第16話 告白
闇の中に一人でいると、どうしても色々なことを考えてしまう。
家族との思い出。
お姉ちゃんとの思い出。
おにいちゃんに守られたこと。
それから、お姉ちゃんと笑い合うおにいちゃんの顔。
胸の奥が、ちくりと痛む。
うるさい。
分かってる。
急に闇が怖くなり、手を伸ばしかけた。
でも、そこにおにいちゃんはいない。
約束したのに。
絶対だと言ったのに。
心の中で責める声が出かかって、すぐに押し殺した。
来られない理由があるのかもしれない。
追われているのかもしれない。
私を逃がすために、別の場所へ向かったのかもしれない。
しばらく待って、待ちきれなくなった私は、恐る恐る扉から外を見た。
いつ誰が来るか分からない恐怖に、一人では耐えられなかった。
遠くからは救済を勧める声が聞こえてくる。
逆にそれが、近くにはいないことを教えてくれているようで、少しだけおかしかった。
空が白み始めてきた頃、角を曲がっておにいちゃんが現れた。
色んなところに傷が増えている。
泥だらけになって、疲れ果てている。
でも、首筋に黒い痕はない。
人間のまま戻ってきてくれた。
私は思わず建物から飛び出した。
走るなと自分に言い聞かせても、足が勝手に動いた。
おにいちゃんもこちらへ来ようとして、お腹を押さえて少しよろける。
その動きを見て、私は途中で止まりかけた。
でも止まれなかった。
「悠真!」
そのままの勢いで、おにいちゃんの胸に飛び込む。
生きててくれた。
約束を守ってくれた。
それだけで、涙が止まらず前が見えなくなる。
「悠真遅い!もう来ないのかと思った!悠真までいなくなったんじゃって、私怖くて!」
口からは、整理できない言葉が吐き出され続ける。
抱きついた私をどうすればいいのか分からないのか、おにいちゃんは固まったままだった。
そんなことは気にせず、さらに強く抱きつく。
観念したように、優しく頭が撫でられた。
「莉緒、そろそろ離れてくれないか」
「やだ」
「お願いだから」
困ったように言いながらも、無理やり引き剥がすようなことはせずに、私の好きなようにさせてくれる。
その困ったような声と、その優しさに、さらに涙が止まらなくなった。
「悠真、もう無理。私、悠真のことが好き。多分、ずっとずっと前から悠真のことが好きだった」
隠していた思い。
伝えてはいけない思い。
それなのに、言葉はもう戻せなかった。
「り……お……?だめ……よ?」
振り返ると、そこにはお姉ちゃんがいた。
聞かれた。
聞かれてしまった。
最悪のタイミングだった。
「逃げるぞ!」
悠真が私の手を掴む。
言ってしまったからだろうか。
こんな時なのに胸が跳ねた。
走りながら後ろを振り返ると、お姉ちゃんは追いかけてきていなかった。
そして、その瞳には涙が浮かんでいた。
*
SIDE:悠真
澪が追ってきていないことを確認した俺たちは、近くのコンビニに飛び込んで休むことにした。
冷えた飲み物と弁当を取り、メモを残したあとバックヤードに隠れる。
この状況で、そう笑われるかもしれない。
でも、この一線は超えてはいけない気がした。
「大丈夫か?」
「悠真こそ」
いつの間にか呼び方が変わっていることには、気づかないふりをして話を続ける。
どことなく距離がいつもより近いことも、気づかないふりをした方がいいのだと思う。
「どこか怪我は」
「ないよ、お父さんに会ったけど、ちゃんと逃げた。ちゃんと殴らないで逃げたよ」
父親。
あの時、俺は自分の父親に何もできなかった。
それを莉緒に助けられたというのに。
自分が情けなくて仕方がない。
――ちゃんと澪のことも守ってね。
最初の日、まだまともだった澪に言われた言葉を思い出す。
「どうして、こんなに遅かったの?」
莉緒と離れてから合流するまでに、数時間かかってしまった。
なかなかゾンビたちを撒けなかったことや、途中で隠れて休んだことなど、理由はいくらでもあった。
それでも、寂しい思いをさせたのは事実だった。
「ごめんな。あいつらしつこくて、撒くのに時間がかかっちまった。しかも澪のことは撒けてなかったみたいだし」
