冥影の声
「付いてきたのかよ……冥影の声が?」
あり得ないとしか言いようがない。
深層を徘徊する災厄が、五階に現れたことだけでも異常だというのに、
落とし穴を越えてまで追ってくるなど聞いたことがない。
「なんでだよ……」
グレンの呟きを無視するかのように、
冥影の声はゆっくりと大鎌を持ち上げ、一閃。
その動きだけで空気が軋むが、
避けられない速度ではないため、最低限の動きで回避後、
「チッ……」
「サリー」
「ん?」
「ここから先は、一歩も俺より前に出るな」
「グレン?」
「いいから聞け、俺はAランカーだ。お前を生かして帰す。必ずだ。」
剣先をゆっくりと冥影の声へ向けると、
赤い魔力が刀身を走る。
それはやがて炎へ変わり、轟々と燃え上がるが、その炎を見たグレンは小さく首を振った。
「……火力足りねぇよな、しかも相手は
冥影の声」
物理では切れないし、燃やせない、
特殊個体の徘徊種
「得意ではないけど……力を貸せ」
グレンが剣に向かって発した言葉を受け
刀身の炎が、一瞬で色を失う代わりに、
真紅だった炎は、黒を帯びた深紅へと変わる。
熱を帯びていないが、触れてはいけない炎。
炎は揺らめくたびに、何かを喰らうような音を立て、グレンは剣を肩へ担ぎ、小さく笑った。
「連発はできねぇから、きちんと死んでくれよ。さぁ、食べさせてやる。契約――発動」
《貪婪の焔》
唱えた瞬間、
黒と金を宿した深紅の炎が奔流となって、
冥影の声に襲いかかる。
「ギィィィィィィィィィィィッ!!」
冥影の声の苦悶の叫びを聞きながらも、
深紅は燃やさない。
削る。
喰らう。
飢えた獣のように貪り続ける。
「もっと喰らえぇえ!喰い尽くせぇえ」
グレンの腕が軋むがそれでも魔力を止めず、
注ぎ込み続けるとやがて黒と金を宿した深紅は、
赤くなり、グレンの魔力が押し返された。
「……終わったか……」
グレンは大きく息を吐き、大粒の汗を垂らしながらもサリーを安心させるように笑った。
実際は、肩へ担いだ剣は重く、全身は少しだるくなっていた。《貪婪の焔》を使った反動だ。
「って、マジで何階だよ……ここ」
辺りを見回しても見覚えはない。
深層なのか。
それとも、まだ5階なのか。
何一つ判断できない。
「ねぇ、グレン!」
「ん?」
「あれ、拾わないの?」
「あれ?」
サリーの突然の呼びかけに、指差した先へ視線を向けると、そこには、武骨な石の容器が転がっており、グレンは固まる。
「…………え?」
パチパチと瞬きをしながらゆっくりと近づき、それを拾い上げる。
間違いない、魔髄だ。
魔物が低確率で落とす魔石とは違う。
ボスだけが残す、魔髄という名のレアアイテム
「……こちらは……ボス部屋?……何階ですか?」
「グレン、なんか言葉変だよ?」
「サリーさん、ちょっと待って!待て待て待て待て待て待て待て!」
深呼吸。
もう一度、魔髄を見るが、やっぱり魔髄だ。
「おかしいだろぉぉおおおよ!
ないないない!徘徊種は部屋を持たないんだよ!」
「そうなの?でも魔髄有るよ?」
「いいか?聞け、あいつは徘徊種なんだ!」
「うん。今、2回聞いた」
グレンは魔髄を指差し、
「じゃあ、これはなんだ?」
「魔髄です!」元気よく答えるサリー
「そうだよ!魔髄だよ!」叫ぶグレン
「なんであるんだ!?」
サリーは少し考え、
「倒したから?」
「そういう話じゃねぇぇぇぇ!!」
グレンは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
「徘徊種はボスじゃない!
だから魔髄なんか落とさない!
ついでに言うと、追いかけてこない!」
魔髄を見て、
冥影の声がいた場所を見て、
魔髄を見る。
「……誰か説明してくれ」
「ねぇー、グレン」
「やめろぉぉおおお!
