作戦失敗
不気味な気配のする廊下の中。 教室前で、アタイは黒いローブのまま腕を組んでいた。
目の前には、桐原舞香。 両手を胸の前で握りしめて、今にも泣きそうな顔でアタイを見上げている。
「ひとみちゃん、お願い! こんなこと止めて! とても、嫌な予感がするの……」
ーーうるせえなあ。 嫌な気配だと? 当然だろ!
ローブのフードを目深に被り直しながら、アタイは内心で舌打ちした。
儀式の準備で抜け出してきたってのに、よりにもよってこの女に目をつけられるなんてな。
「⋯⋯ひぃ。 わ、私は別に⋯⋯行かなくても⋯⋯私なんかが行っても、無意味ですよ〜」
「凛ちゃんを止められるのは、ひとみさんだけです!」
舞香は距離を詰めてくる。 光に照らされたピンク色の髪が、ふわりと揺れた。
「吉澤さん。 変だよ。 そんな黒いローブなんか着て、倉石さんと櫻井さんに何をしたの!」
アタイは俯いたまま、フードの陰で目を細めた。 この女、扱いにくい。
「……聞いているの? 体育館に来て!」
舞香の声が、廊下に響いた。 本人も驚いたのか、慌てて手で口を塞ぐ。
体育館に全校生徒が集まる。 希望だの絆だの、薄っぺらい熱気で膨れ上がった群れ。
そこでもし、その希望が一斉に絶望へ裏返ったら? 神子様への供物としちゃ、極上の御馳走になるんじゃねえのか。
のこのこ付いていくだけで、儀式の仕上げの場が向こうから用意される。 笑いが漏れそうになるのを、アタイは唇を噛んで堪えた。
「……はわわ。 わかりましたぁ」
弱々しく、上目遣いで。 涙の一滴でも滲ませてやれば完璧だ。
「うん! 行こう!」
舞香の顔が、ぱあっと明るくなる。 単純な女だなぁ?
舞香はアタイの手を取って、嬉しそうに歩き出した。 繋がれた手のひらから、体温が伝わってくる。
話によると、体育館の中で、凛と黒装束が交戦しているらしい。
ーー計画通りだ。 最高だぜ!
体育館の扉を、舞香が両手で押し開けた。 中は、混沌とフラッシュバックによる恐怖で、混乱状態のはずだった。 しかしーー
おかしいぞ! 物音一つもしねぇ?
全校生徒が集まっているはずの体育館は、薄暗く、がらんとしていた。 高窓から差し込む光は鈍い鉛色で、磨かれた床板だけが、にぶく濡れたように光っている。
「……なんだ? なんで、誰もいねぇんだ!」
「ひとみ……」
まさかの事態に戸惑う。 ーー素が漏れちまった。 その背後で、もう一人が入ってきて、扉がゆっくりと閉まった。
凛だ。 オメーはここで暴れているんじゃねぇのかよ!
「舞香! 生徒たちは、全員避難させたわ!」
「ありがとう! 凛ちゃん!」
「どういうことだ!」
「吉澤さん。 貴方の行為は、全てお見通しです!」
「なんだと……」
アタイの唇が、勝手に吊り上がっていく。
「……まさか、桐原彩乃の仕業か? アイツはどこにいるんだ!」
「……お姉ちゃんには、近づけさせない。 もう、これ以上お姉ちゃんを苦しめたくないから!」
「……吉澤? さっきから、様子がおかしいわよ? なにがどうなっているのよ! 説明してよ!」
ーーああ。 失敗したのか、アタイの計画は。 アタイは『絶望』した。
「……もう、どうでもいいや……? なんだよこれ?」
ローブの裾から、紫黒の靄が滲み出す。 床を這い、壁を舐め、バスケットゴールの影を喰って広がっていく。 フードの下で、アタイの目が光を放つのが、自分でもわかった。
「ひっ……!」
凛が悲鳴を上げて後ずさり、舞香が咄嗟に凛を背に庇う。 凛は、胸の前で手を握りしめ、震えている。
『キリハラマイカ。 ヨウヤク、アエタナ』
アタイの喉から出たのは、アタイの声じゃなかった。 幾重にも重なった、軋むような音。
「……そうだね。 私も、会いたかったよ? あの日、私とお姉ちゃんは、貴方に魅入られ、マーキングされた」
「……マーキング? そ、それに、貴方たちはあったことあるの? なにがあったのよ!」
凛の顔から血の気が引いていく。
『オマエノ、オヤガ、ジャマヲシタ。 ダガ、シシャハ、モウ、マモレナイ。 オマエハ、オレノエサダ……」
ーー餌? その餌があれば、神子様は蘇るのか?
いいや、違うな。 そっか、アタイは利用されていたのか。
いつからだ? アタイはいつ、コイツに魅入られたんだ?




