036:幕間1 魔王ザガンと世界の歪み
036:幕間1 魔王ザガンと世界の歪み
SIDE ザガン
天を衝くほどに巨大な黒岩の山脈。
その断崖には、数百年の歳月をかけて成長したであろう、山そのものと見紛うばかりの「異形の怪物」が、漆黒の楔によって無惨に磔にされていた。
それは生命の定義を根本から汚染し、あらゆる生物の特徴を醜悪に煮凝らせた、悪夢のような混成体であった。
山の斜面を覆い尽くしているのは、数千、数万という蒼白な「人間の腕」だ。
それらが意思を持たぬ海藻のように蠢き、空を掴もうと虚空を掻き毟っている。
その隙間からは、節くれだった巨大な昆虫の肢が幾百と突き出し、甲殻が擦れ合う不快な音を山嶺に響かせていた。
さらにおぞましいのは、その質感。
岩肌と思われた場所からは、粘膜にまみれた巨大な眼球が脈動と共に露出し、血走った視線を無秩序に投げかけている。
断崖の裂け目からは、どろりと腐り落ちた内臓のような肉塊が滝となって溢れ出し、麓の地を「生命への冒涜」で塗りつぶし続けていた。
「ギ、ギギ…………オォォォォォッ!!」
不意に、地殻そのものが悲鳴を上げるような重低音と共に、怪物が悶えた。
磔から逃れようと、数万の「腕」が一斉に岩盤に指を立て、昆虫の肢が断崖を砕きながら暴れる。
一振りのたびに山脈は激しく震え、数千トンの土砂が、怪物の剥き出しの粘膜と血反吐を巻き込みながら隕石のごとく降り注ぐ。
その震動は、数キロ先の大地すら波打たせるほどの絶望的な質量を伴っていた。
だが、どれほど大地を呪い、山を削ろうとも、急所に穿たれた漆黒の楔は、微塵も揺らぎはしない。
暴れれば暴れるほど、楔は宿した呪性を深め、底知れぬ質量を伴った苦痛と共に、その汚らわしい存在を永久に岩盤へと縫い止めていた。
空中の何も無い空間。
赤黒く濁った雲の隙間から、その惨状を見下ろしているのは、ただ一人の初老の男。
身の丈、二メートル二十センチ。
バイソンのごとき巨躯を、漆黒の最高級スーツに包み込んでいる。
知的な静謐さの奥底に、世界を粉砕する力を飼いならした、絶対的な品格。
魔界の深淵に君臨する絶対者、魔王ザガンである。
「……残念だったな。これほどに育つまで、深い地底で数世紀も息を潜めていたのだろう?」
ザガンの声は低く、そして冷酷なまでに穏やかだった。
彼の視線の先で、絶望に悶える怪物が最後の抵抗を試みる。
磔にされた巨躯の胸部が不気味に裂け、そこから新たな「巨大な貌」が這い出したのだ。
貌は怒りに狂い、口を大きく裂くと、触れるものすべてを虚無に還す強酸の溶解液をザガンへと吐き散らした。
空間を焼きながら迫る、灼熱の溶解液。
だが、ザガンは眉一つ動かさない。
ポケットに両手を突っ込んだまま、ただ静かにその「異形」を見据えて呟いた。
「不敬だな」
その瞬間、彼の銀の瞳が深淵の如き漆黒の輝きを放つ。
ザガンの数歩手前。
大気を焦がし、醜く沸き立っていた溶解液の先端に、一点の「銀」が宿った。
それは、極北の地で凍てつく水面を走る氷結の如く、しかしそれよりも遥かに重厚な「結晶」となりながら、凄まじい勢いで銀色が波及していく。
キリリィィィィィィィン――!!
戦場に響き渡るのは、破壊の音ではない。
幾千、幾万の銀の鈴が同時に奏でられるような、荘厳にして不気味なほどに澄んだ共鳴音だった。
灼熱の泥濘は、その熱量も殺意も置き去りにしたまま、一瞬にして「致死の美」を宿した純銀へと定義を書き換えられていったのだ。
銀の呪いは飛散する液体の筋を道標に、物凄い速さで怪物本体へと侵食をすすめる。
「あ、が…………」
断末魔すら金属の冷たさに呑み込まれ、数秒前まで山脈を震わせていた巨躯は、今や鈍い光沢を放つ巨大な「純銀の彫像」へと成り果てた。
静寂が訪れる。
だが、それは一瞬のことだった。
ズゥゥゥゥゥゥゥゥン……ッ!!!
