030:魔法少女は逃げられない
030:魔法少女は諦めない
SIDE リーナ
「さあ、邪魔者は消えましたわ。続きを始めましょうか? お人形さん」
魔人が私の頭上から、余裕綽々な雰囲気で語りかけてくる。
きっと私を見下す為に、わざわざコソコソと空中に登ったに違いない。
コイツ絶対性格が悪い。
「ッ!?……ユリウスさんたちは!?」
ココにコイツが居るという事は……最悪の予感が私の背を走る。
私は慌てて地上を確認した。
「あ、……っ……」
そこには、さっきまで私のために命を懸けて戦ってくれたユリウスさんや、ハンターたちの無残な姿があった。
ユリウスさんの、頼もしかったあの右腕は、あらぬ方向に折れ曲がって地面に転がっている。 ひしゃげた防具の隙間からは赤い液体が絶え間なく溢れ出し、冷たい地面の上にどす黒い溜まりを作っていた。
他のハンターたちも、手足の骨を粉々に砕かれたのか、ピクリとも動かずに、ただ獣のような、途切れ途切れの絶望的な呻きを漏らすことしかできていないみたいだ。
ひどすぎる。
あまりの光景に視界が激しく点滅した。
「ふふ、安心して。今は身分相応に地面に這いつくばらせておりますの。鮮度が落ちないよう、逃げられない程度に『下処理』をして差し上げますわ」
魔人は、最高の果実の熟成を待つかのように、慈愛さえ感じられる優雅さで微笑む。
その言葉の通り、倒れた仲間たちの周囲には、無数の夕闇色の髪が影のようにうごめいていた。
恐怖によって彼らの肉と血が美味しく熟していくのを、じっと管理するように。
そのおぞましい黒髪が粘着質のヒルのようにまとわりついて、生存者たちの自由を完全に奪っていた。
「あらあら酷い顔。せっかくの可愛いお顔が台無しですわよ。ふふ、可愛いお人形さん……」
魔人は、まるで小さな子供のほっぺの汚れをハンカチで拭ってあげるような自然な仕草で、フワリと空中を滑るように私の間合いに入ってきた。
(来る……ッ!!)
そのあまりの自然さと、あまりの速度に私の本能が最大級の冷たい警鐘を鳴らす。
迫りくる白い指先から逃れるため、私はなりふり構わず空中で身をよじり、全力で後退した。
辛うじて動けるのは、フェニックスの遅延対策が生きているからだ。
だけど、触れられたら終わる。
掠るだけでも、今の満身創痍のドレスじゃ持ち堪えられない。
張り詰めた沈黙の中、ごくり、と喉が鳴る。
じっとりとした嫌な汗がこめかみを伝い、恐怖で引き絞られた肺が呼吸の仕方を忘れて固まっていた。
私は意識的に、小さく、浅い呼吸を再開させて必死に酸素を取り込む。
視線の先、妖しく微笑みながらゆらゆらと浮遊する魔人は、恐ろしいほどに美しく、残酷な貴婦人そのものだった。
彼女がただそこに佇んでいるだけで、周囲の空気が重く、冷たく、私の肌を刺してくる。
「すぐに潰して血をいただこうとも思いましたけど、あなたが元気でいる限り、皆さんの希望が血に混じって不味くて仕方ありませんの。 あなたを無残に引き裂いて、その心が絶望と恐怖で熟成されてから、デザートとして彼らの血もいただく事に決めましたわ。 だから、ね? わたくしの美味しいお食事のため、惨めに惨たらしく死んでちょうだい」
そう言うと魔人は、にっこりと優雅に微笑んで、パチンと指を鳴らした。
その乾いた音が合図だった。
「――ッ!?」
視界の端、全方位の空気が一斉に震えた。
刹那、世界の輪郭がどす黒い濁流に押し流された。
魔人の背後から、黒髪の津波が、爆発的な質量で一気に押し寄せてくる。
気づいた時にはもう遅かった。
魔人の背後からだけでなく、私の上下左右、あらゆる方向から無数の髪の束が、まるで意思を持つ黒い蛇のように鎌首をもたげて迫っていたのだ。
「いつの間に…!?」
「あら、お気づきになりませんでした? お話の途中、セッティングをすすめておりましたのよ」
魔人が馬鹿にしたように、クスクスと楽し気に笑う。
親しげに話しかけてきたのは、私の注意を引き付け、この包囲網を完成させるための時間稼ぎだったのだ!
