第09話 人間の社会
図書館で澪に見つかってから、二日が経っていた。
澪は現れなかった。
代わりに、俺の両親が来た。
――わがまま言わずに、早く救済を受けろ!
――母さんを泣かせるんじゃない!
父はいつもと変わらず、叱りつけるように迫ってきた。
――おねがい、わがまま言わないで救済を受けて。
母は普段は見せない泣き顔で迫ってきた。
なんとか振り切って逃げたものの、普通に話しかけてくる両親には心が揺れた……
両親からの接触はその1度だけだった。
諦めたのか討伐隊に襲われたのか、それを確かめる術もなく、警戒を解くことができず疲労はピークに達していた。
「おにいちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だ」
この2日間、ゾンビたちの理性はどんどん消えていっているようだった。
それは時間経過によるものなのか、討伐隊によるものなのかそれは分からない。
ただ、初期はこちらを気にする素振りもなかったゾンビが多かったのに、昨日は知らないゾンビに襲われる回数が増えたように感じた。
「それより腹減ったな」
俺たちは、仮の拠点としていた倉庫を抜けて、スーパーへと向かった。
人が管理できなくてもAIによる生産、搬入は続けられており、毎日新たな商品が搬入され続けていた。
そのお陰で、食料を巡る暴動などが起きてないのは救いなのか皮肉なのか。
「スーパーは危ない。コンビニにしようよ」
新しい商品が搬入される。
つまりは人もゾンビも食料や生活用品を求めてそこに集まってくるため、争いが起きやすい危険な場所だった。
「近場のコンビニは店員がゾンビだったから、さすがに厳しくないか?それならまだスーパーの方がやりやすいと思うけど」
「そうだけど……」
「食料以外にも色々確保しておきたいものもあるしな」
そこまで言って、ようやく莉緒も納得したようで、黙って後ろについてきた。
街の様子は酷いものだった。
至る所に血の跡が残されており、救済と繰り返しながら動けずにいるゾンビが転がっている。
民家の窓は破られその中からも救済という言葉が漏れてくる。
最初の頃は吐き気を催していた光景にもいい加減慣れてきて動じることは少なくなっていた。
スーパーに着くと入口にはバリケードが張られていた。
スーパーの周りは車で固められ有刺鉄線が巻き付けられている。
入口は商品棚などで固められ、唯一出入りができるであろう人一人分程度の隙間は、厳重に鎖で封鎖されている。
「おにいちゃん、これって……」
「籠城って、やつか?問題これをやったのが人間かゾンビか……だよな」
壊れていないゾンビなら、普通の人間と同じように考える。
俺たちはそれを、もう嫌というほど見ていた。
討伐隊から逃げるために籠城していてもおかしくはない。
入口に近づくと、内側から男の声が飛んできた。
「止まれ!それ以上近づくな!」
声と同時に、バリケードの向こうで誰かがこちらを見ているのが分かった。
そちらを見ると、俺たちと同年代くらいの金髪の男の顔があった。
「噛まれてません。食料と休める場所を探してるだけです」
「んな言葉信じれるわけねーだろ。袖をまくれ、首も見せろ、話はそれからだ」
男は戸を少しだけ開け、隙間からこちらを睨んだ。
俺は言われるまま袖をまくり、首筋も見せた。
莉緒も少し遅れて同じようにする。
男は俺たちの腕と首を確認し、それでもすぐには戸を開けなかった。
背後にいる別の誰かと短く相談し、ようやく鎖がはずされる。
男たちが人間なのか、俺たちはそれを確認していない。
改めて警戒しなおし、出てくる男を見つめる。
「大丈夫、俺たちは人間だ」
俺たちが警戒していることに気づいたのか腕と首筋を見せながら近づいてくる。
「とりあえず、中に入れ。外で騒がれても迷惑だ」
男に連れられて建物の中に入る。
スーパーの中は独特のひんやりとした空気に包まれていた。
外の荒れ方とは違い商品は綺麗に陳列され、清掃ロボットが床を磨きながら通路を巡回している。
外での出来事を忘れそうになるほど、これまで通りの空間がそこにはあった。
「搬入されんのはありがてーけど、腐っちまうからな。とりあえず、肉、魚、野菜は好きにしていい。奥に行けば料理もできっから適当に焼いて食っとけ」
「水とか缶詰は?」
俺が聞くと、男は鼻で笑った。
「それはこっちで管理してる。長持ちするもんを好きに持ってかせるわけねぇだろ。まぁ、水道水くらいは好きに飲めよ」
優しさではなく、あくまでも管理の都合なんだろうが、こちらとしてはありがたい。
男に礼を言って精肉コーナーを漁る。
「私作るよ」
「あぁ、助かるよ」
かき集めた食材を手に莉緒が料理を始める。
俺はただその様子を眺めていた。
