あの日の真相 後編
善子は、夫の手を取りました。 桐原の家に伝わる、最後の手段を使うことに決めたのでした。
強い霊感を持つ者が、自らの命を依代として捧げることで、悪霊を縛る術。
本来であれば、霊感を持たない者は依代にはなれません。 けれど、夫婦の縁で結ばれた二人ならば、善子が依代となれば可能でした。
ーー母さん。 ごめんなさい。
善子は、寝たきりの母の顔を思い出しました。 今朝、家を出る時母は涙を流して縋りつくように言ったのです。
ーー行かないで! あの子たちを、村から出さないで!
その時、善子は笑って答えました。「大丈夫よ、お母さん。 たった一日だけだから……」と。
母は、知っていたのでしょう。 桐原の女に流れる血が、どれほど穢れたモノを引き寄せるのかを。 そして、村を一歩でも出れば、その守りがどれほど脆くなるのかを。
ーーでも、もう遅い。 善子は、夫の手をぎゅっと握り直しました。
「あなた。 これから私が呪を唱えます」
「ああ」
「あなたは、私の手を、決して離さないで」
「それで、悪霊は祓えるのか?」
「……ええ」
「彩乃と舞香は、助かるか?」
「助かります。 必ず……」
夫の命を、自分の命と引き換えに、悪霊を縛り付ける。
ーーそう告げてしまえば、誠一郎は迷うかもしれない。
けれど、誠一郎は、すべてを察していました。
「俺は、お前を信じてる」
「……貴方」
善子の目から、涙がこぼれました。
「……ごめんなさい」
「……謝るな。 お前と結婚した時から、覚悟はしてた」
彼には何も視えません。 何が起きているのかも、本当の意味ではわかっていません。
けれど、妻が「命を懸ける」と言うなら、彼もまた共に懸ける。 それが、桐原誠一郎という男の、ただ一つの愛し方でした。
『ナンダ、オマエラ! ナニヲシテイル……』
悪霊が、ようやく異変に気づきました。
『ヤメロ……ヤメロォオオオオッ!』
悪霊が、姉妹から離れ、夫婦に向かって襲いかかりました。
善子が、静かに、最後の呪を紡ぎました。
その瞬間、悪霊の体が夫婦の握り合った手の中に、引き込まれていきます。
黒い霧のような影は、悲鳴のような音を立てて暴れ狂いましたが、もう逃げられません。
『アリエナイ。 アリエナイアリエナイ。 ゼッタイニユルサナイ」
悪霊が姉妹を睨みつけました。 まるで、マーキングをするように、二人に黒い靄がかかりました。
『コレデマタ。 オマエラクウ。 ソレマデオアズケ」
そして、悪霊は消えていきました。
「……お父さん? お母さん?」
「嫌……体がおかしいよ!」
二人は、ずっと見てました。 彩乃は、舞香を抱きしめたまま、ずっと、その場で待っていたのです。
まだ幼かった彼女たちには、何が起きたのかわかりません。 ただ、体が震えていることだけが、わかりました。
彩乃は、必死に、舞香を抱きしめました。
ーーお父さんが、言ってた。 お姉ちゃんだろって。 舞香を、守ってやってくれって。
その後、現場に駆けつけた警察官は、言葉を失いました。
神社の前には、手を繋いだまま倒れている夫婦の姿がありました。 そして、その光景を、夫婦の子供たちが震えながら見ているのでした。
誠一郎と善子の死因は、「原因不明の心不全」と記録されました。 外傷もなく、毒物の反応もなく、ただ二人揃って、同じ瞬間に心臓が止まっていた。 手は、繋がれたままでした。
村の老人たちだけが、すべてを察していました。
そして、その日を境にーー彩乃と舞香から、霊感は完全に失われていたのです。
善子の母は二人に言いました。 これは呪いだとーー
寝たきりだった善子の母は、彩乃が中学三年になる前に、亡くなりました。
ただ、皺だらけの頬を伝った一筋の涙だけが、彼女が何を想って逝ったのかを、わずかに語っていました。
残された二人の姉妹は、父が残した一件家に住む決意をしました。
その場所は、奇しくも昔、悪霊に襲われた土地でした。
それもそのはず。 みんなで、父の家を見に行くことが、ここへみんなで来た理由だったからでした。
ーー将来、みんなでここに住もうね。
母が言った言葉が、二人をこの地に導いたのでした。
◇◇◇
「⋯⋯だから⋯⋯私は⋯⋯一人⋯⋯お母さん⋯⋯お父さん⋯⋯見てて⋯⋯あやのさんさいなの⋯⋯ゆびですうじ⋯⋯だしてるの⋯⋯ほめて⋯⋯」
「うん、彩乃ちゃんは偉いね! 自分の年齢を表現できるんだね!」
「⋯⋯うれしい⋯⋯っふふ」
「彩乃ちゃんは、やっぱり笑顔の表情が一番だね!」
微笑む、彩乃の頭を起こさないように、優しく撫でることねでした。