「――ッ!?」
私はバーニアを全開にし、一気に上昇した。 真下から迫る黒い波は、巨大な口を開けた蛇のように私を呑み込もうと牙を剥く。
「あはは! もっと、もっと羽ばたきなさい! どうせ無駄な努力でしょうけど!」
その言葉と同時に、空を埋め尽くす黒髪の群れが一斉に、まるで追尾ミサイルのように軌道を描いて私に殺到した。
(クッ!……、なんて数……っ!!)
私はバーニアの出力を強制的にピークへと叩き込み、空中をジグザグに暴れ回った。
急上昇からの一回転、そして重力を無視した直角の横スライド。
視界が激しく上下左右にブレる。
紙一重でかわした黒髪の槍が、ゴォォッ! と大気を切り裂いて私のドレスの装甲をかすめ、無数の火花を散らしていく。
右から網が迫れば、背中のスラスターを逆噴射して空中反転。
上下から挟み込まれる絶体絶命の瞬間には、
「退けぇぇっ!!」
と叫びながら、グローブに収束させた紅蓮の炎を、目の前の「黒」に向かって文字通り殴りつけた。
ゴォォォォ!!!
至近距離での爆破。
その爆風の反動さえも強引に推進力に変え、弾き出されるようにして必死に探した包囲網の死角へと滑り込む。
「嘘……これ、全部髪なの!?」
空中で反転し、ようやく一息付いた私は、周囲を見渡し絶句した。
俯瞰した視界のすべてが、うごめく黒に支配されている。
何より恐ろしかったのは、さっき私が炎で焼き切ったはずの髪の断片だった。
紅蓮の炎に焼かれた黒髪の束は、灰になるどころか、まるでタールの生命体のように苦しみ悶えながら、ドロドロと泡を立てて沸騰している。
次の瞬間だった。
ジュブゥゥゥゥッ!!!
周囲に控えていた健全な黒髪の触手たちが、その弱った個体へ一斉に狂暴に襲い掛かったのだ。
お互いを貪り喰い、咀嚼するように激しくのたうち回る黒髪の群れ。
猛烈な勢いで炎を窒息させて鎮火したかと思えば、喰ったエネルギーをそのまま栄養にするように、断面から何倍もの質量となってブクブクと膨れ上がっていく。
(……そんなの、アリ!? 焼けば焼くほど、アイツらの餌になるっていうの!?)
撃っても、撃っても、空を埋め尽くす黒い蛇は増え続ける。
一房焼き切れば、その断面から二房が、四房が湧き出してくるのだ。
次第に青空が消え、私の視界は魔人の髪が生み出した不気味に蠢く黒い空へと変貌していく。
「くっ、……痛いっ……!?」
不意に、右足にドロリとした重みが絡みついた。
見れば、回避したはずの髪の毛が、意志を持つ液体のようになって私の足を「捕獲」していた。
私は慌てて、炎でそのおぞましい黒い塊を焼き払った。
小動物の断末魔のような悲鳴をあげて、地上に落下していく黒い塊。
刹那の安堵は、次の瞬間、強烈な後悔に変わる。
「捕まえましたわ」
魔人の声が耳元で囁かれた気がした。
気づけば、全方位。
上下左右、そして頭上さえも、何重にも折り重なった黒髪の壁が迫っていた。
「しまっ……!?」
言葉を吐き出そうとした、次の瞬間だった。
頭上を覆っていた黒髪の壁から、巨大な大蛇のごとき質量を持った髪の塊が、音を置き去りにして真っ直ぐに牙を剥いた。
ドガァァァァァン!!!
「ガハッ……!?」
回避する間もなかった。
上空からの理不尽なまでの超質量に押し潰され、私は自由な空から、ゴミ屑のように冷たいアスファルトへと一気に叩きつけられた。
背中から強烈に地面に激突し、肺の中の酸素がすべて強制排気される。あまりの衝撃に視界が火花を散らして明滅した。
痛い、息が、できない――そんな泣き言を脳が認識するより早く、さらなる絶望が視界を覆う。
ズブブブブブブッ!!!
