怠惰な駒
約束の日、アタイは再び瑞稀の家を訪れた。 アタイは一張羅のワンピースに身を包んでいた。
ーーすべては、瑞稀に好印象を見せるためだ。 おとなしい高校生という見た目にアタイの猫被りスキルの高さが伺える。
チャイムを鳴らし、応答があったので玄関のドアを開けて中に入る。
「倉石さん、材料は揃いましたか? はわわ、楽しみですね、お味噌汁……」
「ふふふ……」
「……倉石さん? なんじゃあコリャ!」
ーーアタイは絶句した。 台所には謎の残骸が広がっていた。
アタイは振り返った。 すると瑞稀は、目を輝かせながらアタイに言いやがった。
「スープを作ったんだ! 栄養満点だよ?」
ーーマジか。 アタイは、本気で頭を抱えた。
いや、待て。 よく考えろ! この少女は、母親が病む前は、母親に世話をされていた。 そしておそらく、家庭科の調理実習なども参加してない。
つまり、料理の経験がゼロなんだ。 こんな奴が、たった一人で、この家で生きてきたのか? 胸の奥が、また、ざわつく。 アタイは、舌打ちした。
「今度、アタイが美味しい料理を作ってあげますからね? ……その前に、家の掃除をしましょうか?」
「掃除……」
瑞稀は何か言いたげだったが、アタイは押し切って、その日は終わった。
◇◇◇
翌日、アタイはラフな服装で瑞稀の家にやってきた。 ジーンズにシャツというアタイの完全私服姿。
本当はこんな姿、瑞稀には見せたくなかった。 アタイの素を駒に見せている様で。 手には、家から持ってきた掃除道具一式。
ーー万全の装備だ。 さあ、行くぜ! アタイは張り切って、玄関のチャイムを鳴らした。
しかし、反応がない。 おかしいな? なにやってんだ、アイツーー
「⋯⋯ったく。 なにやってんだ、瑞稀の奴」
アタイは、舌打ちしながら、スマホを取り出した。 瑞稀の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。 数コール後、ようやく繋がった。
『⋯⋯ふぁ⋯⋯い⋯⋯みじゅきでしゅ……』
「⋯⋯倉石さん? 吉澤です。 今、お家の前に来てるんですけど⋯⋯」
『……よしざわさ〜ん……』
ーーコイツ寝ぼけてやがる。 完全に寝起きだぜ。
「倉石さん、約束⋯⋯覚えてます?」
『⋯⋯あぁ⋯⋯覚えているよ?』
「あの〜 玄関、開けてください〜」
『⋯⋯ん〜 どうしょうかなぁ? ⋯⋯めんどくさいなぁ? そうだ……吉澤さん、また今度でいい? 私、まだ眠いから⋯⋯』
「⋯⋯はぁ?」
ーーは? 今、なんつった、コイツ。 どうしようかなぁ? じゃねえよ!
『じゃ⋯⋯おやすみぃ⋯⋯吉澤さん』
「ちょっ、倉石さんっ⋯⋯!」
ーープツン。 通話が切れた。 それとも切れたのは、アタイの堪忍袋か?
おいおいおい。 マジかよ。 約束をすっぽかすどころか、二度寝するって?
このアタイをこの玄関先で立ち往生させたまま?
「ざっけっんじゃねぞ! 倉石瑞稀!」
アタイは、思わず素の声で呻いた。 しかしすぐに口を押さえて、周りを見回す。
近所の人にでも聞かれたら、終わりだ。 アタイは『吉澤ひとみ』。 おどおどとした、気弱な女子高生を演じないといけねぇのに。
アタイは深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。 それにしても、瑞稀は本気で、扉を開ける気がないらしい。
アタイは、玄関の扉を見つめた。 ガチャ、と取手を回してみる。
ーー鍵がかかっている。 当然だ。 しかし、よく観察してみると、この扉、随分とくたびれてやがる。 ガチャリ。 ドアの鍵を解除する。 お邪魔するぜ!
アタイは、靴を脱いで、家に上がった。 昨日と変わらない、散らかったリビング。 瑞稀はどこだ? 階段を上がる。
二階の一番奥の部屋。 扉が半開きになっていた。 覗き込めば奴はいた。 ベッドの上で、制服姿のまま、シーツに包まって眠っている瑞稀。
ーー制服のまま? 昨日、寝間着に着替えもせず、そのまま寝たのか、コイツ! しかも、髪も結んだまま。 メガネは枕元に放り出されている。 顔の横にはよだれの跡。
アタイは、その寝顔を見つめていた。 奴はうなされていた。 頭を振った。 感傷的になってる場合じゃない。
「はわわ。 倉石さん〜」
猫被りの声で、優しく呼びかける。
「う、うん⋯⋯ん⋯⋯」
「起きてくださーい」
「⋯⋯んん⋯⋯」
ガバッ! アタイは、シーツを引き剥がした。
「な、なに!? 吉澤さん、なんで家の中にいるのっ?」
瑞稀が、ようやく飛び起きた。 目をパチパチさせて、メガネを慌ててかける。
ーーおい、それ伊達メガネだろ? わざわざかけんなや!
「⋯⋯倉石さんが、開けてくれないからですよぉ。 はわわ、勝手に入っちゃってごめんなさい〜」
「そんな……鍵かけてなかったのかな?」
瑞稀は、ぽけ、とした顔で、頭を掻いた。
「さ、起きてください。 今日は、お掃除する日ですよ?」
「⋯⋯えー⋯⋯面倒くさいよ!」
「えー、じゃありません! 昨日、約束したじゃないですか!」
「⋯⋯うー⋯⋯おやすみ」
ぐずぐずと、まだ布団に戻ろうとする瑞稀。 アタイは、その腕を掴んで、引きずり起こした。
ーー今日のアタイは、容赦しないぜ。