生物としての骨格が、金属へと変えられた自らの莫大な自重に耐えられるはずもなかった。
逃げ場を失った「銀の質量」に押し潰され、彫像と化した怪物は、断崖を砕きながら無惨に、しかしどこまでも美しく崩落していった。
飛び散る飛沫すらキラキラとした金属片へ変わり、辺り一面に雪のような幻想的な光景が広がる。
一国を滅ぼしかねない災厄が、ザガンの指先一つ触れぬ「視線」だけで片付けられたのだ。
「……さて」
ザガンが退屈そうに視線を外した、その時だった。
金属の冷気に満ちたその戦場に、一つの気配が音もなく静かにあらわれた。
空中に佇むザガンの背後、まるでそこに居るのが当たり前のような自然さで黒い気配がこうべをたれる。
「お務め、ご苦労さまでございます。相変わらず、凄まじい手腕でいらっしゃいますな。……これほどの規模の汚染体を、一睨みで沈められるとは」
背後に音もなく現れたのは、一糸乱れぬ所作の老執事だった。
彼は目の前の「銀色に凍り付いた巨大な地獄絵図」など、日常の風景の一部であるかのように、うやうやしく頭を下げている。
「……なんだ?お前が来たのか?……まぁ、良い。この一帯の地脈を徹底的に調査しろ。わずかでも『汚染因子』の残滓があれば、そこから再び侵食が始まる。胞子一つ、塵一つ残すな」
「心得ております。閣下が美しく保たれているこの世界に、塵一つ残すことは我らの矜持が許しません。……これより先は私どもの領分。閣下の御手を煩わせるには、あまりに些事に過ぎます」
執事長は慇懃に、しかし絶対的な自信を込めて微笑んだ。
「あちらに、戦場の煤を払い、しばし静寂を愉しむためのサロンをご用意いたしました。……それと、フェニックス様から『刹那の黒真珠の回収に成功した』とのご報告を承りました。……、ゆっくりお休みになられた後に、フェニックス様からの『報告書』を検分されると宜しいかと…」
「……フン、気が利くな。あいつの報告は、毒気が強すぎるからな。」
ザガンは僅かに口角を上げると、2.2メートルの巨躯を翻し、執事長が示した方向へと空中を歩き出した。
高級スーツの生地が、強靭な筋肉の動きに合わせて低く、贅沢な軋みを上げる。
「ふむ。それにしても異世界に紛れ込んだ遺物の回収をこんなに短期間で成し遂げたというのか?同じ魔王としてでも信じられん速さだな。」
異世界には高次元存在や高エネルギー物質は持ち込めない、次元の穴を見つけ少しずつ力を送り込んで準備を進めるしかないのだが、フェニックスのこの奪還スピードはどう考えても異常だ、まるで転移1回目の初期状態のまま、黒真珠を回収したというのか?
ザガンの予想では早くて3年はかかるだろうと予想を立てていたのだ。
ある程度魔王としての力を持っていけたとしても、限度というものがあるだろう?とザガンは思わず顎に手を当てて考える。
「相変わらず、デタラメな男だ。すぐに報告書を確認したい、ココには報告書はないのか?」
知的好奇心を刺激されたザガンが執事長に尋ねる。
すると執事長は、その言葉を待ってましたと言わんばかりに、豪奢な金細工の装飾が施された重厚な木箱をサッと差し出した。
少したけ違和感を感じながらザガンは差し出された木箱を手にとり蓋を開ける。
木箱の蓋が開かれた瞬間、ザガンの思考は、先ほどの怪物と同じように凍り付くことになった。
「…………執事長。これは、何だ」
「報告書……で、ございます」
そこに鎮座していたのは、魔導書でも、封印された呪物でもなかった。
眩いばかりのシュリンク包装に包まれた、最新規格のブルーレイパッケージであった。
◇
「…………これは何だ?」
「報告書……で、ございます」
パッケージの表紙には、燃え盛る日食を背景に、凛々しく剣を構えるバトルドレス姿のアルカナ・フレアと、その肩で不敵に片羽を広げるひよこ姿のフェニックス。
そして、目を赤く光らせ不敵に笑っている魔人のイラストが、映画ポスター顔負けの完璧な構図でデザインされていた。
ザガンはパッケージを手に取り、苦虫を噛み潰したような顔で数秒間沈黙した。
「……フン、奴が考えそうなことだ」
深いため息を吐き、ザガンはパッケージを執事へと投げ渡した。
「奴が心酔しているという異界の『アニメ』とやらのガワを模したのだろう。形から入る男だ、報告書まで道楽の延長にするとは。まったくフェニックスも困った男だ」
ザガンは呆れたように首を振る。この魔界に、異界の辺境技術である『ディスク』などという円盤を再生する装置は存在しない。
かつてザガンが知的好奇心から、異界の残滓を解析して自身のラボに唯一組み上げた試作機を除いては。
「再生機を用意しろ。……あそこだ。私のラボへ運べ」
指示を飛ばそうとしたザガンの思考が、ふと止まる。
銀の双眸が、執事の手元にある滑稽な美少女のイラストが描かれたパッケージを射抜いた。
(……いや、待て。これは違う。奴がただの趣味でこれを選んだはずがない。これは、狡猾なまでの『階層型セキュリティ』か……?)