地を這い、地上で待ち構えていた無数の黒い濁流。
それが、獲物の墜落を確信したハイエナのように、いっせいに私を目がけて飛び掛かってきたのだ。
前後左右、視界のすべてから迫る、文字通りの黒髪の津波。
(嫌!、たべられちゃうッ!!)
「ピキィィィィィィン!!!」
私の本能的な死への恐怖に呼応するように、バトルドレスの胸元に埋め込まれた宝石が、狂ったような眩い輝きを放った。
中枢ユニットが過負荷の悲鳴を上げながら、全出力を絞り出して球状の防御結界を展開する。
ギギギギギギギギギッ!!!!
衝突。
空間が軋む、悍ましい物理音が至近距離で鼓膜を震わせた。
私を圧し潰そうと襲い掛かる、圧倒的な物量の黒い波。
それを、ドレスの展開した蒼白い結界が、紙一重のところで何とか押し戻している。
けれど、バリアのすぐ向こう側には、おぞましくうごめく髪蟲の「顔」が、結界を隔てたすぐ目の前でびっしりと敷き詰められていた。
逃げ場はない。
地面に縫い留められ、全出力を防御に回すしかない私は、一歩も動くことができない。
隙間から見えた、冷たく嘲笑う魔人の瞳。
それが完全に髪の毛の壁に遮られて消えるのと同時に、全ての壁が外側でガチリと噛み合った。
光が消え、完全な暗闇が訪れる。
私は、四方八方を黒髪に囲まれた巨大なドーム――『鳥籠』の深淵へと、完全に閉じ込められたのだ。
檻の外から、魔人の勝ち誇った声が響いてくる。
「捕まえた♪籠の中の小鳥さん。まだ、諦めるのは早いわよ? ……コレからもっと楽しくなるから、無駄な抵抗頑張ってね。」
ギシシシ……!
巨大な氷塊が軋むような音がして、鳥籠全体が振動した。
壁が迫ってくる。
狭まる!
魔人が外からこの檻を圧縮し始めているんだ!
「お約束しておりましたわよね、あなたの全てを一滴残らず吸い取ってあげるって。このままグチャグチャにすり潰して、あなたの肉も血も内臓も、その魂に至るまで絶望たっぷりのミックスジュースにして美味しくいただいてあげますわ。」
「冗談…じゃないわよ…っ!」
四方八方を黒髪に囲まれた暗闇の中、私は必死に突破口を探した。
「ふざけないで……っ、こんなもので、私は……!」
これ以上狭めさせまいと、私はドレスの結界にさらに魔力を注ぎ込み、バリアの表面を紅蓮の炎で燃え上がらせた。
結界にびっしりと貼り付いていた髪の蟲たちが、激しい炎に焼かれ、ギギギギギッ……! と耳障りな悲鳴を上げてのたうち回る。
――けれど、そんな必死の抵抗さえも、絶望の引き金に過ぎなかった。
ジュブゥゥゥゥッ!!!
バリアの向こう側で、炎を上げて苦しむ髪蟲たちを、後方から押し寄せる新たな黒髪の群れが、一瞬で貪り食い尽くしたのだ。
焦げた同胞を栄養として生み出される、さらなる莫大な質量。
焼いても、焼いても、断面から即座に溢れ出す新しい『黒』の津波は、私の放つ炎さえも貪欲に飲み込み、酸欠の暗闇で窒息させていく。
ギギ、ギギギギギギッ……!
あとから、あとから、無限に湧き出す圧倒的な物量。
何重にも折り重なった黒髪の重圧が、球状の結界を全方位からメキメキと押し潰していく。
私の抵抗そのものが、闇の密度をさらに深め、檻の縮小を加速させているような錯覚。
逃げ場のない暗闇の中で、かつてない無力感が、冷たい水のように足元から這い上がってきた。
(……なんで。最大出力のはずなのに、手応えが、何もない)
かつてない無力感が、冷たい水のように足元から這い上がってきた。
ユリウスさんたちが倒され、空まで奪われ、
今度は私の自由が、魔法少女としてのプライドが、この「黒」に塗り潰されていく。
必死に虚勢を張っていた私の心が、内側からミシミシと音を立てて軋み始めた。
「あぁ、そうそう、私からのプレゼントですわ。遅延する時間の中でゆっくり体がすりつぶされる感覚をご堪能くださいませ」
あろうことか、魔人は檻の外から時間遅延領域を展開し始めた。
ヒッ!
