!
「だ、だ、誰だ、お前……」
絞りだすような声がでた。
「……ごめんなさい……お兄ちゃん……」
「……え?お、お兄ちゃん……?」
目の前の少女は、まるでそれが当たり前であるかのように、弱々しく呟き、自分から目を伏せ震えてる。
一瞬にして、圧が抜け汗が噴き出し、混乱中のグレンの嗅覚と視線に、別のものが入り込んだ。
吐いたものの匂い、汚れた服、涙でぐしゃぐしゃになった顔。
いまだに込み上げてくるのか、吐きそうな素振りをみせながら、
お腹を抱え丸まるサリー
口の中も不快感だらけなのは想像がつく。
「今はそれどころじゃないな」
グレンは、わからないことを考えるより、目の前の事を優先した。
サリーをひょいと抱き上げた。
「汚れたから洗うぞ」
「…………うん」
その返事も、妙に弱いが気にせず、
浴室へ運び、浴槽の中に座らせると、
グレンは汚れた服を脱がせ、タオルで身体を洗っていく。
「ほら、シャワーの温度は大丈夫か?」
「グレンが、また私を濡らしてるぅぅぅ!」
その言葉に、グレンの手が止まり、サリーの顔を見る。
さっきまでとは明らかに違う。
いつものサリーだ。
いや、待て。
じゃあ、さっきのは何だ?
(俺の勘違いか?アレは誰だ?
お兄ちゃんって……なんだったんだ?)
グレンは混乱したまま、恐る恐る声をかける。
「サリー大丈夫か?」
「濡れてるから!大丈夫じゃない!!
お腹いたいぃぃぃ。なんで?濡れてるから?」
サリーはお腹を押さえながら、
「この体、弱すぎ!!痛いよぉお」
「…………」
(いつものサリーだ)
グレンは、心の底からホッとし、
「アホか!七日間も寝てて、
いきなりあんな勢いで食ったら、そうなるわ!」
「だって食べたかったもん!」
「だからって俺の手まで食うな!」
「グレンが悪い!」
「なんで俺なんだよ!」
やっと、グレンとサリーの日常が戻ってきた。




