第七話 出会う
先生のその反応を見た瞬間、自分でも不思議なくらい胸の奥が静かになっていくのを感じた。
昨日までの私は、ただ混乱していた。
何が起きているのか分からず、怖くて、逃げたくて、それでも頭のどこかでは全部夢であってほしいと思っていた。
けれど今は違う。
分からないままでも、前へ進かなきゃいけない。
そんな感覚だけが、不思議なほどはっきりしていた。
先生は椅子へ腰掛けたまま、じっとこちらを見ている。その視線には呆れも混じっていたが、それ以上に、何かを測るような静けさがあった。
「……昨日あんなことがあった直後だぞ」
「分かってます」
「軍部はお前を危険視している」
「それも分かってます」
「下手をすれば、お前自身がまた制御を失う可能性もある」
そこまで言われると、流石に言葉が詰まった。
否定できなかった。
実際、昨日の私は自分を止められなかったのだから。
けれど。
「それでも出たいんです」
声は思ったより落ち着いていた。
「……逃げたくない」
その言葉を聞いた瞬間、先生の目がほんの少しだけ細められた。
窓の外では、朝の光がゆっくりと強くなり始めていた。訓練場の方からは木剣のぶつかり合う音が聞こえる。きっともう、自主練を始めている生徒たちがいるのだろう。
いつも通りの朝だった。
昨日、あれだけの騒ぎがあったのに、それでも世界は止まらない。
学園は動き続ける。
人も、時間も、何事もなかったみたいに。
だからこそ、ここで自分だけ立ち止まってしまったら、本当に置いていかれる気がした。
先生は長く息を吐いたあと、ゆっくり立ち上がった。
「……学園長には伝えておく」
「!」
「ただし条件付きだ」
私は反射的に背筋を伸ばす。
「今日一日は単独行動禁止。基本誰かの監視がついていると思え」
「子供扱い……」
「昨日訓練棟を吹き飛ばしかけた奴が何を言う」
「うっ」
「あと、少しでも異常を感じたらすぐ申告しろ。頭痛でも、耳鳴りでも、魔力の違和感でも何でもだ。隠すな」
その声音には、有無を言わせない強さがあった。
私は小さく頷く。
「……はい」
「よし」
先生はそこでようやく少しだけ表情を緩めた。
けれど、その直後だった。
こんこん、と。
再び扉が叩かれる。
今度は静かなノックだった。
けれど不思議と、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
先生の表情が変わった。
「……来たか」
低く呟かれた声。
私は無意識に息を止める。
先生は数秒だけ扉を見つめ、それから小さく舌打ちした。
「入れ」
扉が開く。
最初に見えたのは、深い翠色だった。
艶のある長衣。
そこへ繊細な銀糸の刺繍が走っている。派手ではない。だが、一目で分かるほど質が違った。
静かな足音と共に部屋へ入ってきた女は、朝の光を背負うみたいにそこへ立つ。
長く整えられ、水のように流れる青い髪。
陶器のような白い肌。
そして、宝石みたいな翠の瞳。
若く見える。
けれど同時に、妙に年齢不詳な空気がある。
部屋へ入った瞬間、空気そのものが静まった気がした。
「朝からごめんなさい、先生」
柔らかな声だった。
耳に心地いいのに、不思議と印象に残る声。
女――エリヌ・フォン・スルナは、にこりと微笑んだ。
「学園長との話が長引いてしまって」
「……お前が来ると毎回面倒事になるな」
「あら酷い」
そう言いながらも、エリヌはまったく気分を害した様子を見せない。
むしろ少し楽しそうですらあった。
私は思わずその姿を見つめていた。
四天王。
魔王軍最高戦力。
もっと威圧感のある存在を想像していた。
近づくだけで震え上がるような、そんな怪物じみた何かを。
けれど目の前にいる女から感じるのは、むしろ静けさだった。
静かで。
穏やかで。
だからこそ、逆に底が見えない。
エリヌの視線が、ゆっくりこちらへ向く。
その瞬間、胸の奥が、どくり、と脈打った。
理由は分からない。
威圧された訳でもない。
殺気を向けられた訳でもない。
なのに、本能みたいな何かが小さく警鐘を鳴らした。
――この人は危険だ、と。
エリヌはそんな私を見つめたあと、ふ、と柔らかく笑った。
「初めまして、ウィディナさん」
その声は、驚くほど優しかった。
「お話は色々聞いていますよ」