全身の血の熱が一気に引いた。
絶叫の声すら、喉の奥で詰まった感じがした。
檻の中が水飴の中に浸かったような、ドロリとしたあの感覚に満たされる。
私をすり潰そうとする髪の毛の壁が、ゆっくりと私の結界を侵食しているのが嫌でも目に入ってきた。
もはや黒い壁は手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っている。
私は迫りくる髪の壁を、バトルドレスのシールドで必死に押し返す。
でも、圧力は増すばかりだ。
空間が歪むほどの圧力で、ドレスの結界がきしみを上げる。
逃げ場のない暗闇。
迫りくる死の壁。
「待って……。来ないで。こっちに……来ないでよっ!」
それはもはや、戦士としての叫びではなかった。
ただの14歳の女の子が、逃げ場のない暗闇で溢れさせた、
剥き出しの悲鳴。
「あ、つ……っ!?」
不意に、太ももに焼けた針を深く突き立てられたような、鋭い激痛が走った。 あまりの衝撃に、私は思わず自分の足元に目をやった。……そして、息が止まった。
(……なんで。結界の、内側に……っ!?)
そこには、さっきの空中戦で足に絡みついていたはずの「髪の一片」が、醜悪な生き物のようにのたうっていた。
強引に引き剥がしたと思っていたそれは、千切れたフリをして、私のバトルドレスのプリーツの影に息を潜めていたのだ。
独立した意志を持つ「蟲」へと変貌した黒い髪は、バリアの内側という絶対安全なはずの聖域で、ずっと私の隙を伺っていた。
ドロリとした粘液を滴らせながら、それは私の太ももを「餌」と定めて食らいついている。
髪の表面から無数の細い棘が逆立ち、牙のように私の柔らかな肌を噛みちぎり、その奥にある熱い血を求めて、じりじりと肉の裏側へ潜り込もうとしていた。
Liner notes
■Track 30
【分類】
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【日本語名称 / English Name】
這い寄る黒髪/ Creeping Black Hair
【概要 / Overview】
魔人の魔力によって編まれた、意志を持つ高密度魔導繊維 。
対象を物理的に拘束するだけでなく、空間そのものを隔離し、外界からの干渉を一切遮断する閉鎖空間『鳥籠』を形成する 。
【特性・スペック / Properties & Data】
・自律増殖・再生能力
切断・焼却されても、断面から即座に倍加して増殖する超再生能力を持つ 。
・液状化と硬質化
状況に応じてタールのような粘着性液体から、鋼鉄を凌駕する棘へと自在に質感を変化させる 。
・自律的侵食・寄生性
断片化した一房ごとに限定的な自律性を有しており、魔人の複雑な指揮を介さずとも、その情動を汲んで本能的に駆動する。
本体から切り離された後も「吸血」と「同化」への根源的な欲求を失わず、自立する「蟲」のように防具の隙間を這い、対象の肉体へと潜り込む。
・時間遅延同期
魔人の展開する時間遅延領域と同期しており、内部に囚われた者の機動力を「水飴の中」のように停滞させる 。
【特記事項 / Secret Note】
・代償
本能力は、空中戦を展開するアルカナフレアへの対抗手段として、魔人が『刹那の黒真珠』に願ったことで顕現した。
黒真珠は魔人の心から「人間であった頃の記憶」を汲み上げ、かつて彼女が自らの髪に対して抱いていた強烈な執着や情愛を核として、この異能を編み上げている。
しかし、能力の行使は残酷な代償を伴う。
「黒髪」を使い続ける限り、彼女の深層にある「髪に関する大切な記憶」は劣化と変質を続け、やがては自分がなぜこれほどまでに髪に執着していたのかという理由さえも、歪んだ呪いへと書き換えられていくことになる。
Tags: #這い寄る黒髪 #黒い鳥籠 #絶体絶命 #ウネウネ動く髪 #魔人はグルメ