――――――――――――――――――――
久しぶりに満腹まで料理を貪り、しばらくの休憩していると、男に呼び出された。
呼び出された先には俺たちと同じように避難してきたのであろう人たちがいた。
その様子は、"被支配者"という言葉が当てはまりそうなほど、男たちに怯えているようだ。
「お前らはだれかに追われてるか?」
正直に答えるべきか迷った。
昨日から澪も両親も現れていない。
ただ、今後も現れない保証はどこにもなかった。
「俺の両親と彼女、あとこの子の両親もまだ見てないけど多分……」
「5匹かよ、めんどくせぇ」
匹……
その数え方に嫌悪を覚えながらも、ゾンビと呼称してる自分が言えたことじゃないと納得させる。
「まぁ、いいや。そいつらは俺たちが殺してきてやる。その後もここに居たきゃいればいい。そのかわり……」
そこで言葉を区切りこちらを見る。
いや、正確には視線は莉緒に注がれている、男の取り巻きらしい連中の視線も俺ではなく莉緒に注がれる。
「ここに残るなら、ルールには従ってもらう。男は見張りと荷運び。女は中の仕事だ。何をさせるかは、こっちで決める」
莉緒を差し出せ。
そう言いたいのだろう。
庇護されているであろう人達の中に若い女性が見当たらないのは、きっとそういうことなのだろう。
「断ると言ったら?」
「放り出すとでも言うと思うか?」
男は笑いながらそう言ったが、目は笑っていない。
お前は殺す。
女は奪う。
言葉にされなくても、その目が語っていた。
莉緒が俺の袖を掴んだ。指先が震えている。
けれど、その震え方は、ゾンビを前にした時のものとは少し違っていた。
恐怖だけではない。
怒りと、屈辱と、自分が値踏みされていることへの嫌悪が混ざっている。
「……ふざけんな」
自分でも驚くくらい低い声が出た。男は少しだけ眉を上げ、それから面白そうに口の端を上げた。
「ふざけてねぇよ、こっちは食わせてやるって言ってんだ。寝る場所もある。外で五匹に追われながら死ぬより、ずっとましだろ」
周りにいた男たちが笑った。
その笑い声に、奥で座っていた避難者たちの肩が小さく跳ねる。
誰もこちらを見ない、見たら自分にも何かが回ってくると知っているのだろう。
「この子に手を出すなら、俺たちは出ていく」
「出ていく?」
男は、ゆっくりと俺の手元を見た。鉄パイプ、木の棒、それから、莉緒の顔。
「出ていけると思ってんのか?」
その瞬間、背後で金属の擦れる音がした。
入口の方にいた男が、バリケードの鎖を戻している。
スーパーの中の冷気が、急に肌へ張りついたように感じた。
俺は莉緒を背中に庇いながら、出口までの距離を測る。
正面に三人、入口に一人。
棚の向こうにも足音があり、ここで正面からやり合って勝てるわけがない。
「おにいちゃん」
莉緒が小さく呼んだ。
その声には、逃げようという意味が込められていた。俺も分かっているけど、どう逃げればいいのかが分からない。
男が一歩近づいた。
「なあ、勘違いすんなよ。人が増えればその分リスクも増えるんだ。その子も外で化け物に噛まれるよりはましだろ?ここにいりゃ飯も水も寝る場所だってある。それに、守ってやる」
守ってやる。
その言葉が、吐き気がするほど軽かった。
「守るって言葉、便利だな」
俺が言うと、男の顔から少しだけ笑みが消えた。
「なんだと?」
「支配することを、守るって言い換えれば綺麗に見えるもんな」
言い終わる前に、横から来た男が俺の腹を蹴った。息が詰まり、視界が白くなる。
膝が折れかけたところで、莉緒が俺の腕を掴んだ。
「おにいちゃん!」
その声に、男たちの視線がまた莉緒へ向く。
俺は咳き込みながら鉄パイプを握り直した。
腹が痛い。
まともに呼吸ができない。
それでも、莉緒の前から退くわけにはいかなかった。
「いい声出すじゃん」
誰かが言った。
莉緒が木の棒を構えたが、その構えはぎこちない。
でも、目は逸らさず真っ直ぐに相手を睨みつけていた。
「来ないで」
震える莉緒の声を聞いて、男たちはまた笑う。
その笑い声が通路に広がった時、外から何かが聞こえた。
最初は、車体を叩くような小さな音だった。
誰かが名前を呼んでいる声がした。
「……拓也」
金髪の男の顔がわずかに動いた。
――拓也。
たぶん、それがこの男の名前なのだろう。
外から、もう一度声がした。
「拓也、いるんでしょ。お母さんだよ。開けて」
空気が変わった。男たちの笑いが止まる。
入口の近くにいた男が、舌打ちをした。
「また来やがった、無視しろ」
金髪の男はそう言ったが、声が少しだけ硬かった。外の声は穏やかだった。泣いているようにも聞こえる。
怒ってはいない。ただ、息子を探す母親の声だった。
