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魔族少女の人生譚  作者: 月餅
第一章 すべての始まり
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第二話 異変

 授業終了の号令がかかると同時に、教室の空気は堰を切ったように騒がしくなった。

 序列戦。

 たったそれだけの話題で、皆の目の色は変わる。

 去年何位だっただとか、誰と当たりたくないだとか、今年の優勝候補は誰だとか。あちこちで飛び交う声は、春の熱気みたいに教室中を満たしていた。

 私はそんな喧騒の中で、机へぐったりと突っ伏す。


「はぁ……」


「何よ、その死にそうな声」


 隣から呆れた声が降ってきた。

 顔だけ上げると、カルラが鞄を肩に掛けながらこちらを見下ろしている。窓から差し込む陽射しが深紅の髪に落ちて、やけにきらきらして見えた。

 昔から思うけど、こいつは妙に絵になる。

 腹立つくらいに。


「だってさぁ……」


 私は頬を机へ押しつけたまま唇を尖らせる。


「なんでみんな当然みたいにカルラが勝つ前提なの?」


「当然だからじゃない?」


 即答だった。


「言ったなあ!?」


 勢いよく顔を上げると、カルラは堪えきれないように笑った。

 その笑い方すら余裕たっぷりで、余計に悔しい。

 去年の決勝を思い出す。

 あと少しだった。

 本当に、あと少し。

 最後の一撃さえ通っていれば、勝っていたのは私だったはずなのに。


「今年は勝つから」


「毎年聞いてる気がするわ、その台詞」


「今年は本気だから」


「去年も言ってた」


「…………」


 言い返せなかった。

 後ろの席から吹き出す声が聞こえる。


「お、誰今笑ったの――」


 不意に視線を感じた。

ぞ、と背筋が粟立つ。


「……?」


 反射的に顔を上げる。

 窓の外では春風が白いカーテンを揺らしていた。その向こうには、魔境の深い森と山脈がどこまでも広がっている。


 見慣れた景色。

 なのに今だけ、何かがおかしかった。

 誰かに見られている。

 そんな感覚だけが、妙に生々しく肌へ張り付いている。


「ウィディナ?」


 はっ、とカルラの声で我に返った。


「あ、いや……なんでもない」


 気のせいだ。

 そう自分へ言い聞かせながら席を立つ。

 けれど教室を出る直前、私はもう一度だけ振り返っていた。

 誰もいない窓際。

 揺れるカーテン。

 だけど、一枚。

 黒い羽のようなものが、風に乗って消えた気がした。




   ◇




 高等部訓練棟は、半ば闘技場のような造りをしている。

 円形の石床。

 幾重にも刻まれた防護術式。

 周囲を囲む観覧席。

 魔法を撃ち合うことを前提に設計された空間は、普通の校舎とは空気そのものが違っていた。

 訓練棟へ足を踏み入れた瞬間、生徒たちの纏う熱が変わる。

 序列戦を目前に控えた今なら、なおさらだった。


「今日は基礎測定だ」


 中央へ立ったカロナ先生が、手帳を片手に周囲を見回す。


「魔力量、出力、制御精度。序列戦前最後の確認だな。怪我だけはするなよ」


 ぞろぞろと生徒たちが動き始める。


「じゃあ始めるぞ。前から順番に」


 名前を呼ばれた生徒が、次々と中央へ出ていく。


 火球。

 氷槍。

 雷撃。


 色とりどりの魔法が石床を穿つたび、床下の術式が淡く発光した。


 歓声。

 ため息。

 舌打ち。


 序列戦前の空気は独特だ。

 皆、普段より少しだけ本気になる。

 少しでも上へ行きたいから。

 少しでも強いと思われたいから。


「次、カルラ」


「はい」


 静かな返事。

 カルラが前へ出るだけで、周囲の空気が少し変わった。


 期待。

 羨望。

 諦め。


 そんな感情が入り混じった視線。

 カルラは気負った様子もなく右手を掲げる。


 瞬間、紅蓮が咲いた。

 爆ぜるような熱が訓練棟を駆け抜ける。

 鮮烈な赤だった。

 荒々しいだけの炎じゃない。

 緻密に制御され、極限まで圧縮された熱量。

 まるで意思を持っているみたいに、炎は一直線に標的だけを焼き切った。

 術式が強く明滅する。


 周囲がざわついた。


「また出力上がってないか……?」


「おいおい、マジかよ」


 カルラは小さく息を吐き、振り返る。

 その視線が、真っ直ぐこちらへ向いた。

 まるで挑発するみたいに。

 私は舌打ちを飲み込む。

 昔からそうだ。

 カルラはいつも一歩先を行く。


「次、ウィディナ」


 先生に名前を呼ばれる。

 ざわ、と空気が揺れた。


 期待半分。

 不安半分。


 そんな視線。

 私は軽く肩を回しながら中央へ出る。

 別に緊張はしていない。

 ただ、妙に胸の奥がざわついていた。

 さっきから消えない違和感。

 誰かに見られているような感覚。

 石床の中央へ立つ。

 右手を掲げる。

 魔力を練り上げた、その瞬間だった。


 ぞわり、と。


 背筋を冷たいものが撫でた。

 息が止まる。

 視界の端。

 観覧席の最上段に、誰かがいた。


 黒。

 長い黒髪。

 こちらを見下ろす、金色の瞳。


 知らない顔だった。

 少なくとも、高等部の生徒ではない。

 この学園にいる人間なら、大体は見覚えがある。狭いとは言わないが、序列戦前ともなれば強い生徒や目立つ上級生の顔くらい自然と頭へ入るからだ。

 けれど、あの女には見覚えがなかった。