ザガンの脳内で、急速に推論が組み上がっていく。
中身はSSSクラスの禁忌遺物に関する報告。
他の魔界の諜報網が血眼になって探している極秘情報だ。
それをあえて、このような『頓痴気な玩具』の中に隠蔽する。
(誰も思うまい。この間抜けなパッケージに、世界の均衡を揺るがす真実が眠っているとは。さらに、これを再生できる装置は、この広大な魔界においても、私のラボにたった一台存在するのみ。つまり……)
そこまで考え至り、ザガンの背筋に冷たい戦慄が走る。
(……奴は、この情報が万が一にも私の手元に届く前に奪われた際、『私以外の何者にも再生を許さない』ために、あえてこの媒体を選んだのか! 再生機を持たぬ他者が手に取れば、これはただの『再生不可能なガラクタ』に過ぎない。情報の価値そのものを、技術的断絶によって抹殺しているというのか……!)
なんという用心深さ、なんという徹底した防諜意識。
フェニックスは、ザガンの技術力と所有物までも計算に入れ、このパッケージを「ザガン専用の秘密鍵」へと昇華させていたのだ。
「……ククッ、やはりフェニックス。恐ろしい男よ。」
ザガンが自らの推理に満足し、口の端を僅かに持ち上げた時だった。
その時だった。
執事長は、主君の思考を遮ることなく、一糸乱れぬ完璧な角度で深く頭を下げた。
「それが……ザガン様。……すでに『準備』は整っているのでございます。」
「……何?」
ザガンは歩を止め、その巨躯をゆっくりと執事長の方へと旋回させた。
最高級の生地が、強靭な肩周りでギチリと低い軋みを上げる。
知性という鎖で繋ぎ止めているはずの統治者の本能が、目の前で恭しく頭を下げる執事長の空気の中に、かつてないほど不穏な違和感を察知し、鋭く逆立っていた。
ザガンは銀の双眸を細め、執事長の静かな、しかし確信に満ちた佇まいを射抜くように見つめるのであった。
Liner Notes
■Track 036:
【分類】
[[3]:世界観設定] > [[33]:魔導・技術理論]
【日本語名称 / English Name】
魔王の本質 / Essence of the Demon Lord
【概要 / Overview】
魔王とは?
多次元宇宙における「世界の自浄作用」を司る論理的役職。
無数の並行宇宙が細胞や臓器のように影響し合う巨大な生命体のように存在しているこの世界において、内生的な論理バグや外来の汚染因子を排除し、健全性を維持する「免疫機能」そのものである。
【特性・スペック / Properties & Data】
職権の発生
特定の上位存在から任命されるものではなく、その世界における最大実力者が本能的・自動的に収まる「宇宙の空席」である。
労働条件
無報酬・無期限・権限無制限(私的な乱用はバグを誘発し自滅を招く)。
魔王がその職務(世界の防衛・修復)を放棄すれば、世界は即座に崩壊し、管理者である魔王自身も存在の根拠を失い消滅する。
このため、実質的な拒否権のない極めて過酷な強制職権となっている。
存在意義
世界の住人や魔王自身にとって、これは「空が青い」のと同等の自然法則として受容されており、職権の理不尽さが議論の遡上に載ることは稀である。
【特記事項 / Secret Note】
フェニックスシステム
「ソロモン宇宙群・侯爵級魔界」を管理する魔王フェニックスは、この過酷な職務を「ポイント制クエスト」として領民にアウトソーシングする独自の自動化機構を構築している。
ポイントを貯めると、御当地美味しい物詰め合わせギフトからフェニックスへの挑戦権まで幅広い商品と交換出来る。
また、高ランクポインターになると「企業からのスポンサー契約(広告案件)」が舞い込むなど、討伐そのものが一種の巨大なエンターテインメント経済圏として成立しはじめており、フェニックスの想定を超えたシステムの成長が続いている。
フェニックスが自堕落な生活を維持できているのは、彼の領民がバグ(世界の歪み)を独自で処理できるほど強靭な『獣系』の集団だからである。
彼はあえて、戦闘力の高い彼らをシステムの歯車として組み込むことで、魔王としての義務の8割をアウトソーシングすることに成功した。
浮いた時間のすべてをアニメや工作に注ぎ込むその姿は、勤勉な魔王たちから見れば冒涜的ですらあるが、その『サボりのための完璧な統治』こそが、彼の真の天才性を証明している。
なお、フェニックスは「魔法少女へのロマン」から人間タイプの住人が多い世界への移住を夢見ているが、人間タイプの住民では、世界バグなどに対する対応力が低い為、その場合の自身への労働負担増(システムの維持不能)を危惧し、今日ももふもふに囲まれた効率的なサボり生活に甘んじている。
Tags: #魔王ザガン #魔王の仕事 #汚染因子 #報告書(アルカナフレア#1 刹那の黒真珠編) #執事長が来た理由




