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魔族少女の人生譚  作者: 月餅
第一章 すべての始まり
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第八話 エリヌという人

 柔らかな声音だった。


 まるで昔から知っている相手へ話しかけるみたいな、妙に自然な口調。

 けれど、その瞬間に感じた違和感を、私はうまく言葉にできなかった。


 ――お話は色々聞いていますよ。


 普通の挨拶のはずなのに、何故だろう。

 まるでずっと前からこちらを知っていたみたいに聞こえた。


「……はじめまして」


 少し遅れてそう返すと、エリヌは満足そうに微笑む。

 その仕草一つ一つが妙に洗練されていた。気品がある、と言えば近いのかもしれない。けれど貴族特有の鼻につく感じとは違う。

 もっと自然だった。

 呼吸するみたいに、人を安心させる空気を纏っている。


 だからこそ逆に怖い。


 私は無意識に、握っていた黒い羽根へ力を込めていた。

 するとエリヌの視線が、ほんの一瞬だけそこへ落ちる。


 本当に、一瞬だった。


 けれどその翠の瞳が微かに細められたのを、私は見逃さなかった。


「……その羽根」


 静かな声。


 私は反射的に肩を強張らせる。

 だがエリヌはそれ以上すぐには踏み込まず、代わりに小さく首を傾げた。


「綺麗ですね」


「……え?」


「黒曜石みたい。光の当たり方で少し青く見えるのですね」


 予想外の言葉だった。

 もっとこう、“それをどこで拾ったのか”とか、“触るな”とか、そういう話になると思っていた。

 けれどエリヌは、本当にただ感想を口にしただけみたいな顔をしている。


 私は戸惑ったまま羽根を見下ろした。

 確かに朝日を受けた羽根は、角度によって僅かに青黒く光って見えた。


「……お前な」


 そこでカロナ先生が低く口を開く。


「来て早々、妙な探りを入れるな」


「あら」


 エリヌは小さく笑った。


「先生、昔より過保護になりました?」


「昔からだ」


「そうでしたね」


 軽いやり取りだった。

 だが、その空気には妙な慣れがあった。


 私は二人を交互に見る。

 確かに師弟なのだろう。

 会話の端々から、それが伝わってくる。


 けれど同時に、単なる仲の良い師弟とも違った。

 長い時間を経た者同士特有の、簡単には言葉にできない距離感がある。

 信頼もある。

 警戒もある。

 たぶん、その両方だ。


 エリヌは部屋の中央まで歩いてくると、そこでふと足を止めた。


「昨日は大変でしたね」


 その言葉に、胸の奥が僅かに強張る。


「訓練棟の件、私も聞いています」


「……」


「怖かったでしょう」


 あまりにも自然にそう言われて、逆に返事ができなかった。


 怖かった。


 もちろんそうだ。

 自分の力が制御できなかったことも。

 周囲の視線も。

 カルラを傷つけたことも。


 全部、怖かった。


 けれど。

 何故だろう。

 エリヌにそう言われると、まるで全部見透かされているみたいで落ち着かなかった。


「……それを言いに来たのか?」


 カロナ先生の声が少し硬くなる。

 エリヌは振り返り、小さく肩を竦めた。


「まさか。私、そこまで暇じゃありませんよ」


「信用ならんな」


「酷いですねぇ」


 口調は軽い。

 けれど、その翠の瞳だけは少しも隙を見せていなかった。


 エリヌは再び私へ向き直る。


「単刀直入に言いますね、ウィディナさん」


 その瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。


 さっきまでの柔らかい空気が、静かに研ぎ澄まされる。

 私は無意識に息を呑む。


「貴女、今の自分の魔力に違和感がありますね?」


「――っ」


 心臓が強く脈打った。


 私は思わずエリヌを見る。

 彼女は穏やかな笑みを浮かべたままだった。


「昨日より静かでしょう?」


「……なんで」


 掠れた声が落ちる。


 それは誰にも言っていない。

 カルラにも。

 先生にも。


 けれど確かに、今の私の魔力は異様なくらい安定していた。

 昨日の暴走が嘘みたいに。


 エリヌはそんな私を見つめながら、静かに言った。


「魔力というのは、時々“馴染む”んです」


「馴染む……?」


「はい。急激な変化のあと、逆に落ち着くことがある。特に、大きな器を持つ人ほど」


 その言葉に、カロナ先生の眉が僅かに寄る。


「……お前、何を知っている」


「先生は疑い深いですね」


「お前相手なら当然だ」


 エリヌは小さく笑う。

 けれど否定はしなかった。


 その反応を見た瞬間、胸の奥がざわつく。


 この人は知っている。


 昨日、私に何が起きたのか。

 あるいは、これから何が起きるのか。


 全部ではないにせよ、少なくとも私たちより遥かに多くを。


 そんな確信めいた感覚があった。


 エリヌはゆっくりと窓際へ歩き、朝の景色を眺める。

 陽光が黒髪へ落ち、その輪郭を淡く縁取っていた。


「学園は今、とても慌ただしいのですよ」


 穏やかな声だった。


「軍部は貴女を危険視している。教師陣は判断を迷っている。生徒たちは怯えながらも噂を広げ続けている」


 まるで、その場を見てきたみたいな口調だった。


「でも面白いですね」


 エリヌが小さく笑う。


「そんな状況でも、貴女は序列戦へ出たいと思っている」


 私は目を見開いた。


「……なんで、それも」


「顔を見れば分かります」


 さらりと言われる。

 けれどその声音には、冗談とも本気ともつかない妙な響きがあった。


 エリヌはそこでこちらを振り返る。


「ウィディナさん」


 翠の瞳が真っ直ぐこちらを見る。


「強くなりたいですか?」


 その問いは、不思議なくらい静かに胸へ落ちた。


 強くなりたい。


 そんなの、ずっと前から決まっている。


 カルラに勝ちたい。

 誰かに憧れられる存在になりたい。

 自分の力で前へ進みたい。


 それは昔から変わらない。


 けれど今、その言葉は別の意味も帯び始めていた。

 昨日、自分の中で目を覚ました“何か”。

 あれを理解しなければ、私はきっとまた誰かを傷つける。


 だから、


「……なりたいです」


 気づけば、そう答えていた。


 エリヌはそれを聞くと、ほんの少しだけ目を細めた。


 その笑みは優しかった。

 けれど同時に、どこか安堵したようにも見えた。


 まるで。


 ――ようやくここまで来た、とでも思っているみたいに。


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