 黒。

 ただ黒いだけじゃない。

 光を吸い込むみたいな、妙に深い色をした長髪。その隙間から覗く金色の瞳だけが、異様なほど鮮やかだった。


 ぞくり、と背筋が粟立つ。


 目が合った。

 その瞬間。


 ぶわり、と。


 全身の魔力が勝手にざわめいた。


「――っ」


 息が詰まる。

 魔力が、暴れている。

 まるで身体の奥で何かが目を覚ましたみたいに、制御が急激に不安定になる。

 まずい。

 そう思った時にはもう遅かった。


「ウィディナ!?」


 先生の声。


 次の瞬間、私の右腕から膨大な魔力が溢れ出した。

 溢れ出す魔力は風と共に魔法となり、意思に反して放たれる。


 轟音。

 白い閃光。

 空気が震え、訓練棟全体が揺れる。


 咄嗟に出力を逸らしたおかげで直撃は避けられたが、それでも放たれた魔力の奔流は石床を抉りながら壁面へ激突した。

 防護術式が耳障りな音を立てて明滅する。

 風は刃をまとい、吹き荒れた。


「きゃっ――!」


 悲鳴。

 砂煙。

 観覧席がざわめきに包まれる。

 私は荒く息を吐きながら、自分の右手を見下ろした。

 指先が小刻みに震えている。


 何、今の。

 こんなの、初めて――


「ウィディナ!!」


 鋭い声。


 顔を上げると、先生が険しい表情でこちらを見ていた。

 普段の軽薄そうな笑みは消えている。


「お前、今――」


 言いかけたその時。


「危なっ……!」


 誰かの声。

 防護術式へ流しきれなかった魔力や風刃が、訓練棟内部へ散っていた。

 吹き荒れる突風のように飛び散ったそれが、生徒たちの方へ向かっている。


 まずい。


 反射的に手を伸ばした。

 だが、その瞬間。

 視界の端に、深紅が映った。


「カルラ!?」


 カルラが術式を展開しながらこちらに向かっていた。

 その表情は、不安、焦り、心配。


 その表情を、見てしまった。


 次の瞬間、何かが切れた。

 どくん、と心臓が脈打つ。

 世界が歪む。


 駄目だ、と本能が叫んだ。

 近づかないで。

 そう思ったのに。

 身体が勝手に反応した。


 爆発的に膨れ上がった魔力が、拒絶するみたいに周囲へ弾け飛ぶ。


「っ――!?」


 カルラの目が見開かれる。

 直後、その身体が吹き飛んだ。

 赤い髪が宙を舞う。

 鈍い衝突音。

 観覧席の壁へ叩きつけられたカルラが、そのまま崩れ落ちた。


 一瞬。

 本当に、一瞬だけ。

 訓練棟から音が消えた。


 何が起きたのか、理解できなかった。

 いや、違う。

 理解したくなかった。


「……カル、ラ?」


 喉から掠れた声が落ちる。

 壁際に崩れたまま、カルラは動かない。

 赤い髪だけが、床へ流れるみたいに広がっていた。

 頭の奥が真っ白になる。


 違う。

 私は、そんなつもりじゃ――


「動くな、ウィディナ!!」


 怒声。

 瞬間、訓練棟の空気が張り詰めた。

 先生が前へ出ている。

 その周囲には、幾重もの魔法陣が展開されていた。


 防御術式。

 いや、違う。

 あれは拘束用だ。

 先生の藍色の瞳が、鋭くこちらを射抜いている。

 まるで危険生物でも見るような目だった。

 胸の奥が冷える。


「せ、先生……」


「その場を動くな」


 低い声だった。

 聞いたことがないほど硬い声。

 訓練棟のざわめきが徐々に戻ってくる。


「な、何だよ今の……」


「カルラが吹っ飛ばされた……?」


「おい、あれ暴走じゃ――」


 視線。

 無数の視線。

 さっきまで笑っていたクラスメイトたちが、今は違うものを見る目でこちらを見ていた。


 恐怖。

 困惑。

 警戒。


 胃の奥が気持ち悪くなる。


 違う。

 違うのに。

 私はただ――


「カルラ!」


 誰かが駆け寄る。

 遅れて、止まっていた時間が動き出したみたいだった。

 治癒術式の光が広がる。

 先生たちの声が飛び交う。

 けれど私だけが、世界から切り離されたみたいにそこへ立ち尽くしていた。


 呼吸が浅い。

 指先が震える。

 耳鳴りがする。


 どうして。

 なんで。

 なんであんなことになった。

 私はただ、魔法を撃とうとしただけで――


 不意に、ぞわりと背筋が粟立つ。

 はっと顔を上げる。

 観覧席の最上段。

 黒髪の女が、まだそこにいた。

 金色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ている。

 笑っているように見えた。

 次の瞬間。


 ぶつり、と。


 頭の奥で何かが切れたみたいに、激しい頭痛が走る。


「っ……ぁ……!」


 視界が揺れる。

 立っていられない。

 膝が崩れ落ちる。

 その瞬間だった。


『――まだ、駄目』


 声が聞こえた。

 耳元じゃない。

 頭の奥へ直接響くような声。

 知らない声。

 けれどどこか、不思議と懐かしい響きだった。


『ここで壊れては駄目』


「……え……?」


『逃げなさい』


 ぞわり、と空気が震える。


 その瞬間。


 訓練棟の窓ガラスが、一斉に砕け散った。

 轟音。

 吹き込む暴風。

 悲鳴。

 誰かが何か叫んでいる。

 けれどもう、何も聞き取れなかった。


 視界の奥。

 春の青空の下で。

 黒い羽が、一枚だけ舞っていた。


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