「謝らなくていい。来てくれただけでいい。ただ、危ないことしてなかったか気になっただけ」
そう言いながら、小さな手が俺の手に重なる。
「ねえ、少しだけ聞いてほしい」
「あとじゃダメか?」
莉緒が言いたいことは分かっている。
この期に及んで逃げている俺を責めてもいい。
それでも、聞いてしまえば何かが変わる気がして、聞くことが怖かった。
「さっき、私、お父さんに会った」
「うん」
「お父さん、私のこと覚えてた。ちゃんと名前を呼んで、怖がらなくていいって言った。お姉ちゃんも待ってるって。たぶん、本当に私を助けようとしてた」
莉緒の手はさらに強く、俺の手を握りしめる。
その手は震えていて、まずいとは思いながらも離すことはできなかった。
「でも、行けなかった。お父さんが嫌いだからじゃない。なんでかって考えたら悠真の顔が浮かんだ」
莉緒はもう止まれないのだろう。
もう逃げない。
小さく呟くような声なのに、その決心だけは感じることができた。
莉緒に対して俺を取られたと思っていた澪を思い出す。
確かにあんな澪は俺も知らない。
「昔から、おにいちゃんみたいって言えば、何でも片づくと思ってた。でもやっぱりダメだった」
そこまで言って、莉緒は言葉を区切った。
こちらを見つめ、重ねていた手に少しだけ力を込める。
「別に返事がほしいわけじゃない。今言われても、困るのも分かってる。悠真がお姉ちゃんのことを思ってるのも分かってる」
莉緒が立ち上がって、正面からこちらを向く。
俺も立ち上がって莉緒を見つめた。
身体中泥だらけで、小さな傷もたくさんあって。
こんなに小さな体で、必死にここまで生き延びてきた。
莉緒がいたから、俺もここまで生き延びることができた。
莉緒のために頑張った。
それは間違いようもない事実だった。
「悠真はお姉ちゃんが死んだって言った。倉庫でのお姉ちゃんを見て、私の知ってるお姉ちゃんは死んだんだって思った。」
莉緒に敵意を向けていた澪を思い出す。
元の澪なら絶対にしない顔だった。
「だから、もう伝えてもいいよね?」
少しの沈黙。
こちらを見ている目が一瞬だけ泳ぎ、そのあとしっかりと見つめ直してくる。
重ねられた手のひらに力がこもる。
「悠真のことが好きです」
聞かなかったことにはできない、二度目の告白。
――澪はもう死んだ。
――楽になれ。
――もう諦めろ。
――莉緒を泣かすな。
俺の中の誰かがそんなことを呟いている。
それでも、莉緒の顔を見ると、そこに澪の面影を探している自分がいる。
「今、私を見ながら悠真が何を考えてるのかは分かってる。だって、ずっと好きだったんだから。だから答えはいらない。分かってるから言わないでほしい。聞いたら多分、動けなくなるから」
俺は何も言えなかった。
答えを求められていないから。
そう言い訳して沈黙を守る自分のことを、鉄パイプで殴り飛ばしたくなってくる。
長い沈黙が落ちた。
莉緒は何も言わない。
俺も何も言えない。
言葉を整理しても、どうやっても莉緒を傷つける。
受け入れろと自分に言い聞かせても、それすら莉緒を傷つけると思うと口に出せない。
「全部終わったら。そしたら、答え聞かせて」
全部。
この終わりの見えない地獄に、終わる日なんて来るんだろうか。
それは、終わらないことが分かっている莉緒からの助け舟だったんだろうか。
俺はそれに乗ることしかできなかった。
「分かった。それまでは絶対に守るから」
「ほんと、悠真ってずるいよね。」
それが何を指しているのかすら分からない。
そんな俺を、莉緒は大事なものを見るように見つめていた。
「いつか終わる日が来るって信じよう。私もちゃんとお姉ちゃんとの決着をつけるから。それまでは、ずっと一緒だよ」
そう言った莉緒の笑顔は、泣きそうなくらい頼りなかった。
それでも、決意を秘めた顔でこちらを見ていた。
*
あとがき
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