「拓也。もう痛くないよ。お父さんも待ってる。一緒に行こう」
莉緒の手が俺の服を掴んだ。俺も、さっきまで目の前にいた男たちのことを一瞬忘れそうになった。
外にいるのは、あの男の母親なのだ。
そう思った瞬間、男の顔が少しだけ違って見えた。
「聞くな」
金髪の男は、自分に言い聞かせるように言った。
「おい、裏から回って追い払え!」
「無理だ!他にも寄ってきてる」
別の男が低く答えた。
その声には焦りが混じっている。
外からまた別の声がした。
「淳いるんでしょ」
「隆一こんなことしてないで帰るぞ」
最初は1つだけだった声が、少しずつ増え、いくつもの声がスーパーの外に集まり始めていた。
ここにいる誰かの名前を呼んでいる。
親、恋人、友人、兄弟。
それぞれが、内側にいる誰かへ向けて声を伸ばしている。
人が集まればその人を救済するために、あいつらも集まってくる。
リスクが増えると、金髪の男が言っていたことは本当だった。
「黙れ……」
金髪の男が呟いた。さっきまで莉緒を値踏みしていた男と同じ人間とは思えないほど、その声は幼く聞こえた。
「おにいちゃん今のうち」
男たちの視線はこちらから外れて外に向かっていた。
たしかに、逃げるなら今しかないだろう。
「表は無理だ。搬入口に回ろう」
物資が搬入されてるということは、表のバリケードより大きな出入口があるはず。
そう思い、莉緒の手を掴み駆け出す。
棚の間へ走る。背後で誰かが気づいた。
「おい、逃がすな!」
俺は飲料棚の角を曲がり、莉緒を引きながら奥へ向かった。通路は広いが、商品棚が視界を遮ってくれる。
清掃ロボットに足を取られかけた俺を、莉緒が支えた。
今度は俺が助けられていた。
「こっち!」
莉緒が指差した先に、従業員用の扉があった。バックヤード。金属製の扉は半開きになっている。俺たちはそこへ飛び込んだ。
背後から足音が迫る。
「奥だ!」「捕まえろ!」
バックヤードには段ボールとコンテナが積まれていた。
冷蔵庫の唸る音。
搬入口のシャッター。
天井の蛍光灯が白くちらついている。
俺は出口を探す。
従業員用通路の奥に、搬入口の非常口らしい扉が見えた。
走り出そうとした瞬間、横から男が飛び出してきた。俺は咄嗟に鉄パイプを振った。
当たったのは肩だったが、男が呻いて倒れる。
骨を折った感触はない。
それでも、人間を殴った感触だった。
「おにいちゃん!」
「莉緒!非常ドアを開けてこい!」
莉緒が叫ぶ。前からは別の男が向かってくる。
俺は鉄パイプを構えたが腹の痛みで踏み込めない。
男が手を伸ばしたところで、莉緒が木の棒を振った。
棒は男の手首に当たり、乾いた音がした。
「っ……!」
男が怯む。莉緒は泣きそうな顔のまま、もう一度棒を構えた。
「来ないで!」
その声は、さっき男たちに向けた時よりも強かった。
俺はその隙に莉緒を引き非常口へ向かう。
扉の前まで来た時、外側から何かがぶつかった。
一瞬、体が止まる。外にいる。誰かが、扉の向こうにいる。
「開けて」
女の声だった。知らない声だ。けれど、その声はすぐ近くにいる人間へ向けたものではなく、どこか別の誰かを探しているようだった。
「開けて!拓也、いるんでしょ!」
莉緒が息を呑む。追ってきた男たちも止まった。
拓也、リーダー格の男の母親が裏口に回ってきたのだろう。
「かあさん……」
「お前の母親なんだろ。なら、お前が止めてみろ!」
言った瞬間、自分でも最低だと思った。
それでも、俺は非常口のロックに手をかけた。
普通の格好をした、普通の女性だった。
血まみれでもなく、頭が潰れているわけでもない。
ただ腕と首筋に痕があるだけで、人間と何も変わらなかった。
"殺してきてやる"そう言った男も自分の親には手をかけられなかったらしい。
「拓也!楽園に行きましょう!」
女性は俺たちには目もくれず男に駆け寄って行った。
「莉緒、今のうちに」
男たちが動揺している隙に外に出る。
外には数人のゾンビがいた、狙われたら逃げるのは難しいだろう。
幸い、コンビニの店員のように壊れた個体はいなかった。
どれも誰かの名前を呼びながら、スーパーの方を見ている。
「あなた達の家族は中にいます!早く行かないと逃げられますよ!」
そう告げると俺たちのことなんてどうでもいいとでも言わんばかりにスーパーに駆け込んでいく。
「おにいちゃん……」
莉緒が責めるような顔でこちらを見ている
「……分かってる」
俺は自分のために、他の人間を犠牲にした。
莉緒のためだなんて、口が裂けても言えなかった。
「私も背負うから」
その一言が、かえって俺の胸を重くした。
*
あとがき
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