さっきから、お前が『ねぇー、グレン』って言う度に、
俺の常識が崩れていくんだ!」
「ダメなの?グレンって呼んだら、ダメなの?」
「……そこ?」
「?」
「俺が言ってるのはそこじゃねぇ!!
五階に冥影の声がいて、
意味不明な階層に落ちて、追いかけてきた。
徘徊種なのに魔髄がある!
全部お前が、『ねぇーグレン』って言った後での話なんだよぉおお」
「グレン!大丈夫?落ち着いて!」
「お前が、落ち着きすぎてこわいよ!」
「じゃあ、グレン!」
「……」
「ボスが起動するよ」
「……へっ?」
(きちんと教える私ってやっぱり良い飼い犬だ!)
グレンは、突如として伸びてきた黒い腕に、
考えるより早く身体を動かし剣を抜き放ち、
サリーへ向かうその一撃を鋭い一閃で遮った。
ズガァァン!!
確かな手応――のはずが、
「……ない?」
剣が振り抜かれているのは間違いないが、斬った感覚がない。だが、弾いた。
硬い?
違う、そこに斬る対象が存在していない感覚
「くそっ……!」
グレンは即座に距離を取る。
情報が足りなさすぎる。
不明すぎる状況と敵。
取れる行動は1つ!
「サリー、逃げるぞ、走れ!」
「うん。グレン!」
二人は通路へ向かうが、
ゴゴゴゴゴ……。
壁が動き、床が変形する。
通路など最初から存在しなかったかのように塞がる。
「……」
別の道を探そうとするが、ない。
上、天井。
下、論外。
横、前、壁。壁。何処見ても壁。壁。壁。
「逃げ道、なしってか」
嫌な汗が流れる。
「なんなんだこの部屋は……」
切った感触もなく、どこの部屋かもわからない。
しかも壁や床が動き、攻撃してくる……
ん?……部屋が動く?
……えっ?……まさかの?……
花街や酒場では聞いたことはあるが、
「いやいや、ないない」
60階層付近に稀に冒険者殺しの部屋が有ると……嘘か誠かわからない話。
都市伝説として笑い話で出てくる部屋。
《帰路喰らい》
「……この部屋がその幻の部屋?」
「じゃー、グレン」
サリーの何も変わらない声色
「お前……今、なんて言った?」
「じゃー、グレン」
「……」
「ねぇー、じゃないよ?じゃーだよ?いいよね?」
「……」
逃げ場なし、幻の部屋が攻撃してくる中で、そういう『ねぇ』とか『じゃー』の問題ではないなどと、説明している暇もなく、
「もうーグレン!」
「なんだよ!」
「グレン、それ飲んでいい?」
俺の持ってる魔髄を指差した。
守るべき少女は、まるで家への帰り道にコロッケを買うように、
『それ飲んでもいい?』
意味が理解できない、脳が拒否する。
「……はい?」
「それ、飲んでいい?」魔髄を指差す。
「ダメだ!!絶対ダメだ!」
「なんで?」
「なんでじゃねぇ!これは、お前の大好きなミルクや身体に良い飲み物じゃねぇからだ!」
魔髄。
ボスが残す最高純度の魔力結晶。
普通の人間が直接取り込めば――
「普通に死ぬんだぞ?!?!
魔力の器が耐えられねぇんだよ!
俺だって、こんな意味不明な魔髄は怖くて飲めねぇ」
AランカーやSランカーには、魔髄は麻薬と同じ。
簡単にレベルアップができるため誘惑に勝てないが、
それでも一流のランカー達なら安全マージンを取る。
むやみやたらに飲みはしない。
それを見誤ると待ってるのは死。
「これは冥影の声の魔髄!いや違う!!冥影じゃない……えーと、とりあえず不明なヤツ!
こんな不明なもん、運が良くても昏睡……
成功の確率なんてねぇ。
それをサリー、お前が飲む?馬鹿も休み休み言え」
それでも、サリーは魔髄を見つめる。
(グレンにどう言えば、飲ませてくれるかな?
ん〜飲んだらここから出れるよ!ならいけるかな?)
「……」
「……」
グレンは知らない。
自分が説明している相手が、
そもそも、常識の範囲外の最強犬という事を。




